森宮莉子は突き進む。 | ナノ
バイト始めました。
春休みに突入すると、私は短期バイトを始めた。
以前、真歌の代わりに家庭教師として受け持った生徒の成績アップ結果で評価を受けたため、家庭教師協会から勧誘を受け、春休み限定で家庭教師として何人か生徒を受け持ちすることになったのだ。
忙しい日は1日に2つの家庭に向かうこともあるので割と忙しい。生徒は進学校希望の中学生がメイン。生徒や親御さんとはつかず離れずの間柄を維持して、しっかりビシバシ指導している。
【生徒の中には男もいるんだろう。大丈夫なのか?】
そんなことを言ってきたのは久家くんである。
休みに入ると時折メッセージを送って来るようになったので、用事がなくてもぽつぽつこうして近況報告しあっているのだが、私が家庭教師のバイトをしていると言うと変な心配してきたのだ。
【なにかが起きるわけないよ。久家くんは家庭教師にトラウマあるだろうけど、私は中学生に欲情するほど愚かじゃないし、理性をなくしていません】
久家くんのことだからトラウマスイッチが入ってそんなこと言って来るんだろうけど、あいにく私は生徒と恋愛するほど飢えていない。
【莉子を疑っている訳じゃない。いいか、中学生といえど男の力は相当強いんだ。仕事は仕事としても、男の前では警戒を怠るな】
【はいはいお父さん】
【誰がお父さんだ。それはそうと、俺もアルバイトを始めたんだ】
私は目を疑った。
バイト? 大病院院長の息子である久家くんが?
【はぁ? なんで? 何か変な詐欺に引っ掛かってお金が必要になったとか?】
私のフリック入力が火を噴いた。
なにか事情があって親には言えない出費が出来て働くようになったんだろうか。
久家くんはいいところの息子だからそれ故に人を疑わずに信じてしまい、詐欺に引っ掛かったという可能性がある。心配になり、返信を待っていると、少し時間を置いて返事があった。
【そうじゃない。莉子に言われたことを今一度よく考えて、自分で稼いでみたいと思ったんだ】
私に言われたこと?
その言葉に首を傾げ、はっと思い出す。
そう言えばお金を稼ぐことの大変さについて語った気がする。だけどそれは働けという意味じゃないんだけども。
【医学部生のバイト掛け持ちは本当にハードだから程ほどにね? 来年久家くんが留年になったら申し訳が立たないよ】
【社会勉強だからいいんだ。無理のない程度にしか働かないから大丈夫】
確かにいい勉強にはなるだろう。
私たちは順当に行けば医者になる。よほどのことがなければ副業はしないだろうから他の職業に就くこともないはずだ。大学時代に経験としてバイトするのもいいのかもしれない。
【どこで働いているの?】
【コンビニ】
私はさらに驚く。
久家くんが、コンビニ勤務だと……?
【久家くんなら華があるから、バーの店員とかも似合いそうだよね】
下世話な話だが、彼は顔がいいので水商売でも稼げそうだ。
【水商売が絡む仕事は親がいい顔しないから】
【たしかにね、男だから安全という訳じゃないもんね】
久家くんなりに考えて選んだらしい。
まぁそうよね。お酒が入るとその分トラブルも増える。繁華街は危険も多いし、暴力団が関わっているお店もあるのだ。
男性だってストーカー被害に遭う可能性があるから、変な人に絡まれないように自衛することも大事である。
ちなみに彼のバイト先だが、近場だと辞めた後気まずくなるので、少し離れた街のコンビニにしたらしい。駐車場の多さ、車通勤OKな場所で選んだと返された。
あの高級外車でコンビニバイトに行くのか……大丈夫かな、本当。
【今度近くを通ることがあったら遊びに来て】
向こうからコンビニの店舗名と地図が送られてきた。
マップで位置を確認すると、家庭教師先のひとつのお宅近くのコンビニっぽい。
【家庭教師が終わった時にでも立ち寄ってみるよ。その時久家くんがいればいいけど】
久家くんはすれ違いにならぬよう、当面のシフトを教えてくれた。
シフトは週3日ほどしか入ってなくて、昼から夕方、もしくは夕方から夜までの時間帯が多いようだ。深夜はこれまた親御さんが危ないからと許してもらえなかったとか。
そんなこんなで久家くんがバイトのシフトに入っている日に顔を出したのだが、ガラス張りの店舗の前で私は足をぴたりと止めた。
何の変哲もないコンビニユニフォームを着用した彼はコーヒーマシンの前で女性に話し掛けられていた。最初見たときは機械の使い方を説明しているのかなと思っていたのだけど、それにしては様子がおかしい。
私が入店すると、来店客のチャイムが鳴った。
「いらっ……莉子!」
客が来た、助かったと救いを求める表情を浮かべていた彼は、来店したのが私だとわかると目に見えて喜んでいた。
