▼ 挿 菊
ソラへの気持ちをはっきりと自覚して、ナツキとちゃんと向き合う決意をするアサ。
ナツキの気持ちは嬉しいけど、私はそれに応えることはできない。
「『ナツキ』」
「『おう』」
「『あのね』」
唇が乾くのを感じて、夏の暑さと乾きに、縁側で一緒に食べたアイスを思い出して恋しくなった。
「『私、好きな人がいるの』」
「『…』」
「『だから、ごめん』」
じわ、と涙がにじんで下を向く。
すると、頭にナツキの手がぽんと乗せられて、ゆっくり撫でられる。
顔を上げることもできないで、撫でられるがままになっていると、頭をぽん、と優しく叩かれた。
「『アサが悪く思う必要はない』」
ゆっくりと顔を上げて、ナツキの目を見つめる。
「『悪かったな、突然キスして』」
苦笑いしたナツキに、すごく胸が締め付けられて、別にいいよ、と小さく呟いた。
その場にいるのが気まずくて、ポケットからラムネ菓子を取り出して、いつかの時みたいにナツキに投げつけた。
「『勉強、がんばってね』」
にぃ、と笑って部屋を出た。
今回は投げるなって怒られなかったな。
廊下をぱたぱたと走って、私に宛てがわれた部屋の障子を乱雑に開けて、畳んで端に寄せてある布団にダイブした。
手足をばたばたさせて、今のよくわからない気持ちを必死に発散させる。
人からの好意には慣れていない。それを拒否するなんて、なんて烏滸がましいんだろうなんて思ってしまう。
ばたばたさせていた手足は、すぐに疲れてしまったから布団に投げ出した。ぼーっと天井を眺めていたけど、むくりと一度起き上がってからうつ伏せになった。真っ暗な視界にすこし安心するような気がする。
私のモヤモヤした気持ちを表すように、空にすごい勢いで暗い雲がかかって、あっという間に雨が降り始めた。それに気がついたのは、雨音が聞こえてきて、顔を上げてからだったけど。
ナツキが「おいアサ!!タオル取り込むの手伝え!!」と中庭から叫ぶのが聞こえた。なんとなくそれを無視した。
少しして、髪もTシャツもしっとりと濡れたナツキが、障子を無遠慮に開けて、手伝いに来なかった私を責めた。うたた寝していて気づかなかったと言い訳をして、また布団に顔を埋めた。
なんだか無性にソラに会いたかった。
「お疲れ様です」
その日の撮影が終わった。
あれ以来皇さんと話さなくなってしまった現状をなんとかしたくて、今日こそ皇さんに話かけようと意気込んでいた。
雨に濡れるシーンを撮ったから、髪がまだ湿っている皇さんはタオルで乱暴に髪を拭いていた。Tシャツはもう着替えたみたい。
「皇さん」
「あ、名字さん」
「その、この前は本当にすみません。ちょっと動揺しちゃって」
「…おう」
「もう切り替えたので、あんなミスしませんから!」
「そうだな、今日は良かったと思う」
「ありがとうございます!!」
ちょっとお話しただけですごい達成感。このまま、せっかくの共演なのに距離が遠くなったままではすごく辛かっただろうから、本当に良かった。
「それにしても、泣かれるとは思ってなかった」
「わ、忘れてください…」
「そんなに嫌だったか?」
軽いトーンで聞いてくる皇さんにムッときた。
「そんなわけないじゃないですか!」
「おう、それはそれでアレだな」
「アレってなんですか?!」
「恥ずかしい」
「…っ!」
目線を逸らした皇さん。かぁ、と顔が熱くなる。
「そ、そういう意味で言ったんじゃないです」
「お、おう、知ってる」
「仕方ないじゃないですか…初めてだったんですもん」
「…は?」
「悪いですかー?!この歳でやっとファーストキスですぅー!!」
「おまっ、そういうこと大声で言うな!」
片付けをしていたカメラマンさんがこちらを見て笑っていた。やめてください、恥ずかしいです。
「じゃあリハが初めてだったのか?」
「ですね〜、あの時はなんか実感なくてぽわぽわと終わったんですけど、まさか本番でこう、ねえ、あっキスしちゃった…みたいな」
「も、もういい、それ以上言うな」
皇さんが聞いてきたのに。
そう文句を言うと、皇さんが少しムスッとした様子で「天馬でいい」と言った。
名前呼びを許して下さった…?
お近付きの印…?!
「て、天馬、さん?」
「さん付けは違和感ある」
「天馬くん」
「おう」
憧れの先輩と仲良くなれた気がして、嬉しくて胸が高鳴った。
「私も名前でいいですよ」
「わかった、じゃあ名前」
「…はい!」
わー!わー!どうしよう、まるで仲のいい関係みたいじゃないか。勇気を出して話しかけて良かった。雨降って地固まるじゃないけど、あの時のミスがこんな結果を産むなんて。
「じゃあお疲れ様、またな」
「はい!お疲れ様です」
天馬くんに手を振って、佐々木さんのもとへ駆け寄った。車での帰り道で佐々木さんにからかわれたけど、全く気にしない。今の私は嬉しさから寛大になっているからね。
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