森宮莉子は突き進む。 | ナノ
認識の違い
ずっと勉強に集中しすぎて気疲れしてしまった。
根を詰めると、あまりよくない方向へ進むと考えた私は、息抜きがてらお料理サークルにお邪魔した。
去年講義で親しくなった別学部の学生の招待でゲスト参加させてもらうと、突然参加してきた私のことも歓迎してくれた。
お料理サークルと言うから、花嫁修行的なノリなんだろうかと思ったけど、普通に男子学生もいて、メンバーは趣味の延長で楽しく和やかに活動している風に見えた。
汚れてもいい格好で、と事前に言われていたので動きやすいシンプルなカットソーとデニム姿で訪れた私は素早くエプロン(※小学校時代に作ったもの)と三角巾を装着した。
「莉子ちゃん、本格的だねぇ。それ、持ってきたの?」
「100均で買ったブラシだよ。爪の中は結構汚いから」
しゃかしゃかと爪の中まで念入りに持参したブラシで洗浄する私を友人は苦笑いで見ていたが、料理は清潔第一だろう。医者志望の自分が食中毒なんて起こしたくないぞ。
今日の活動内容の説明を聞き終えると、眼前にどぉんと鎮座している魚をじっと見つめた。ムチムチに肥えた鯖だ。目がキラキラと輝き、こちらを見ている。これから人間に食べれるとは知らない無垢な瞳。死んでいるから知る由もないだろうけどさ。
切り身よりも安いし、練習になるからと近くの魚屋で予約して人数分になるよう捌かれていないものを買い出し担当の人がまとめて買ってきたらしい。
「解体やってみる?」
「ぜひ」
部長さんに伺いを立てられたので、私は包丁を手に取った。
大勢の注目を浴びながら魚を捌く経験ってなかなかないはずなのに既視感を覚える……あ、既視感の原因、解剖実習か。
解剖用の器具ではなく、調理用包丁での解剖……ではなく捌きではあるが、これはこれで勉強になるのだ。
「莉子ちゃん、魚捌き上手」
私が躊躇うことなく魚を捌くものだから、友達が惚けたような声を漏らしていた。
「練習で魚を捌くことも多いから。骨格と内臓の配置がわかっているとやりやすいよ」
解剖実習はもう終わってしまったし、それから離れたら人体内部に触れることは少なくなってしまう。なので感覚を忘れないためにも代わりに普段から大きめの魚をまるまる購入して捌いて忘れないようにしているのだ。解剖した後はおいしくいただくし、お魚への感謝は忘れない。
「さすが医学部は目の付け所が違うねぇ」
私の発言を向上心と受け止めた友達がため息混じりにつぶやく。
食べるための食材を練習のために捌くと言われたら、他の人は反応に困っちゃうのが普通だろう。
だけど努力なくしては医者にはなれない。日々のこうした積み重ねはきっと未来の私の糧になると私は信じているのだ。
「魚の内臓とか臭いし、気持ち悪いのにやばぁい」
くすくす、と人を嘲笑するような嫌な笑い声が聞こえてきて、私はかっさばき最中の鯖を見下ろす。確かに気持ち悪いかもね。でも内臓は人間も体の内部に抱えている器官なのだよ。
「料理するのにいちいち気持ち悪がっていたって仕方ないでしょうが」
私の代わりに友人が白けた風にツッコんでいた。
そりゃそうだ。お料理するんだから肉や魚に触れるのは当然のことなのに何を今更な事を。
「医学部の人って人体解剖実習とかするんですかぁ?」
甘ったるい声で無作法に質問してきたのは、周りを男子生徒にかこわれて、まるでオタサーの姫のようになっている女子学生だった。
もっとも、その子はアイドル裸足で逃げ出すくらいの美女だったので、その光景に違和感はない。
彼女は確か今年入学したての1年で、人文学部の学生とか。料理サークルに入ってきたはいいけど、彼女目当ての男子学生が入学してきて、そこだけ浮いているとかなんとかそんな前情報を友人から貰っていた。