久家くんのそばにいた女性は私を見ると眉間にしわを寄せて渋い表情を浮かべている、まるで邪魔が入ったと言わんばかりである。
コンビニバイトで逆ナンパされていたのかな。
「頑張ってるみたいだね」
「あぁ。来てくれてうれしい。もう家庭教師のバイト終わったのか?」
「うん。ここで何か買って帰ろうかなって思ってる」
買うとすればこれから電車に乗るからペットボトルのコーヒーかなにかにしよう。そう思って飲み物コーナーに視線を向ける。移動している間に冷めちゃうから冷たいのでもいいかなぁ。
「なら、俺があと15分で上がるから、どっかでコーヒーでも飲もう」
なんにしようかなぁと迷っていると、久家くんからお茶のお誘いをされた。だけど私は帰る気満々だったので、その誘いには渋った。
「えぇ……家に帰って、借りてきた本読みたいから帰るよ」
あともうちょっとで読み終わるからさっさと読み終えてしまいたい。
「奢るから。ケーキも付けてやる」
「別に私は空腹にあえいでないよ」
久家くんは私を何だと思っているのか。渋る私に車の鍵を押し付けて、自分の上がりまで乗って待っていろと指示して来る。
「乗ったらドアロックして待っていろよ」
コンビニには少々似つかわしくない高級外車は従業員用の駐車スペースに止められていた。私はため息をつきながら店を出た。……なにも買わずに出てきちゃったよ。
こんな高級車で待ってろとか無茶なことを言う。キー解除すると、助手席側に乗り込み、言われた通りにドアロックした。
乗り込んで一息付くと、車の前に人影が通りすぎる気配がして顔を上げる。
さっきの女性がこっちをじろじろと値踏みするように見て、苦々しい表情を浮かべていた。
誤解しないで欲しい。私たちは大学の同期。あなたが想像しているような関係じゃないから。
久家くんがバイト上がりするまで約15分。
私は高級外車で待つというなんとも落ち着かない時間を過ごす羽目になった。
◇◆◇
久家くんが駐車場に出てくると、私は妙に安心した。
やっぱり人様の車だし、身分不相応な高級車だから妙に落ち着かないよね。さっきから通行人にじろじろ見られて気まずかったんだよ。
「おつかれ……」
「なんか疲れているな」
「気疲れというかなんというか」
久家くんは「ふぅん?」と返すと、慣れた手捌きで運転しはじめた。
やっぱりこの車でコンビニバイトって不釣り合いだと思うんだけどな。久家くん、バイト先で浮いてない?
「今日の家庭教師先はどうだった?」
「あぁ……久家くんの母校に進学希望の男の子だよ。別に塾にも通っているから、家庭教師なんて必要なさそうだけど、ものすごい向上心でね」
「男か……なにもされてないな?」
その言葉に私がぐりっと首を動かすと、久家くんは前方を睨みつけていた。なんちゅう顔で運転しているんだこの人。
「あのね、久家くんみたいに女家庭教師に憧れるパターンは、相手が美女であることが前提なんだよ」
「莉子は可愛い。俺なら狙う」
「眼科に行け」
この期に及んでなにを言っているんだこの男は。
もはや女家庭教師という存在が性癖となっているんじゃないのか。
私がたわけと一蹴すると、久家くんはぐぬぅと唸っていた。
「それと、男子学生の場合、お家の人の目が届きやすいリビングで教えているから、なにかが起きる訳がないんだよ」
「そ、そうか」
「うちの家庭教師協会は異性の生徒に対してはそういう措置を取ってるんだってさ。昔いろいろあったみたい」
久家くんを裏切ったあの家庭教師みたいに、年若い未成年を弄ぶ人間がやらかしたんだろうね。
「そういえば久家くんは中学高校時代の教科書とかノート、テキスト類取っておいたりしない?」
「……実家に行けば残っているかも知れないけど」
「あーそっかぁ……生徒に出すテストの参考にしたかったんだけど…仕方ないね」
今日の生徒は私と同じく医学部を目指す子なのだ。親が医者という訳ではなく、私のように医者に憧れて医学部を志す子で、その姿が昔の私と被ってしまい、なにか力になれたらなぁって思ったんだけど……
無関係の久家くんに古い教材をわざわざ実家に取りに戻らせるのは酷だ。残念だが諦めよう。
「……明日取って来る」
「えっ? いや、いいよ。面倒でしょ?」
「親がたまには顔を見せろって言ってたし。そのついでだ」
久家くんはキリッとしていた。
「……久家くん、信号青になってるよ」
「あっ」
パプーッと背後から小さくクラクションを鳴らされ、慌ててアクセルを踏んだ久家くんは何だかマヌケに見えた。
なんだか申し訳ないね。気を遣ってもらって。
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