森宮莉子は突き進む。 | ナノ
焦りを見せる人々
後期試験まで残り2週間を切った。この頃になると焦りを見せる学生の姿をあちこちで見かけるようになった。
「絶対無理だ。進級できない……3回も2年生するとか終わってる」
そう言って教室の机に倒れこむ同級生の姿を前にして私は困った。
この人、前年度も2年生だったもんな……
「大丈夫! 医学科なら6回まで留年できますから、最大12年大学に通えますよ!」
この人はどこぞの開業医の息子だと聞いたことがある。お金持ちなら学費の心配しなくていいでしょ? ならまたチャレンジすればいいだけのことだ。
私が元気づけると、相手はくしゃっと泣きそうな顔をしていた。
「莉子、そういう問題じゃないだろう。慰めになってない」
すかさず久家くんに注意された。
じゃあ何て言えばいいの。下手な慰めは相手のためにならないじゃない。学ぶ機会があるなら再挑戦すればいいだけのことじゃないか。
「特待生様に言われると心折れそうなんですけど」
えぇ……私は必死に頑張ってトップ維持しているだけだし、常日頃からしっかり勉強しているもの。特待生というカードを維持するためには努力が必要なのだよ。
しおしおと塩をかけられたナメクジみたいになっているその人を見下ろした私はため息を吐き出した。
「仕方ないですね。新谷さんには1年のときに前年度のテキストとかノート、レジュメ類をお借りした恩がありますから」
生憎勉強を教えるというのは時間的に無理だが、私が研究した試験の傾向対策ノートを伝授することくらいはできる。
この人は医学部男子学生の中でもまともな部類だし、借りた恩もあるからね。
死んだ魚の目でこちらを見上げる、2年生2回目の学友(前期試験も追試があったらしい)に、私は鞄から取り出したマニュアルノートを差し出した。
「これは私の試験対策研究ノートです。いろんな学年の先輩に過去問や資料を見せてもらって研究した傾向対策が載っています。これをコピーするとよろしい」
これが絶対に役に立つとは言えないが、すがるものがあった方がいいだろう。
新谷さんは震える手でノートを受けとると、それを額にくっつけて頭を下げてきた。
「ありがとう女神さま森宮さま」
大袈裟に崇めてくる新谷さんに私は苦笑いした。
ちゃんと勉強はしないといけないからね? そのノートに目を通しただけじゃダメだ。努力あるのみ。
「お礼は特別に学食のからあげ定食でいいですよ」
私が対価を求めると、新谷さんが愕然とした顔をしていた。
「天使のような微笑みを浮かべてそんなこと言うんだ?」
「あたりめぇですよ。タダなわけないでしょ」
これは等価交換である。
私の労力に比べたら安いものだろう。
労力には対価を求めるのは当然。私はそこまで優しい人間ではない。
「あ、あの、莉子……私にもコピーさせてくれない?」
「真歌がそんなこと言うとか珍しいね」
「バイト先の定食おごるから!」
「うん、まぁ別にいいけど」
真歌も焦っているらしい。彼女の場合、金銭的な理由で留年は避けたいだろうから、精神的なものかもしれないけど。
琴乃はすでに私のマニュアルを入手しており、それを参考にしながらこつこつ勉強している。
みんな無事に進級することを願って、私も追い込みに入ったのである。
◇◆◇
1月末から始まり、2月の第1週目まで行われた後期試験。
試験が終わると学生それぞれ異なる反応をしていた。私としては試験が終わった後、充足感に似たものを感じていた。
全体的によく出来たんじゃないかなぁ。
「うちのサークルに入らないか?」
春休みに突入するまで残り約1週間。
あとは結果を待つだけだなと気楽な気持ちで歩いていると、久家くんがサークル勧誘してきた。
久家くんの所属するサークルは医学部生だけで構成された運動部である。様々なスポーツをして汗を流していると聞く。
「うーん」
そのお誘いに私は唸った。自分が部長をつとめるサークルもあるので、掛け持ちするのは少し面倒だ。
「医者には体力も必要だぞ」
「なら家の周りランニングと筋トレするからいいよ」
だからいいと遠慮するも、久家くんはあきらめなかった。
「長期休みには泊まりでレジャーにも行くぞ。冬休みはスキーだったが、春休みは山登りに行く。山のふもとのペンションを貸し切りにして過ごすんだ」
