二〇〇七年十二月二十四日 クリスマスイヴ



 二〇〇七年 十二月二十四日 正午。
 大晦日も近い事もあり、今日はひどく冷え込んでいた。しかも朝から夏油君が居ない事もあり美々子、菜々子の機嫌は気温と同じく急降下を辿っている。
 家に身を寄せて一月程経つと、夏油君は何も言わずにふらっと何処かへ行くようになった。とは言え、私に任務がある日は家に居るし、ちゃんと夜には帰って来る。美々子と菜々子の世話や分担した家事はちゃんとこなす。そして二人が寝静まった頃、またふらっと出て行く。何処へ何をしに行っているのか気にならないわけではない。けれど口出しするのも違う気がして結局は聞けないままでいる。
 さて、そんな夏油君の居ない日中は結構な重労働が待っている。朝、大好きな夏油君の姿が見えず寂しがる二人を宥めるところから始まり、朝食を食べさせて、歯を磨き、顔を洗う。小さな二人はまだ少し水を怖がるところがあるから顔を洗い終えるまで横についていなくてはならない。その後は幼児向けのテレビ番組を見ている隙に洗濯、食器の洗い物、昼の準備。掃除は夏油君が完璧にこなしてくれているので手はつけない。

「名前?」
「名前ー!」

 来た。庭に出て洗濯物を干しているとリビングの方から私を呼ぶ二人の声が響いた。独り暮らしの時とは打って変わって四人分の洗濯物の量は多く、まだ干し終わっていなかったのだがこのまま無視するわけにもいかない。
 駆け足にリビングの窓辺まで戻るとガラス窓の向こう側で座り込む二人と目が合った。見る見るうちに四つの大きな瞳に涙が溜まる。あ、まずい。半分投げ飛ばすように素早く窓を開けて腰を屈めた。瞬間、衝撃が襲う。飛びついて来た二人を落とさないようにしっかりと抱き留めてその場に尻餅をついた。相変わらず地面のクッション性は悪いしついでに寒い。

「どこいってたの!」
「庭で洗濯物干してたんだよー」
「名前、なんかいもよんだのにへんじしなかった!」
「え、うそ。聞こえなかった……ああ、ごめんごめん。言って行かなかった私が悪い。ごめんねー」

 私の肩に顔を埋めているから二人の表情は見えなかったが、嗚咽は漏らしていないから多分泣いてはいない。それに一先ず安堵する。
 立ち上がろうと足に力を込める。しかし、これが上手くいかない。幼い身体を両腕に抱えながらああ、そうかと納得した。

「二人とも大きくなったねぇ」

 家に来た当初の衰弱した様子と比べて、と言う意味だったのだが二人はそう捉えなかったらしい。
 しつれい! ひどい! さいあく! でりかしーがない!
 最近になって覚えた言葉を並べ立てながら肩を叩かれてしまった。これが地味に痛いので今度こそ足に力を込めて立ち上がる。開けっ放しだった窓から冷気が入り込んだリビングは冷えていたが外よりは幾分もマシだ。二人を床に降ろして、同じように腰を下ろし一度息を吐く。袖を引かれる感覚がして振り向けば不安そうな顔をした二人が私を見上げている。

「上着持っておいで。洗濯物干すの手伝ってよ」

 弾かれたように二階の部屋へ駆け上がって行く足音を聞きながら頬が緩むのが分かった。あの二人の一番は何時だって夏油君。それは変わらない。勿論それで良いと思っている。けれど、同時に私も意外と好かれているようだ。それが今はとても嬉しい。
 三人で協力して洗濯物を干して昼食を取り終えると束の間の休息が訪れる。幼い二人はお昼寝の真っ最中なので完全にフリーな時間だ。お昼寝の平均時間は一時間程。この貴重な一時間は何もしない。ちょっと良い紅茶を淹れて、貯まっていた雑誌や本を読む時間に中てるのだ。
 少し前まで、私にとっての日常は今とはまるで違う色を見せていた。舞い込む任務をこなしながら空いた日はこうやって一日暇を潰す。たまに買い出しに出掛けて気に入った服や雑貨、本を纏め買い。具合が悪くってはいけないので人の多い場所は今でも避けているが、たまには息抜きも必要だ。そんな自由な時はたった半年で終わりを告げた。

