森宮莉子は突き進む。 | ナノ
私たちは仲間だろう
「あの時の拓磨くんは初々しくて、可愛かった」
その言葉は、まるで甘い毒が含まれているように聞こえた。
「……やめてください」
「ねぇ拓磨くん、私ね、今なら君と付き合ってあげてもいいと思っているの」
そう言いながら久家くんの肩に触れようとした左手薬指には指輪が光っている。
いやいやばりばりの既婚者じゃないの。大学生を不倫に誘おうとするなよ……
「受験が終わったと同時に君を捨てる形になったのは申し訳なかったと思っているのよ。私も就職活動があったし、恋人との婚約も決まっていたから……」
はい確定。
つまり、この人は中学生な久家くんの恋心を弄んだってことでよろしい? しかも恋人がいるのに、関係を結んだと。なんという人なんだろうか。
結婚相手はその恋人だった人なんだろうか。そうなら旦那さんに同情してしまうよ。
学友の前で過去の色事について暴露された久家くんは顔面蒼白で震えていた。
うーんつまり、この女性は久家くんとただならぬ関係を結んだことがある。そしてそれが久家くんが中学生の時……
「うわ……」
想像した私は顔に思いっきり嫌悪を乗せて、三條さんを見た。
私のあからさまな反応に驚いたのか、彼女は私の顔を見て固まっている。
いやいや、驚いたのはこっちだよ。
「いや……淫行じゃないですか。あんた、中学生に欲情したんすか、ウワァ……引くわーないわー」
大学生が中学生に手ぇ出しちゃダメでしょう……
「な、なによ、そんな言い方! 言っておくけど同意の元よ! 拓磨くんの方が迫ってきたんだから!」
私からあからさまにドン引きされた三條さんがカァッと頬を赤らめて反論してきたが、そういう問題じゃないんだよ。
「それが自由恋愛だろうが、法律はそれを許しておりません。大人である側が自制する必要があるんですよ」
聞いている感じでは無理やりって訳じゃないみたいだし。この人もノリノリで相手したんでしょ。
私は横で棒立ちする久家くんを見上げて、同情の眼差しを送った。
さっき、「いい先生だね」と私を褒めたのは、自分の経験があったから出た言葉なんだね。そう考えるとなんか同情してしまう。
「久家くんよく考えて。さっき出会った女子中学生と今の久家くんが肉体関係に進むことなんだよ。それを男女逆に考えたとしても普通に犯罪だからね?」
未成年に手を出した時点でまともな大人ではない。
相手を窘めてこそ大人だし、想いが本物なら成人を迎えるのを待てるってものだ。この人の場合はただ性欲が前に出てきただけだろう。久家くんを想っていたわけじゃない。
私がそっと諭すと、久家くんの固まっていた瞳が揺れた。
女嫌いの彼にはそういうことを想像できないだろうし、元の性癖はわからないけど、法律的にアウトなのはわかるよね? 君は賢い人なんだから。
「なによ失礼な子ね! 人を犯罪者扱いして!」
三條さんは私の発言に対して反論してきて、ぐわっと怒りの形相で私に噛み付いてきた。彼女の風が吹いたら折れそうな、たおやかな容姿にヒビが入って台無しになった瞬間である。
それを見た久家くんが軽く目を丸くして驚いている風だった。中学生の久家くんは大人っぽい年上のお姉さんに憧れて恋をしたんだろうに、その思い出が崩れ去っちゃいそうなお怒りっぷりだ。
「当時未成年に手を出して、今度は不倫に誘う。あなたは決してまっとうな人間ではないと断言できますよ」
久家くんも三條さんも今はお互い大人ではあるが、彼女はもう既婚者だろう。
不倫は民法上では不法行為だ。立派な裏切り行為である。
親しい学友が危ない道に引き込まれそうになっていくのを黙って見送ってなんかいられない。学友を失うのは大石さんの件で懲り懲りなんだ。
徹底的に妨害してやる。
そのためにあんたの化けの皮を剥いでやるんだから。
「欲求不満だからっていまさら久家くんに満たしてもらおうとか思わないでくださーい」
学生時代にも婚約者を裏切り、中学生男子の恋心を弄び、既婚者になっても同じことを繰り返すって、5年経過しても全く成長してないんだね。
旦那さんとうまくいってないのかどうかは知らないけど、自分の欲求を満たすためだけに他人を巻き込もうとしないで欲しい。
ニュースとかでも不倫している芸能人が叩かれているのを見たことがあるだろう。
不倫の先になにがあると考えてるんだ。築き上げたすべてが壊れて、憎しみや悲しみしか残されないだろうに。
未来ある若者の人生を狂わそうとするとか馬鹿なんじゃないだろうか。
「今度久家くんにつきまとったなら弁護士経由であなたの旦那さんや実家に言いますからねー? 男子大学生を性的搾取しようとしてたーって」
シッシッと追い払う仕草をすると三條さんは歯を食いしばってこっちを睨んできた。
「それと、過去の関係を持ち出して脅したとしたら、あなたが不利になるだけですからね? だって未成年相手ですしー」
関係があったのが約5年前らしいので、そのころの証拠が残っているか定かじゃないけど、この場合世間から叩かれるのは彼女の方だ。
当時大学生でもれっきとした成人だったんだから。
「それと、今でも久家くんに想われてるって考えるのは大きな勘違いだと思いますよ?」
私の目には久家くんは拒絶反応を起こしているようにしか見えないので、昔の恋心なんて消え去っていると判断してる。
そもそも彼、女嫌いだし。大方ばい菌扱いされるだけじゃないのかな。いっそばい菌扱いされてしまえばいいのに。
──もしかして久家くんの女嫌いって、この人から始まっているのだろうか。
想いを告げて受け入れてもらえたと思ったのに、弄ばれたことを誰にも言えなくて一人抱えてきたのかな? 家庭教師の先生だったし、思春期も相まって親に言えなかったのかも。
結果女性不信になって、周りの女性のせいでさらに悪化して女性が苦手になったのかな?