男ウケするであろう清楚な出で立ちは、どう見てもお料理向けなお洋服じゃない。調味料とか魚の血液が染み付いたらどうするんだろうかと要らぬ心配をしてしまう。
えぇとところで何だったかな。医学部は解剖するのかって問いだったかな。
周りからしてみたら医学部は別世界に感じるらしい。だからそんな質問をされるのはそんなに珍しくないことだ。なので私もいつも通り肯定する。
「解剖実習なら1学期にやったよ。医学部なら必ず通る道だもの」
私が返すと、彼女はあからさまに嫌悪の表情を浮かべていた。
「うわぁ……死んだ人切り刻んでなにが楽しいのか理解できなぁい」
「あんたねぇ!」
私の代わりにまたまた友人が叱ろうとしている。仕方ない、気持ち悪いと感じるのは個人の自由だもの。私が気持ち悪がられるのは我慢できる。
「人体の構造がわからなかったら、医者にはなれないよ。それとも、あなたは生まれてこの方医者にかかったことがないのかな?」
みんなそれを乗り越えてお医者さんになったんだよ。
それとも──生きている人間を解剖するのがお望みなのかな?
それ、医学部の人、お医者さん全員に言って回らないようにね。診療拒否されちゃうかもしれないから。
「同じ人間なのに、体を切り刻むとかひどいと思わないの? だいたい解剖していいって許可する方も頭おかしいんじゃない? 私なら絶対に反対する」
彼女の非難の言葉に私はため息を吐き出した。
もしかしたらこの子はまだ、「人の死」に触れたことのない子なのかもしれない。私のように医学を志すわけでもない。
きっとわからないんだろう。
「死後献体になってくれる人は、医学の発展を願って、自らの意志で提供してくれるの。ご遺族だってそうよ。誰だって好き好んでご遺体を切り刻まれたい訳ないじゃない」
医者の卵候補を育てるために、自分が死んだ後に体が役に立つのならと献体同意書にサインしてくれたのだ。
それは厚意以外の何物でもない。お金が発生するわけでもないし、遺族の元に帰るのも大幅に遅れることもある。
「解剖っていうのはものすごく神経を使うの。死体と向き合うって大変なことなんだよ。相手はものを言わない。どこに病変があったのか目と手で探らなきゃいけないんだから」
何度も気絶しながらも最後まであきらめずにいた仲間がいた。
居残り・休日返上で頑張るグループもたくさんあった。
本当に大変な期間だった。
だけどその分得たものは大きかった。
「私は解剖実習をしてから、新たな覚悟が生まれたよ。人の命を救う医者になるんだって覚悟をね。……とてつもなく重い覚悟だよ」
──それを、教えてくれたのがご献体になってくれた仏様なんだよ。
私は包丁をまな板の上に置くと、その子と向き合った。私がじっと目を見つめると、彼女は怯む様子を見せた。
「医学部生を気味悪がるのは個人の自由としても……仏様やご遺族まで愚弄するようなことを言うなら許さないから」
全員に受け入れられるわけではない。
残酷だって、死した後に遺体を切り刻んで二度殺した、と罵倒されても仕方ない。
そこまでは黙って受け止められた。
だけど私たちだって生半可な気持ちで医者を目指しているわけじゃない。ましてや、協力してくれた仏様とご遺族を馬鹿にする発言までは見過ごせなかった。
私の迫力に圧されたのか、彼女は黙り込んでしまった。さっきまで生意気に輝いていた瞳からは覇気が伝わって来ない。
「ごめんなさい……」
なんかその子を見ていると、去年行われた新歓のインカレサークルのお嬢様学校の女どもを思い出した。
だけど、この子のほうが余程素直だし、謝るだけまだマシか。
◇◆◇