「ンンー?」

 子育てが板についてきたね、名前さん。
 何時だったか冗談交じりに言われた言葉を思い出し、首を捻る。自分ではそうと思ってはいなかったがこの生活に対して苦痛を感じていない辺り、その通りなのかもしれない。雑誌の内容は上手く頭に入って来ず、早々に机に放り出された。現在頭を占めているのは、今日の夕食や備品のチェック――額に片手を押し当てた。観念した方が良さそうだ。
 夕方、乾いた洗濯物を室内に運び込み、それぞれ分けて畳む。男性物の下着にも慣れてしまっているのは自分でもどうかと思うが三ヶ月も経てば皆こんなものだろう、多分。リビングのドアが開いたのは半分ほど畳み終わった頃だった。寝ぼけ眼を擦りながら歩いて来たのは美々子で、舌ったらずに私を呼ぶ。二本の短い腕が伸びた。抱っこをせがまれているのは言葉にされずとも分かる。

「おいでー」

 洗濯物を畳む手を止める事はせずに片腕を大きく上へ上げると、美々子は無言でその輪を潜り抜けて膝へ収まった。正面から抱き着かせるようにして作業を再開する。そして残り三分の一になった頃、一人お昼寝を続けていた菜々子も起きて来た。
 菜々子は美々子に比べて気が強く、感情をちゃんと言葉にする事が上手かった。だから今回も分かりやすく嫉妬を言葉にする。「ずるい」と一言不貞腐れたように呟いて背中にしがみついて来たので一旦手を止めて後ろ手に背中を撫でた。額を擦り付けられる。無遠慮な力なのでこれが中々痛い。

「はい、終わりー!」

 綺麗に畳み終えた洗濯物をズラッと机に並べ両手を叩くと二人は同時に顔を上げる。まず膝の上の美々子を下ろして、背中の菜々子も引き剥がす。愚図り声を上げる二人にそれぞれの洗濯物を預けた。

「お手伝い。お部屋に置いておいで」

 二人は大好きな夏油君の前ではなるべく聞き分けの良い子供でいようとするけれど、私に対しては結構我儘だ。ついでに言えば舐められている節さえある。今回もまた嫌そうな顔を見せたが、そこは無視した。背中を押すと渋々と言った様子で立ち上がりリビングを出た。そして、歓喜の声を上げた。

「夏油様ー!」

 え、うそ。このタイミング? 嫌な予感がして恐る恐るとリビングの柱から顔を覗かせた。そして見えた予想通りの光景に、私はその場に両膝をつくのだった。
 玄関では、帰宅早々二人に抱き着かれた夏油君と放り出されグチャグチャになった洗濯物があった。せっかく綺麗に畳んでお手伝いにも成功した否、する筈だったのに無念である。
 項垂れる私の頭上に影が差した。顔を上げると、そこには困ったような表情をした夏油君が立っていた。何時の間に買ったのか、彼が纏う黒のロングコートには薄っすらと雪が積もっている。

「あー、名前……ただいま?」
「……おかえり」
「ごめん。洗濯物は責任持って私が畳むよ」
「……お願いします」
「はい」

 夏油君の足の後ろから顔を覗かせる二人も少しは反省しているようなので、これ以上ショックを受けるのは止めにした。

「外、雪降ってる?」
「ああ、今降り出したんだ。ホワイトクリスマスだな」

 そう言いながら夏油君は背中に回していた手を前へ出した。ちょうど私の目前だったので視界が一気に黒から白に変化する。紙箱だった。ちょうどホールケーキが入るくらいの四角形の、白い紙箱だ。

「お留守番してくれていた名前達へ私からのお土産」
「わあ、嬉しい」
「心が籠ってないなぁ。結構良いやつ買ってきたのに嬉しくないのかい?」
「そんな事ないよ。じゃあ今夜はクリスマスメニューにしないとねぇって思ってただけ」