もしもそうだとするなら、彼が可哀相である。
「いくよ、久家くん」
私は後ろに居た久家くんに顎で示した。
この人と一緒にいても心を害されるだけ。だから離れようと促したのだ。
久家くんの表情は沈んでいた。
いつも冷静で落ち着いた雰囲気の彼がここまで悲しみをあらわにするというのは相当なトラウマなんだろう。
ぐぎぎと唸ってそうな三條さんをその場に放置し、私は前を行く。
後ろから久家くんがついて来ている気配がしたので振り返らずに進んで行った。
私に言い負かされた三條さんが追い縋って来ることはなかった。
◇◆◇
先導する形で連れてきたのは、この古本屋街裏通りにある古めかしい喫茶店だ。全体的に年齢層の高いお客さんが多いここでは、読書家が本を読みながらコーヒーを飲んでいることが多い。
間接照明で照らされたお店に入ると、久家くんは店の中をぐるりと見回していた。
「ここいいでしょ。私の隠れ家的スポットだよ。書店巡りで疲れたときは休憩していくの」
私はその足でカウンターに行くと、顔見知りのマスターに話しかけた。
「ブレンドコーヒーと、甘さ控えめのホットココアひとつずつお願いします」
「はいよ」
注文を済ませると、近くのテーブル席に座った。
ちなみにこの場合、コーヒーが私で、ココアが久家くんの分だ。外で見た彼の顔色は真っ白だったので、体を温めるものを飲ませて落ち着かせた方がいいと判断したのだ。
久家くんは座ってから動かなくなった。テーブルの木目を見つめてぼうっとしている。
彼の心の傷がどれほどのものかはわからないが、よほど傷ついたんだろうなぁ。
しばらく彼をそっとしておくことにする。
ふわぁとカウンターのある方向からコーヒーのいい匂いが漂ってきて、そのアロマに私の体の緊張が解きほぐされていく。
本格的なコーヒーってんまいんだよ。普段飲みはできないけど、たまの贅沢で飲んじゃう。
「ブレンドとココア上がったよ」
「はぁい」
マスターからの呼びかけに私は飲み物を取りに行く。
こぼさないようにテーブルまで運ぶと、湯気を立てているココアを久家くんの前に出した。彼の肩が小さく揺れたのが見えた。
「ココアにはリラックス作用があるから飲みなさい」
コーヒーは体を冷やしちゃうからね。今の君にはココアしかない。
久家くんはココアをジッと見つめていた。私はブレンドコーヒーになにも入れずにブラックで嗜んだ。このコーヒーにミルクを入れるのがもったいないからである。
うむ、コクと苦みが融合してお口の中がハーモニー……
「なにも聞かないのか」
ずっと沈黙していた久家くんが発した言葉に私は眉を動かして見せた。彼の視線はココアに注がれたまま。表情は未だに固かった。
──聞くもなにも、さっきの三條さんがだいたい暴露しちゃったでしょ。なにか訂正したいことでもあるの?
「話したいなら聞いてもいいけど、久家くんは聞かれたくなさそうに見えるから私からは聞かない」
正直私は他人のゴシップにはあまり興味が持てない人間なのだ。彼が犯罪をしたわけでもないし、そもそも過去の男女の話じゃないか。
あいにく私はカウンセラーじゃないので、無責任なことはなにも言えない。
私の発言で久家くんが傷つく恐れもあるもの。だから敢えて聞き出そうとは思わないのだ。
「さっきのこと、私は何も聞いてない、何も知らない。そういうことでよろしく」
なかったことにする。
私がそう告げると、久家くんはやっと私の顔を見た。
その目は捨てられた子犬みたいな目をしていた。なんだろう、私に失望されると思って怖かったのかな。
「……悪い、助かる」
手を温めようとしたのか、ココアの入ったカップを手の平で包みこむ彼の節くれ立った手が、かたかたと小さく震えているのが見えた。
まだそんなに寒い季節でもないのに、彼の体は凍えているようである。やっぱりあの時怯えていたのかな。
「私達は同士だからね! 一緒に実習を行った、医師を志す仲間ではないか! 君にどんな過去があったとしても、それだけは変わらないよ」
大学入学して以降、私たちの周りではいろいろあったけど、その度に君は私の味方をしてくれたじゃないの。地味に感謝してるんだよ私は。
実習でも力を合わせてきた。私たちは男女の垣根を超えた仲間だと思っているんだけど、君は違うのかな?
私が投げかけた言葉に彼は困ったように微笑む。
だけど、なんだかホッとしている雰囲気だった。
そうだった、これを言っておかなくてはいけない。
「ちなみに私は君のこと全然なんとも思ってないから安心してね! 一切男として見てないから! 彼氏にしたいとか一回も思ったこともないよ!」
ちょーっと優しくしたり親切にしたりしたら惚れちゃう人っているけど、私はそうじゃないよ。ちゃんと君の親切は受け取っているけどそれで惚れたりとかしてないから! 意識とか全然してないからね!
「私たちの間に恋愛なんて感情が生まれる訳がないもんね!」
安心させるためにそう強調すると、久家くんは変な顔をして煮えきらない様子だった。
あれ、もしかして要らぬ言葉だったかな? 自意識過剰過ぎた?
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