森宮莉子は突き進む。 | ナノ
彼の過去の影
「森宮さん。今日はサークルの日だったのか」
不定期土曜開催の教養サークルが終わり、大学の門を超えたところで後ろから久家くんに呼び止められた。
「うん、久家くんは今帰り?」
「あぁ」
運動部の活動帰りだったのだろうが、そうとは感じさせない涼やかな雰囲気はいつもと同じだ。ちょっとくらい男むさいところがあってもいいのに、そういうところを感じさせないからすごい。
「久家くんって汗かいたりしないの?」
「かくに決まっているだろう。部活後にシャワー浴びてきたからそう感じないだけじゃないのか」
「ここってシャワーあるんだ?」
「泊まり込みで実習する学生はよく利用しているぞ。実習グループで泊まり込みすることがなかったから、君は知らないのか」
初めて知ったよ。医学部キャンパスの一区画にシャワーブースがあるんだってさ。ついでに仮眠室もあるらしい。
「ちょっとしたネットカフェみたいだね」
「でもぐっすりは休めないから、家のほうがいいと思う」
飲み物とパンの自販機が構内にあるし、大学の外にはちょっと歩いた先にコンビニがあるから、大学で泊まり込みしても問題なさそうだと思ったけど、久家くんが極力オススメしない的な事を言っていた。
仕切りがあるだけで、物音やいびきで目が覚めるし、仮眠室で使用しているマットや毛布、枕から変な臭いがすると教えられたのだ。それは……確かに嫌だな。
「もう帰るのか?」
「ううん、これから古本屋街に向かって、役に立ちそうな本を漁る予定」
帰るには早い時間だし、明日は日曜だ。帰りが多少遅くなっても大丈夫なので、じっくり本を物色しようと思っている。
古本屋街のあの独特の雰囲気が好きなので、私は時間を見つけては出かけることが多い。
あそこにあるものは総じて古い本なので保存状態に差はあるけど、たまに掘り出し物を見つけることがあるし、なによりも安く手に入るのが私にとってはありがたいことなのだ。
「森宮さんは紙派か」
「勉強用はね。新品の本は高いし、電子書籍は長時間読むと目が痛くなるから」
視力の低下は避けたいし、電子書籍だと集中力が途切れちゃってどうにも。拡大できるのは便利なんだけど、私はやっぱり紙の本の方が好きだ。
「…ならそこまで車送ってやろうか? 俺もついでに本を探したいから」
「ほんと? いやぁ悪いねぇ助かるよ」
久家くんは変な下心を感じさせないから安心できるよ。
そんな流れで、私は土曜の昼下がりに久家くんと一緒に古本屋巡りをすることになったのだ。
車で古本屋街と呼ばれる街近くまで送ってもらうと、私は早速店に特攻して本を漁った。
こういう場所はだいたい雑にカテゴリ分けされているため、発掘する必要がある。
自分の手が届かない位置にある本は、年期を感じる木製の踏み台に登って手に取る。なので早速いつものように踏み台に足を乗せたら久家くんに危ないからと止められ、彼が代わりに取ってくれた。
「そこの赤い背表紙となりの本を取ってほしい」
「これか」
めぼしいものを取ってもらい、パラパラめくる。
うーん、これは違うな。
取ってもらっては軽く目を通して、元に戻してもらう。いいように久家くんをこき使って本を発掘していた。
「あーっ、莉子ちゃん先生、彼氏いるじゃん! 騙されたー!」
ちょっと気になる本を見つけたので、よくよく内容を確かめていたところで姦しい女子中学生の声が耳に突き刺さった。
誰だ、古本屋で騒ぐ馬鹿者は。
店の入口を見ると、そこには私服姿の女子中学生の姿……真歌の家庭教師先の女の子が仁王立ちしていた。
つい先日まで肩代わりで代理家庭教師していたけどその期間も終わり、役目を真歌にお返ししたばかり。もう会わないだろうと思ったらまさかの再会である。
彼女はころころよく変わるその表情で、私に怒りに似た感情を向けると、続いて久家くんには見惚れるような仕種を見せていた。
「指ささないの。この人はただの同級生だから」
「えーじゃあ彼女いないんですかぁ? イケメンなのにー」
女子中学生といえど侮る勿れ。最近の中学生は進んでいるからな。この子はその早熟さと中学生特有の無謀さが混ざって厄介な性格をしているので、止めなきゃグイグイ来るから要注意だ。
女子中学生の視線に久家くんはたじろぐ。なので前もって私が彼を守るように壁になった。
「はいはい、中学生はお家に帰りなさい。受験が迫ってるぞ! 公立落ちたら小遣い減らすってお母さん言ってたでしょ、頑張りなさい」