あの後変な空気になりかけて、私は申し訳なくなった。私が注意したからか、あの子はその後ずっとおとなしかった。
もう喧嘩を売って来ないだろうと思っていたんだけど、私の周りをチョロつかれ、最終的に懐かれた。
……なんでそうなるのか、ちょっと意味がわからない。
息抜きに参加したつもりが空気を悪くしてしまって気疲れした。
肩を落として大学構内をとぼとぼ歩いていると、「そこにいるの莉子ちゃん?」と呼び止められた。
そこにいたのは若者らしくチャラついている、ジャージ姿の北堀くんだった。首にタオルを引っ掛けてるので、掛け持ちの運動系サークルの後だったのかも。
「北堀くん。サークルだったの?」
「そうだよー莉子ちゃんは? 図書館で勉強?」
「うぅん、料理サークルのお招きに預かってた」
「へぇー……何作ったの?」
「さばの味噌煮と舞茸の炊き込みご飯、筑前煮とだし巻き卵、お新香」
おもいっきり和風メニューだ。私はてっきりオシャレなキッシュとかよくわからん横文字のメニューでも作るのかと思ったけど、想像と全然違った。あのお料理サークルからは本気の空気を感じたよ。ちなみに料理人を目指している人はいないらしい。プロになりたいわけじゃないけど、極めたい、そんな感じだろうか。
「単語だけでうまそう。ヨダレが出てきた。もしかしてそれ?」
「余ったからお持ち帰りするの」
遠慮したんだけど、うちのメンバーが失礼な発言をして気分を害したそのお詫びも兼ねて、と部長さんに持たされたんだよね。
お料理サークルでどんなことがあったかまでは知らない北堀くんは私の手元を見て目を輝かせていた。
「莉子ちゃん恵んでくだせぇ。一人暮らしの男の食生活なんて察せるでしょ?」
たくさん動き回った北堀くんはお腹がすいているらしい。
手を合わせて私に懇願する姿勢を見せたので、私は頷こうとして……やめた。
「ふぅん……ただではやれないねぇ」
タダなものほど怖いものはないぞ。
代わりになにか差し出しなと手を出すと、北堀くんは「ひぃ、ご無体な」と時代劇の娘役みたいな嘆きをしていた。
「……森宮さん?」
「あ、久家くんもサークル帰り?」
運動した後なのに汗の臭いを感じさせない久家くんはまたシャワーを浴びてきたのだろうか。北堀くんはそのまま出てきたって感じで比較するとさわやかさに大分差があるな。
「……彼は?」
余り物の和食メニュー詰め合わせを欲して、私に拝み倒す北堀くんの姿が滑稽に見えたのか、久家くんは変な顔をしていた。
「同じ教養サークルのメンバー北堀くん。こちらは医学部の久家くんだよ。今はゲスト参加したお料理サークルで作った物をたかられ中なんだよ」
「ふーん」
久家くんの目が細められる。北堀くんを品定めをするかのような瞳だ。
その視線に危機感を憶えたらしい北堀くんはバッと私を庇うようにして立った。
「あげないよ! 俺の大切な夕飯だから!」
「……」
北堀くんの背中しか見えなかったので、久家くんの表情まではわからなかったけど、きっと呆れた表情をしているんだろうなってのは想像できた。
「北堀くーんこれが欲しかったら誠意をみせなってー」
「ひぃ莉子ちゃん、俺今月ピンチなの。勘弁を」
仕送り分があと僅かで厳しいのだと切々と語られ、さすがに哀れに思った私は無料で和食セットを贈呈した。北堀くんは「莉子ちゃん女神、愛してる!」と愛の安売りをしたのち、早く食べたいからとその場から走り去った。
それを一緒に見送っていた久家くんは煮え切らない顔をしていたけど、「中流家庭出身な大学生の現実だよ……」と諭してあげると、こちらを微妙な目で見てきた。
言われなくてもわかってるの目かな?
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