「……とりあえず、大人しくしてりゃ良いんだろ?」
「はい!」
許可してもらえたのがよほど嬉しかったらしく、満面の笑みで彼女が頷く。ソファに座った彼は新聞を広げると、なるべく髪を気に留めないことに決め込んだ。彼女がそっと彼の髪に手を触れる。
(硬い……ごわごわしてる?でも、やっぱり、綺麗な色……。)
手に取った一房をじっと見つめると、彼女は恐る恐るコテに挟んだ。そのままそっと引いてみる。
(……あんまり変わらない?)
そうそう取れそうにはない髪の癖に首を傾げ、彼女は上手いやり方を探して試行錯誤し始めた。だんだんコツを掴み、それと同時に熱中してくる。
「………。」
髪が弄られる慣れない感覚を感じつつ、彼はできるだけ新聞に集中しようと試みた。しかし不幸にもというべきか、何ら彼の興味を引く記事は載っていない。彼が流し読みをしている間にも、彼女は夢中で彼の焔色の髪を弄り続けた。
「……できた!」
いったい何故こうも髪を弄られるというのは眠くさせるのだろうか。彼が珍しくすっと気を抜いた時、彼女がひどく嬉しそうな声を上げる。その声にはっとすれば、彼女は何かを取りに行った様で背後にはいなかった。やがてパタパタと軽快な足音をさせて戻ってくる。
「じゃーん!」
彼女が持ってきたのは、頭全体が映る鏡だった。意気揚々と彼の前に差し出す。
「………。」
「――っ……!」
彼が何も言わず無表情に己の姿を見ている後ろで、彼女は密かに頬を染めていた。――いつも隠れがちな鋭い瞳。精悍な面立ち。彫りの深い顔。それらが全て顕になっていたのだ。加えて髪のインパクトが薄れた影響か、どことなく漂っていた威圧感の様なものが鳴りを潜めている。意外と長かった焔色の髪は肩を滑り落ち、緩やかに背中へ流れていた。
(かっ……こ、いい……どうしよう、……ううん、いつものサラマンダー様も大好きだけど、これ……っ……。)
ずっと髪だけを見ながら作業していたため、どんな見た目になっていたか彼女は知らなかったのだ。彼も自分の髪がどうなったかなど皆目見当もつかない状態で放っていたため、しげしげと見つめている。
「……あのっ、……っ……。」
「………随分と、印象が変わるものだな。」
「は、はい……。」
さっと髪を掻き上げながら、彼は彼女に鏡を返した。まだ紅潮が治まらない彼女がやや吃りながら受けとる。
「……どうかしたのか?」
「い、い、いえ………そのっ………あ、あの、これから、……お……おでかけ、……しませんか?」
「………はあ?」
首を捻って後ろを見た彼が、あまりに突飛な提案に眉を潜める。
「もっ、もちろん疲れてらしたら良いのです、でも、その、……っ、なんて言うか……。」
彼女はますます顔を赤くすると、あちらこちらへ視線をさ迷わせた。――とても素敵だから、色んな人に見てもらいたい。もしかしたら、嫌悪や畏怖など否定ばかりだった彼への視線に……肯定的なものも混じるかもしれない。そんな気持ちを正直に口にすることなど、彼女にできるはずがなかったのだ。
「……別に、構わんが。……この頭で行くのか?」
「だっ、だめ……ですか?」
「………まあ、良いぜ。……どうにも、落ち着かないけどな。」
「あ……ありがとうございます!」
何がそんなに嬉しくさせたんだか……と彼が内心首を傾げる。うきうきと目的地を考えながら髪を纏める彼女を後目に、彼は密かな溜め息を吐いた。
「じゃあ、お買い物……手芸屋さん、行っても良いですか?」
「……はいはい……。」
おまえの行きたいところならどこでも……と聞こえてきそうな態度で返事をしながら腰を上げる。彼が身体を伸ばしている間に、彼女はいそいそと用意を整えた。
「行きましょう!」
「……ああ。」
やけに張り切っている彼女を見て、彼が優しく小さな溜め息を吐く。外套を深めに被ることすら忘れた彼女は、彼の手を引いて外の世界へと飛び込んだのだった。
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