「えーっなにそれぇ!」
私があしらうと、彼女は不満を全面にだして地面をだしんだしんと踏み付けていた。落ち着きのない子である。
「ていうか土曜の夕方になにしているの? 受験生だよねあなた。高校受験は迫っているのに遊んでいる暇があると思ってるの? 宿題はやったの?」
「うわぁ説教ウザァ。そんなんだから莉子ちゃん先生には彼氏がいないんだよぉ」
「コラァ! 人がせっかく……」
私が注意すると、説教は聞きたくないとばかりに彼女は捨て台詞を吐き捨てて脱兎のごとく逃げていった。
それに私はため息をつく。
「全く生意気なんだから。こっちは心配して言ってやってるってのに」
「ふふっ……」
腕を組んで私が吐き捨てると、後ろで笑う声が聞こえた。
くるっと首を回すと、久家くんが口元を押さえて笑っているではないか。……久家くんの笑う姿ってそういえばレアな気がする。
「笑い事じゃないぞ。私は暴言を吐かれた後なんだからね」
「いや……あれは親しみもあっての甘えも含まれてると思う」
「どこがよ」
家庭教師の時給発生しないのに教え子の相手する羽目になって、挙げ句の果てに憎まれ口を叩かれてるんだからな。
私が可哀相だとは思わないのかね。
「君はいい先生なんだろうな」
「そう? ノリ悪いってよく言われるけど」
勉強はきっちり教えたので彼女の中間試験の成績は上がったそうだけど、最後の最後までノリが悪いと言われ続けたな……
中学生相手にして思ったのは、きっと私は思春期外来は向いてないなってことである。自分の思春期ってどんなんだったっけ? と悩んだ家庭教師期間だったよ。
めぼしい本を数冊購入することにして、私は狭い店の隙間を縫ってお会計しに行った。購入後は品物を手に、店の外で待っているであろう久家くんの元に向かった。
そういえば彼はちっとも本を探していないな。
ずっと私が本を選ぶのを付き添っていたような気がする。目を離せば私が踏み台から転落するとでも思っているんだろうか。私はそんなドジっ子ではないというのに。
店の外には彼の姿があった。こちら側に背を向けた形で立っていたので声をかけた。
「久家く──」
「久しぶりね、拓磨くん。大きくなったわね、あの頃より男らしくなって……」
なのだが、私の呼ぶ声は別の人の声に掻き消されてしまったようだ。
誰と話しているんだろうと覗き込むと、久家くんは見知らぬ女性と向かい合っていた。
歳はおそらく25歳前後で、大人っぽくて綺麗な女性だった。彼女はフレンチネイルが施された指で髪を後ろに払うと、赤い口紅を引いた口元に弧を描いた。
それが妙に艶めかしく見えて、私は一瞬ドキッとした。
「私が大学3年の時だったから、あれから5年かしら? 今は大学何年生?」
「……2年です」
「じゃあもうすっかり大人の男になったのね。あの頃はまだあどけない中学生だったもの……後ろのお嬢さんは、拓磨くんの彼女?」
「!」
私の存在に気づいた女性が指摘すると、久家くんが焦った顔をしてこちらを見てきた。
知り合いと話が盛り上がっているなら、私は先に帰るけどと言おうと思ったけど、その時の久家くんの顔色が悪かったものだから考え直した。
彼は目の前の女性に怯えている……?
「どうも、K大学医学部医学科2年の森宮莉子です。久家くんの同級生になります」
ここは私が介入するべきかと思ったので自己紹介しながら二人の間にさりげなく割って入っていく。
「ご丁寧にどうも。私は三條十愛。拓磨くんが中学時代の家庭教師だったの」
「あ、そうなんですね」
家庭教師か。
それにしては何でこの二人の間には妙な空気が流れているんだろう。
「拓磨くん、医学部に入れたのね。今更だけどおめでとう」
「…ありがとうございます」
お祝いの言葉にも久家くんは表情を強張らせていた。
私が注意深くばれないように観察していると、気づいたことがある。
彼は力いっぱい拳を握りしめているのだ。
「拓磨くん」
ただ下の名前を呼ばれただけ。
それなのに久家くんは大袈裟にビクッと反応していた。
「憶えてる? あの日のこと、ちょうど今くらいの季節だったわよね……拓磨くんが固まっていたのを私がリードしてあげたのよね」
その言葉は含みがあった。
深読みするのにちょっと時間がかかったけど、遅れて色事が含まれていると気づいた。
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