恋も憂いも解けるな光


「紬くん公演お疲れー!」
「名字さんは出張お疲れ」
「カンパーイ!」

乾杯の声は2人で揃って、いわゆる「とりあえず生」のジョッキがガラスのぶつかる高い音を鳴らした。

紬くんの首がビールを嚥下して喉仏が動くのを眺めて、細いけど男の人の首だ、なんて思ってしまう自分がなんだか恥ずかしい。
お互い何となく好きな物を注文して、食べながらゆっくり話をする。


「名字さんとお酒飲む日が来るなんてね」
「確かに!そもそも高校以来、この前会うまでずっと会ってなかったんだもんね」
「だって名字さん、同窓会来てなかったよね」
「留学行ってたからねー」
「ああ、北京?この前言ってたよね」
「そうそう。2年の秋から。やたらと早く行っちゃったんだよねー、成人式とかすっかり忘れてた」
「忘れてたの?!女の子って晴れ着とか結構楽しみにしてるものだと思ってた」
「んー…まあちょっとやらかしたかな、とは思ってる」
「あはは、何かの機会に着られるといいね」


綺麗な振袖を着て笑う私を想像してみてもなぜかしっくりこない。着てないから当然か。

高校同窓会で紬くんに会い損ねたのはすごく残念なんだけど、成人式自体は中学の知り合いで会いたい人なんてぱっと思いつかないからあんまり未練はないなぁ。
今でも仲がいい友達はほとんど大学で出会った人だし。それか会社の人。


成人式、同窓会、紬くんはスーツ姿かな。すらりとした細身にスーツはさぞかし似合うのだろう…。この前の冬組公演での膨張色アイボリーの衣装が似合うのだから、色の濃いスーツなんて着てしまったら、もう、引き締まってとってもかっこいいに違いない。
少数派だろうけど袴でも絶対かっこいいな…!個人的にはブルーグレーの羽織を着て欲しい。髪と瞳の色に似合いそうだもん。袴って着てると自然と姿勢が伸びるから、普段の柔らかな雰囲気とはまた違った、凛とした紬くんが見れるんだろうな。


「紬くんは?晴れ着姿」
「ええ、俺?」
「スーツ?それとも袴?」
「スーツだけど」
「写真ないの、見たい!」
「恥ずかしいから嫌だよ」
「えぇ」
「そんな顔しても見せないよ」
「むーーー、まあ、無理にとは言わないよ」
「いつか機会があったらね」
「とか言って絶対そのいつかは来ないやつだよ」


紬くんをジト目で見つめて枝豆をぱくり。私はもう大人なのでちゃんと引き際は弁えてるけど、とてもとても残念な気持ちです。
スーツか…スーツかぁ…。かっこいいでしょそんなの。似合うに決まってるじゃん。
学生時代の紬くんと、今目の前にいる紬くんのだいたい中間地点くらいの紬くんの姿で、しかもスーツ。
かっこいいどころか可愛いでしょそんなの。



「そういえば名字さん、公演見に来てくれたとき、もしかして差し入れくれた?」
「え!無記名だったんだけど分かった?」
「パンドーロでしょ、懐かしくなっちゃったもん」
「え、すごい、覚えてたんだ…!」
「もちろん。クリスマスが近くなると名字さんのお昼ご飯毎日それだったじゃん」
「わー!わー!懐かしい!ちょっと嬉しい」
「毎日食べてて、部活のみんなにもおすそ分けしてたよね」
「母親がイタリアかぶれで12月にはいるとたくさん焼いてたからね」
「毎日食べてるのに、部活のクリスマスパーティにもクリスマスツリー型にアレンジしたパンドーロ持ってきてて、丞と一緒に少し笑っちゃった」


パンドーロ。
イタリアのパン、というかお菓子?菓子パンってかんじ。作るのが結構面倒くさいパンだけど、切ると綺麗な黄色で、断面は星型になってとっても可愛いの。表面に粉砂糖をたっぷりまぶして食べる。
スライスしたものをクリームとかフルーツを挟んで重ねていくとクリスマスツリーみたいな見た目になるから、クリスマスまでのアドベントの間にも、クリスマス当日にも楽しめる素敵なパン。
イタリアにはパンドーロのほかにクリスマス時期のパンとしてはパネットーネもあるけど、こっちはドライフルーツが入ってる。パネットーネのほうが日本では有名かな?

まあ、ドイツのシュトーレンには知名度で勝てません。
イタリア頑張れ。

紬くん、こんなことを覚えててくれたのか。くすぐったい。恥ずかしい。たかがパンひとつで思い出してもらえるくらいの存在になれてたんだな、私。



何杯かグラスがあいて、気持ちのいい酔いがまわってくる。
久しぶりに会った男の人とサシで飲んでるシーンで、ベロベロになってしまうのは良くないと思うし、なにより酔って紬くんに迷惑をかけるのは申し訳ないからそっとペースを落とす。

紬くんもほどよく酔っているみたいで、すこしほっぺたが赤い。



「俺、演劇から離れてたって言ったじゃん」
「うん」
「でも戻ってきてほんとうに良かったっておもうんだ」
「公演見に行った時、紬くん、すっごく生き生きしてたもんね」
「なんで離れてたんだろうっておもうよ、今は時間が惜しいんだ。ブランクを埋めなきゃって必死で」
「演劇にそれだけまっすぐなんだから、きっと結果はついてくるよ」
「あはは、そうだといいなぁ、ほんとうに」


ほんのすこし饒舌になった紬くん。
真剣な瞳と、演劇が好きなのが伝わってくる心からの笑顔。お酒のせいですこし表情も口調もふにゃふにゃしていて、紬くんがなんだかすこし幼く見える。

とくん、と心臓が鳴った気がする。

お皿にひとつだけ残った唐揚げをぱくり、レモンサワーをごくり。気が付かれないようにそっと小さなため息。



「紬くん、明日も家庭教師なんでしょ?遅くならないうちに帰ろうか」
「そうだね、電車は心配ないだろうけど」


お皿もグラスももう少しで空になるタイミングで、私から解散を提案した。


これ以上一緒にいたら、ちょっと私、本当に恋に落ちてしまいそうだから。
いつもより少し早い心拍には気が付かないふり。


学生時代の淡い恋が、少しずつはっきりとした形になってしまいそうで、それが少し怖かった。

だめ、この恋は、だめ。



紬くんに恋をするのは、甘やかな恋慕と裏腹に、ゆっくりと首を絞められていくみたいですごく苦しいのは、もう身をもって知っているから。


お酒飲んだ後に女の子を一人では帰らせないよって紬くんはマンションまで送ってくれた。後ろ姿に手を振りながら、そっと深呼吸をした。


苦しい。苦しい。紬くんはお友達。お友達だよ。


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