薄ごおりを踏む


スギ花粉を感じる。


目に、鼻に、挙句喉に。

粘膜という粘膜を洗濯したい。
あわよくば外界からシャットアウトしたい。

目はいつもの半分しか開いていないし、度重なる目薬の洪水によりアイメイクはよれた。頑なに擦らないようにしてたけど一度崩れたらもうヤケだ。体内で誤作動して暴れる免疫機能を攻撃するかのように強く目を擦ると、隣の茅ヶ崎の笑い声が聞こえた。


「いや名字、擦りすぎ」
「だってかゆい」
「空気清浄機ついてるのに?」
「人の出入りがある、入ってくる、忌まわしい」
「昼休み時だもん」
「空気清浄なんかじゃ足りないんだよ、忌まわしきスギの木を燃やし尽くせ、花粉なんて飛ばしたところでここには雄花なんてない。雌雄同株なんだからこんなに張り切って花粉を飛ばすな」
「ワー、恨み溜まってんねー。そして無駄に生物の知識覚えてるのな」
「ったりめえよ、敵を倒すにはまず敵を知らなきゃいけないわけよ」
「この人スギと戦う気だった?」


私の瞼が半分シャッターをおろしているのに、茅ヶ崎は今日も涼しげなきりっとおめめ。忌まわしい。

ずずっと鼻をかんで死んだ魚のような目のままキーボードを叩く。キリがいいところで私もお昼とらなきゃ。

すると、隣の茅ヶ崎が立ち上がって、ああ茅ヶ崎これから昼休みかな、とちらりと視線を向けると、またあのきりっとおめめと目が合った。

「あ、そういえば名字、つぎの春組公演、チケット欲しい?」
「茅ヶ崎がでるやつか!見たい見たい」
「公演期間ここからここだけど希望ある?」
「うーん」


卓上カレンダーをかかげて、日付を茅ヶ崎の細長い指が撫でた。
スケジュール帳を取り出して、予定を確認しながら、じゃあここ、と公演の千秋楽の日を選んだ。

千秋楽は特別な日。
せっかくだしその日に見に行ってみたいな、と思ったからだ。


「おっけー、チケット用意しておく。他の人には秘密ね」
「え!なになに、私特別扱い?」
「いや、前回チケット会社で捌いたらすごい大変だったから」


少し遠い目をした茅ヶ崎に、あぁ心中お察ししますという感じ。

茅ヶ崎は年上にも年下にも分け隔てなく人当たりよく接するし、仕事もできる、そしてこの美しいお顔。
有り体にいえば社内の王子様ポジション。
そんな人が出演する劇を見に行きたい人は、女性社員を中心に山ほどいるわけで。春組旗揚げ公演の時に茅ヶ崎は、チケット手配と引き換えで大変そうにしていた。


「わかった、秘密にする。ありがとね茅ヶ崎」
「いいよ、カンパニー気に入ってくれたの俺も嬉しいし」


にこっと微笑む茅ヶ崎に、相変わらず完璧な王子様スマイルだこと、とこっそりため息をついて、お昼をとるために出ていく茅ヶ崎を見送る。


スケジュール帳にぐりぐりと茅ヶ崎の公演を見に行く日をマークする。
この日はちゃんと休日だけど、出張が入らないように調整しようと決意した。


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