森宮莉子は突き進む。 | ナノ
賭けの対象
「教授に気に入られている女はいいよな」
「下駄履かせてもらってんだろ」
聞こえるようにわざと囁かれた嫌味。
それはきっと私に宛てられたものだろう。
私は何も聞こえない振りをしたけれど、隣にいた真歌の耳にもしっかり聞こえてしまったようだ。
「何あいつら!」
かっとなって相手に噛み付こうと立ち上がった彼女の二の腕を掴んで阻止すると、真歌が何故止めると不満の目でこちらを見てきた。
「焦っているんでしょ。放って置きなって」
年末に迫って来ているこの時期。1月末に行われる後期試験に焦っているのだろう。夏休み前に行われた前期試験で追試となり大変だった琴乃は毎日必死に苦手科目を重点的に頑張ってるというのに、同じく追試組だった彼らはその様子が見えない。
「莉子、ここなのだけど……」
「あ、そこはね」
真面目に勉強している琴乃の質問に時折答えてあげながら、自分の勉強をする。
気にするでもなく相手にするわけでもない私の態度が気に障ったのか、彼らは続けて何か悪口を言っていた。
それにむかっとしつつも私は無視した。挑発に乗ったら私の負けだと思ったからだ。
彼らは私が女だから馬鹿にしているのだ。
いまだに男性優位な空気の蔓延った医学界だ。目立つ私の存在が気に入らないって人間は前々からいたし、面と向かって言われることもあった。
だけどそんなこと言われてもどうしようもない。どうせ私が何を言ってもああいう人間は考え方を変えないのだ。反応して喚いてもどうにもならない。時間の無駄だ。
今の私にできることはトップクラスの成績を維持して、特待生枠を守り抜くことである。
私の悪口を言い飽きた男子学生達が立ち去り、やっと勉強に集中できるようになり、私たちは固まって黙々と勉強していたが、流石に疲れてきた。売店で何か買ってこようと私が財布を持って立ち上がると、真歌も買いたいものがあるからと着いてきた。琴乃に何かいるかと聞いたが、特に何もないと返ってきたので、彼女にお留守番を任せて私たちは自習室を出た。
医学部キャンパスには小さな売店がある。お昼頃ならサンドイッチなどの惣菜パンや外部委託のお弁当を販売している。しかしそれらは割とすぐに売り切れてしまうので、その場合は別の塔にある学生食堂まで足を運ばなくてはいけない。
売店では他にもチョコやガム、摘めるスナック等は常時配置しているので、それを目的に買いにくる学生、職員も少なくない。
頭を働かせるためにコーヒーとブラックチョコレートを買おうと足を運んだ私は目的のものを手にとってICカードで決済した。
「──なぁ、賭けしねぇ? あいつ口説き落としたら5万やるよ」
不穏な言葉を聞いたのは戻る時だった。
それは自習室に続く回廊脇にある休憩所から聞こえた。
「マジかよ!」
「無理じゃね? 森宮って堅そうだし」
「堅い女だからこそ、弄び甲斐があるんだろ。なぁお前やって見ろよ、久家。あの女と最近仲良いだろ」
──久家?
ここに久家くんがいるの?
男子学生が私を弄ぶ賭けをしようと提案しているのを盗み聞きしてしまった私は二重のショックを受けた。
そこまで私のことが気に入らないのかと。
そしてその場に久家くんがいたことに衝撃を受けていた。
「なにあいつら! ふざけたこと抜かしちゃって!」
またもや真歌が憤慨して、休憩室へ飛び込もうとしたので私は彼女を背後から羽交い締めにして止めた。そしてその場から引きずり離した。
「なんで止めるの!?」
休憩室から離れた場所で真歌を解放すると、怒りで顔を真っ赤にした彼女から文句を言われた。
「久家くんがあんなくだらない賭けに乗る訳がないじゃない。大丈夫、男子に言い寄られても相手にしないから。私は弄ばれたりしないからさ」
「でもさぁ……!」
真歌は煮え切らない表情で苦悶していた。自分のことのように怒ってくれているんだな。私はそれを見て安心してしまった。
味方になってくれる存在がいる、それだけで十分だ。心強いと思えるから。
「ほら戻ろう、琴乃が心配するから」
「……」
彼女は納得できていないようだったが、ぐっと飲み込んでくれた。
琴乃が待つ自習室にたどり着いた頃には表情を切り替えて、何事もなかったように装った。
馬鹿らしい。
女嫌いの久家くんがあんな賭けに乗るわけがない。そもそも彼はお金に不自由していないはずだ。どんなにおいしい条件が揃えられたとしても、私の知っている彼はそんな卑劣な真似はしない。
──そうは思っていたけれど、私の中でもやもやは消えず、いつものように図書館で勉強している間も、久家くんの存在を意識して集中に欠けていた。
「莉子、そろそろ帰ろう」
その日は雪がちらつく金曜の夜だった。
いつものように久家くんとふたり一緒に図書館で勉強して、車で家まで送ってくれる。それはいつもと変わらない。
そういえば私たちは別に誘い合わせをしているわけじゃないのに、図書館で居合わせるようになった。前はそんなことなかったのに……
今になっていろんなことが疑わしくなってきた。疑いたくないのに、心が晴れずすっきりしない。
会話のない静かな車内で気まずさも感じていたが、会話をすると墓穴を掘りそうなので余計なことは何も言わないでいた。
サイドウィンドウから見える外の風景をぼんやり眺めると、街中はイルミネーションで彩られていた。夜のはずなのに明るくて目に痛い。……そうか今月はクリスマスがあるからこんなに……
「少し寄り道してもいいか?」
運転席から呼びかけられた言葉に私はびくっと肩を揺らした。
「あ、うん……」
驚き方が大袈裟過ぎなかっただろうか、変な風に思われてないだろうかとドキドキしながら、膝の上においているかばんの持ち手をぎゅうっと握った。
寄り道がしたいって言うから、てっきりお店かなんかで買い物するのかと思っていると、久家くんの運転する車は知らない道に向かっていた。
電飾で明るかった町から離れていく。郊外に出てきたかと思えば、なにやら坂を上って舗装された山道を登っていくではないか。
私はそれに異変を感じてキョロキョロと外と運転する久家くんの横顔を見比べた。
「もうすぐ着くよ」
いや、私が心配しているのはそういうことじゃなくて……なんで山登ってるの?
