夢を見た。


あいつが、いなくなる夢を。


儚く消えて、手の届かない所へ行った。

肉体はそこにあれど……既にソレは彼女でなく。


笑いも泣きも動きもしない人形だった。


跳ね起きて、すぐにはわからなかった。

どこにいるのか、何だったのか、──現実なのか。

早鐘の様に打つ心臓を治めたくて、ぐらつく頭を抑えながら覚束ない足取りで歩いて──あいつの部屋の扉を開ける。

求めていた瞳と、すぐに目が合った。何故かベッドの上で半身を起こし硬直していた彼女は……ひどく蒼白な顔をしていた。

漆黒の瞳には何か色々なものが揺らめいていて、その全ては読み取れなかった。だが一つ確かにわかったのは──強い不安。

それを見て、断りも入れず抱き締める。

これが現だと、わかりたかった。
あれが夢だと、わかりたかった。

彼女の存在を、確かめたかった。

温もりを腕に抱き、ざわついていた心が驚くほど静かになる。

華奢で、儚く、弱い──そんな彼女に恐ろしいほど依存している自分が確かにここにいて、今更ながら可笑しくなった。一人で生きて行けると……思ってたんだがな。

俄に、腕の中の細い身体が震え出す。何度か繰り返された下手くそな嗚咽のあと…耳を打つか細い泣き声。

何が不安なのか、何が怖いのか。幼子の様な泣き方は、その気持ちは訴えど原因は伝えない……世界の全てを恐怖に感じ得る彼女が何に怯えているのかはわからない。

だが──今だけでも守れれば、と思った。

温かい。

同じなのかもしれない。怯えた影も、その苦しみも。

温もりを感じて、やっと、安心を覚えることが出来たのかもしれない。
お互いに触れて、やっと、存在を確めることが出来たのかもしれない。


安心を与えたい。


もう喪失の影に魘されない様に……確かな安心を与えてやりたい。不安にならない様に、<彼女>が危うくならないように──安心を与えてやりたい。


抱き締めたい。


これが現だとわかる程、夢でないとわかる程。<彼女>がここにいるとわかるほど、抱き締めたい。俺は、ここにいると……わかるほど抱き締めてやりたい。


愛している。


苦しい位に、愛している。あんな風に<彼女>が消えると思ったら、耐えられなかった。


ゆっくりと拘束を緩め、少女の顔を見て、瞳を見る。余計に愛しい気持ちが強くなった。

そっと口付けた刹那、脳裏に蘇ったのは──かつて同じ様にしてから彼女に言った一言。

“忘れろ”

それは単なる忘却を意味しない言葉だった。卑怯な俺は、これに続けて──力を用いて記憶を消せと言ったのだ。


おまえが壊れる前に、とも。


彼女が傷付くとわかっていた。本当にそうして欲しいという願いの裏には、そうはしないだろうという狡い臆測も心の隅にあった。姑息にも程のある手段とわかっていた。

それでも、彼女が依存しているとわかっているからこそだった。

彼女は、死なない。

そして俺は、共に時を歩むことも、長く隣にいる事さえしてやれない。

それ故の願いだった。<彼女>が壊れ、消えることは望みでない。初めて愛した人間だからこそ、幸せになって欲しかった。いついなくなるかわからない人間に依存してその死と同時に、あるいはそれより前に消えてしまうより──こんな存在のことは忘れて、精一杯[生きて]欲しかった。

何も出来ない俺が何を遺せるのか。

永久を生きる彼女の幸せとは何か。


それは虚ろな人形となり果てしない時の波間を漂う事ではなく──人間らしく笑い、泣き、生きる事だと思った。


<おまえ>が消えずに済むなら、忘れてくれて構わない。遠くから見守るだけで良い。それも叶わないなら……もう会えないで良い。

いっそ俺の記憶も消してくれ。

手に入れた温もりに甘えて、おまえを消してしまう前に。



もう独りは、うんざりだ。









・inevitable(adj.)…「避けられない」
・inevitable(n.)…「避けられないこと」





・the inevitable…「必然の運命」





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