森宮莉子は突き進む。 | ナノ
苦学生の苦悩とパンダ痣
大石さんは私と同じ医師という道を志す仲間で、実習ではグループをリードしてくれた頼りになる人だった。彼女のおかげで、実に有意義な期間を過ごせた。
そんな彼女が風俗で働いているのだと本人の口から告げられて、私はショックを隠せなかった。
「……普通のバイトは給料が安すぎて、お金が足りないのよ。森宮さんにはわからないよ。大学に通うのにどれだけお金がかかるか!」
私の反応をどう受け止めたのか、大石さんが早口で言った。
それで我に返った私は首を横に振る。
そんなことない。私は医者を志すと決めてすぐに医者になる方法から、かかるであろう費用について調査していた。
どれだけの費用がかかるのかは前もって理解していた。
自分の家の家計状況、親が働けなくなった場合の対策、妹の学費確保のためにどうするべきか考えた結果、特待生という道を選んだのだ。
「わかりますよ。だから私は必死になって特待生の枠を……」
「かかる費用は学費だけじゃないんだよ! 私は一人暮らしをしているからその費用も稼がなきゃならないの!」
それも知っている。
確かに私は大石さんのように自分で出しているわけじゃない。大学の特待生制度を利用して学費は免除してもらっているし、その他の費用や生活費は親に甘えて、自分は勉強だけに集中できている立場だから彼女とは立場が異なる。
でも側で真歌が頑張る姿を見てきたから、大石さんの苦労は理解しているつもりだ。
「優秀なあなたと違って、私は特待生になれない。しかも単位が足りなくて留年してしまった! 更にお金がかかっているのよ!」
ビリビリと彼女の怒鳴り声が建物に反響した。
だけど夜の繁華街は、音楽や呼び込みがひっきりなしに響き渡っている。車やバイクの出す音もあちこちから飛んで来るので、彼女の声で誰かが寄って来ることはなかった。
「バイトしながら学業を両立するのはとても大変なことなのよ!? 学費と食費と生活費すべては奨学金だけじゃ賄えないし、生活を維持するためにはこれしかないのよ」
ぼろり、と大石さんの目元から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「親には頼れないし、こうするしか」
「でも、この働き方じゃ大石さんの体を傷つけることになるんじゃ」
その姿がひどく傷ついているように見えて、私は口を挟まずにはいられなかった。
現にお客だった相手に脅されていたじゃないか。さっきの男はおそらく脅してただで行為をさせようと企んでいたのだ。
私が乱入したから逃げて行ったけど、今後もあぁいうのはいくらでも現れると思う。再び出現したらどうするつもりなのだろう。
大石さんだって本当なら、その仕事をしたくなかったんじゃないだろうか。お金の為だと割りきろうとしても、お金と引き換えに自分を傷つけて行くだけでは……
「私の立場になっていないのに偉そうにお説教しないでよ! 体を売ってお金を稼いでいた私のこと軽蔑しているんでしょう! だからそんな上から目線で物が言えるのよ!
しかし私の言葉がカンに障ってしまったようで、大石さんに怒鳴り返されてしまった。
そんなつもりはなかった。軽蔑するわけがない。ただ、彼女が傷ついていると思ったから出た言葉なんだ。
でもそれは彼女からしてみたらプライドを傷つけられたと受け取られてしまったのだろうか。
ちょっとのバイト経験しかない私には、それ以上のことが言えなくて沈黙するしかなかった。
この状況を変えるためにもっと割のいいバイトはないかと考えたけど、きっと家庭教師の時給よりも、こうした性産業のほうが収入がいいのだろう。
彼女の抱える問題を解決する術を私は持ち合わせていない。それが歯痒い。
「ちょっと前にあなた、私の首周りの引っかき傷について聞いてきたよね。あれはね、客につけられたキスマークが気持ち悪くて引っかいて上書きしただけよ。好きでもない男に舐め回されるその気持ち悪さがあなたにはわかる?」
わからない。
私には性行為の経験がないからなにも返せない。
「この仕事なら学業に専念できるし、今まで買えなかった洋服を買う余裕もある。だから……これで、これでいいのよ」
大石さんは怒っているように見えて、その心の裏では嘆き悲しんでいる気がした。
自分に強く言い聞かせて、心を押し殺しているだけにしか見えないけれど、彼女は自分の意志でその道を選んだのだ。
ここで止めたとしても、私にはその責任が取れない。
私はただ、仲間が傷つく姿を見ているだけしか出来ないの……?