久家くんの言った通り、車は開けた場所に止まった。駐車場が整備されたそこは複数の車が停まっていた。家族連れだったりカップルだったりいろんな人が集まっていた。
車から降りると、久家くんが「こっちだ」といって誘導してきた。言われるがままについていくと、そこは展望台デッキ。そこから見える光景はまさに宝石のようだった。キラキラ輝く地上は美しく、私はほうっと見惚れてしまった。
「寄りたい場所って、ここ?」
「あぁ、たまには羽伸ばしにこういう風景見るのも悪くないと思って」
……もしかして、私に気分転換させようとして連れてきてくれたんだろうか。私は平然としていたつもりだけど、久家くんには異変がばれていたのかも……
私は展望台の転落防止フェンスに手をかけて、高い場所から見える光景を瞳に映した。
「綺麗」
息を吐き出すと白い息が漏れ出す。寒いのは否めないけど、美しい眺望はそれだけでお釣りがでる。
「なぁ莉子」
「!」
するりと肩を抱かれて私はびくっとした。
「その、先日君が言ったことを覚えているか? 嫌悪感のない女性と付き合ってみたらどうかって話を。正直今も下心を抱えた女性は苦手だ」
急な告白に私は違和感を覚えた。急になんだとそのまま固まっている間も久家くんは一人独白を続ける。
「だけど君は違う。君の毅然と立つ姿を見て、君と言葉を交わすようになって、徐々に君というひとりの女性に惹かれる自分に気づいた」
まるで愛の告白のようなそれに、私は全身の血液が一気に冷めていくような感覚を味わった。
先日、休憩室で交わされた男子達の会話を思い出したからだ。
私は屈辱と失望に震えた。なんだか泣きたい気分になってしまった。
久家くんはそんなことしないと思っていたのに、裏切られた気分になった。
「……莉子? どうした寒いのか?」
「触らないで」
私は肩を抱く彼の手を振り払うと距離を取った。
残念だよ。良い友人だと思えたのに。
女を弄んで笑い者にするような人だとは思えなかった。私は人を見る目がないのかもしれない。
軽蔑の眼差しを向けると、目の前の久家くんが困惑していた。
自分がどれだけ最低なことをしているか自覚がないのだろうか。本当最低。やっぱり、医学部の男だけはないな。
「あんなくだらない賭けに乗るような奴とは思わなかったよ。失望した」
「賭け……?」
私の声は震えていた。それは怒りなのか、悲しみなのかはわからない。久家くんは私の言葉が理解できないと言わんばかりに疑問を浮かべているようだった。自分の胸に手を当てなくてもわかるはずなのに、わざとらしい。
「5万円がそんなに欲しかったの? 私はそんな安い女じゃないよ」
一般的な大学生にとって大金だろうね。
男同士の友情を維持するためには女をからかって笑い者にすることが必要なのかもしれない。
だけど、その先になにがあるの?
そんな薄っぺらい友情築き上げて楽しいのは今だけじゃん。何がいいのか私には全く理解できないよ。
「5万? え? なんのことだ?」
「じゃあね、二度と私に話しかけないで」
私は訳がわからず混乱する久家くんに吐き捨てると、ひとり踵を返した。呆然と突っ立つ久家くんをその場に残すと、展望台から徒歩で下山し、近くのバス停に停まっていたバスに飛び乗って帰った。
スマホが着信でうるさかったけど、ブロックして着信拒否した。すると次は直接電話番号にかかってきたので迷惑電話サービスに登録して拒否してやった。
本当にがっかりした。
他の人とは違うと思ったのに。
本当、最低。
あんな人信じた私も馬鹿だったよ。
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