ただ単純に旅行に行くだけでなく、医学部の学生と親密になれるいい機会だと説明される。
そうそう、当初は私もそう思って医学部のサークルに入ろうとしたけどそれがインカレサークルで心折れたんだよねぇ。
そもそも簡単に言っちゃうけど、必要経費がいくらかかるか想像するととてもじゃないけど無理である。話を聞くと、いろんなスポーツに手を出すみたいだし。
「金銭的にねぇ。旅費の捻出も大変だし、道具やユニフォーム代が勿体ないなぁって」
旅費のためにバイトするとか何だかなぁ。
春休みになにか短期バイトしようかなぁとは考えていたけど、その稼ぎがすべてサークル必要経費で消えると考えたら気が進まない。
「宿泊先は団体割がきくし、レンタルもある」
「うーんやっぱゴメンけど……継続が難しいと思うし、あぁいうサークルって退部しにくいでしょ?」
縦社会なところのある医学部だ。そこの学生で構成されたサークルはいろいろと縛りが厳しそうだし、私には合わない気がする。
体力勝負なのは重々承知の上なんだけどね。
そんな感じでお誘いを断ると、久家くんは目に見えてがっかりしていた。
運動かぁ。
確かに医者には体力が必要だと言われている。
だけど自分で運動しようとするとなかなか重い腰が上がらないよね。
「気が変わったらいつでも言ってくれ」
「うん、あんまり期待しないでね」
こういうとき、経済格差を思い知らされるなぁ。
うちは決して貧しい訳じゃないけど、なんにでもホイホイお金を出せるほど裕福という訳じゃないし、仮にバイトしたところでその差は埋められないに違いない。むしろ自分の首を絞めるだけの気がする。
「なんなら君の分の旅費は俺が出してもいい」
「やめて。それは私が惨めな気分になるから」
久家くんのとんでもない申し出はやんわりお断りしておいた。
断られた彼は何だか残念そうな顔をしていて、私はしょっぱい気持ちになる。
「久家くんがサークルの合宿を楽しめているのは親御さんが稼いだお金のおかげでしょう? それなのに赤の他人である私の旅費まで出すっていうのは正直どうかと思う。それは久家くん自身のお金じゃないでしょ?」
経済格差は置いておいてだ。久家くんは親のおかげで苦労せず旅行に行けていることを自覚しておいた方がいい。
私は真歌のバイトの手伝い程度しか働いた経験がないけど、それでも大変だった。時給を稼ぐために働き回らなきゃいけない。居酒屋バイトが終わった後は疲れてなにも出来ないなんてざらだった。
「……働いてお金を稼ぐって、大変なんだよ」
私が最後にそう付け加えると久家くんは黙り込み、神妙な表情を浮かべていた。
入学祝いに外車をプレゼントされ、一人暮らしを許され、サークル仲間の旅行代、その他諸経費を出してもらう。それが当たり前の世界に生きている、お金に苦労したことのないであろう彼には難しい話かもしれない。
出してもらって当たり前という価値観が根付いているのなら、私は彼とは壊滅的に金銭感覚が合わないから一生わかり合えないだろうな。
彼はしばし黙り込んだ後、「そうか……」と一言告げた後、ふらふらとどこかへと歩いて行ってしまった。
春休み突入前に試験結果が発表され、私は来年の特待生枠を維持できた。
「よかった……本当によかった」
「泣くな泣くな。どうせなら喜びなって」
親しい友人達も無事に進級がきまり、琴乃は嬉し泣きに似た感情を表に出していた。彼女にとって前期試験の追試がかなりプレッシャーになっていたみたいで、今回の試験前は彼女らしくもなくぴりぴりしていたもんね。
「マジ莉子には一生頭上がらん……」
緊張の糸が解けてへろへろになった真歌が私を崇めはじめた。
みんなが努力した結果だよ。私はコツを伝授しただけに過ぎない。
努力不足で単位が足りずに留年決定した人たちの青ざめた顔を見ない振りして、私は廊下を突っ切った。
その中に、これまで私に喧嘩を吹っかけてきた男子学生の姿も見られたが、これまでの恨みを晴らすためだけに死体蹴りみたいな真似はしたくないので、振り返ることはしなかった。
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