「森宮さんは私とは違う。だから私に関わらないほうがいい」
「大石さん……」
すっと大石さんが私から離れる気配がしたので、反射的に腕を伸ばしたが彼女に避けられてしまった。
「病院、行ってきなさいよ。怪我の後遺症とか残っていたら目覚め悪いから」
ずくんと目元の痛みを思い出した私は殴られた患部を手で押さえた。そうだ、殴られたんだった。思い出すとじくじく痛みがぶり返してきた。
ばたん、と閉ざされる扉の音が聞こえて顔を上げると、大石さんの姿は消えていた。
これ以上の対話は必要ないとばかりに。
大石さんに心を閉ざされた音にも聞こえた。
◇◆◇
それからどうやって帰宅したのかおぼろげにしか覚えていない。
家に到着したら、そのまま部屋に直行して寝たので翌朝、私の顔はすごいことになっていた。
身と心の疲労感がひど過ぎて手当どころじゃなかったのだ。
朝起きて洗面所の鏡を見ると、パンダみたいに目元には大きな青タンが出来ていた。
これはひどい。
しかし朝から講義が入っているので病院にはいけない。
殴られたことによる疼痛はあるけれど、目が見えないとかそういうのはないので様子見でも大丈夫な気がする。
家にあった眼帯で痣を隠そうとしたけど、痣の範囲が広すぎて隠せていなかった。
私の顔は目立った。眼帯の白色が余計に目立たせているのだろうか。
通学途中、いろんな人にチラ見された。
その視線を気にしないふりしながら大学に出てくると、医学部キャンパスの前で久家くんと遭遇した。
彼は私の顔を見るなり、目に見えてぎょっとした顔をすると、シュバッと私に接近してきた。
「森宮さん、どうしたんだその怪我は!」
久家くんの素早さに驚いて固まっていた私は、何も考えずに殴られたと言いかけて、ぐむっと口ごもる。
「も、ものもらい……」
「そんな訳がないだろう」
医者の息子の目はごまかせなかった。嘘はすぐにバレてしまった。
久家くんは私に外していいか確認することなく、眼帯を外してきた。
そして険しい表情で患部を観察して鋭い目で睨みつけてきた。
「……誰に殴られたんだ」
それはもう確信の問いかけなのよ。
しかも私の表情の変化を見逃さぬように凝視するオプション付き。
「えぇと、ドアにぶつけて」
「嘘だろう。ドジでぶつけたとしてもこんな風にはならないはず……病院は?」
ごまかされてくれなかった。
久家くんはなにかを察して一歩下がってくれそうだと思っていたけど、それは勘違いだったようだ。
医者の息子の血が騒ぐのだろうか。いや、勘?
「行ってない。夜遅かったし、救急病院に行くほどじゃないと思って」
「何をしているんだ。目と脳が近い場所なんだ。今は良くても後で影響が出るかもしれない」
まぶたが腫れ上がってるから視界が悪いけど、眼球には異常感じないんだよ。講義受ける分には問題ないと思って。
「なにがあったんだ?」
久家くんの涼やかな瞳が私を探るように見つめて来る。
だけど私は頑張って表情を変えなかった。
言わない。
言ったら誰に殴られた、どこで殴られたって話になるでしょ。そうなれば、大石さんのバイトのことがどこからかバレてしまうかもしれない。
だから言えないんだ。
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