 とは、口では強がりを言ってしまったが冷蔵庫には既に下準備も済ませたチキンやサラダ、スープの材料が揃っているのである。多分、今年は美々子や菜々子にとって初めてのクリスマスになるだろうからちゃんとしてあげたかった、と言うのは建前で、実際は一人盛り上がった結果だ。ちなみに通販で購入したツリーだってある。四人で楽しく過ごせたらいいな、なんて淡い期待を抱いた産物は喜ばしい事に日の目を浴びる事になりそうだ。
 結果として、美々子と菜々子は初めてのクリスマスを大いに満喫した。納屋から引っ張り出して来た新品のツリーも張り切って飾ったし、大きなブッシュドノエルの内、三分の二は二人が食べて残りの三分の一を私が食べた。夏油君が口にしたのは、二人に勧められた一口分だけで、再度勧められても「私はもういいから二人で仲良く分けなさい」と上手く避けた。
 ケーキは、夏油君が結構良いやつと言うだけあってとても美味しかったのだが同時に不安になる。日々夏油君に甘やかされて舌が肥えつつある二人が普通のケーキを嫌がるようになったらどうしよう。

「まさかサンタさんまでするとは思わなかった」
「どうせなら徹底的にやろうと思ってね」

 お腹いっぱいにクリスマスメニューを食べて、入浴も終えた二人は早々に寝付いた。一足先に座敷の布団に入っていた筈の夏油君に手招きされて座敷に足を踏み入れた私に、彼はクリスマス用の包装がされた箱を二つ持って微笑む。
 常夜灯のついた室内、一緒に眠るようになって用意した子供用の布団の上で身を寄せ合うようにして眠る二人の枕元にそっと箱を置いて、夏油君は小さな頭をそれぞれ優しく撫でた。その横顔は、呪詛師として追われているとは思えぬ程優しく慈愛に溢れているように見えた。思わず視線を逸らしてしまった私を夏油君は咎める事はしなかった。苦笑しながら再度手招きされる。座敷の入り口に立っていた私は後ろ手に障子を閉めてそちらに歩み寄る。

「はいこれ。名前にもクリスマスプレゼント」

 差し出された長方形の箱に一瞬思考が停止した。目前には白い箱。二人に用意した物とは違う包装が施されている。ゴールドのリボンが可愛らしい。あ、これこの間雑誌で見ていたブランドだ。リボンの端に描かれたロゴで気が付く。

「早く受け取りなよ」

 箱の向こう側、右手を上げたままの夏油君は楽しそうに笑っている。恐る恐ると箱を受け取り、リボンの結び目を解いた。箱に描かれたロゴもリボンのそれと同じ。間違いない。この夏油君、私が読んでいた雑誌を確認していたのである。
 箱を開けるとそこにはシンプルなネックレスが入っていた。普段使いも出来て、ちょっとしたお呼ばれにもアクセントとして使える、なんて雑誌に載っていた宣伝を思い出す。

「ありがとう」
「どういたしまして。で、なにその表情。あまり嬉しくない?」
「そんな事ない。嬉しいよ。でもまさか私にまで用意しているとは思わなかったから……その、私なんも用意してないし」
「気にしなくていいのに」

 私の表情がよほど気になるのだろう。夏油君は立ち竦む私の腕を引くと、自分の横に座らせて顔を覗き込んで来た。楽しそうに弧を描く黒い目が少し意地悪く映った。

「そうだ。私につけさせてよ。それでチャラ」
「ええ、そんなのでいいの? 明日、任務あるからその帰りに何かお礼買ってこようと思ってたんだけど」
「私が満足していればいいんだよ。はい、背中向けて」

 これ以上意見を言う暇もなくネックレスの収まった箱を奪われ、背中を向けさせられた。髪を掻き分ける指先がたまに首筋に触れるのがくすぐったくて止めるよう促すが、夏油君は笑うのみで止める気配はない。指が前方に回り、また後ろへ戻る。華奢なチェーンが首元を撫でる感触がした。

「うん、よく似合うよ」

 背中を向けた時と同様、肩を掴まれまた向き合う形になる。鏡が手元にないので私自身、ネックレスを見る事は叶わないが夏油君が似合うと言うのだからそうなのだろう。途端に気恥ずかしくなった。多分、今の私の顔は赤いし情けない表情をしている。片手で顔を覆って必死に背ければ大きな掌で元の位置へと戻された。こちらはあまりの恥ずかしさで涙が出そうだと言うのに今日の彼は随分と意地悪だ。

「……夏油君さ」
「うん?」
「絶っ対モテてたね」
「ははっ、前も聞いたなその言葉」

20210223