森宮莉子は突き進む。 | ナノ
耳を疑いたくなる言葉
大学の夏休みが明ける前のとある日、珍しく真歌から直電があった。
なにか緊急事態かと思ってすぐに受電すると、私がもしもしという前に真歌が『莉子ー!』と叫び、電話口で矢継ぎ早に話しはじめた。
『莉子、大変なの! 居酒屋の店長が椎間板ヘルニアで腰やっちゃったってー!』
病状は手術する程じゃないけど、しばらく安静にする必要があるらしい。よって店長が一ヶ月くらい不在になるそうで、カバーのため真歌のシフトが増えたそうだ。
他の社員やバイトが穴埋めするけれど人手不足は否めないらしく、これからしばらく忙しくなるのだと愚痴られ、私は「あらー」と間の抜けた声しか出せなかった。
『莉子、一生のお願い。家庭教師のバイト肩代わりしてくんない!?』
タイミングが悪かった。これが夏休み序盤ならよかったが、もうすぐ2学期が始まるところなのだ。2学年のハードなスケジュールに加えて、居酒屋のシフトが増えた上で掛け持ちしたら自分はまた去年のようにぶっ倒れてしまう。下手したら留年もありえる! と真歌は嘆いていた。
仮に追試になったとしても、追試の内容はさらに難しくなっているらしい(追試を受けた琴乃からの情報)ので、時間に余裕のない真歌には死活問題だろう。
だからと言って、いつもお世話になっているバイト先を見捨てられないし、自分も大学に通いつづけるためにお金を稼がなくてはならない。困ったことになったと慌てた真歌は私に救いを求めて電話してきたというわけだ。
「期間は? 一月だけでいいのね?」
『うんっ! 大丈夫です!』
「仕方ないなぁ。じゃあ後で今の学習の進捗状況送って。それと予定表、先方へは真歌から連絡してね」
『もちろんだよぉ! ありがとう、サンキュー、ダンケシェーン!』
感謝の言葉が重複しているが、真歌もテンパっているんだろう。
通話を切るとスマホでカレンダーを確認する。新学期まであとわずかだ。
開きっぱなしの教科書を見下ろした私はため息を吐き出すと、それを閉じた。
直後、ピコンとスマホから通知音が鳴り響き、POP表示をタップすると、家庭教師先で現在進めている内容が送られてきた。
そうか、あそこの家の子は今年受験生なのか……進学希望先は平均値程度の公立校志望だからそこまで追い詰めなくてもいいけど、本人があんまりやる気がなさそうだったからなぁ。
だからといって強制して勉強嫌いにさせたら元も子もないし、前向きに取り組ませるにはどうしたらいいか。…よし、家庭教師用のプリント作る作業しなきゃな。
◇◆◇
2学期が始まると、慌ただしい毎日が始まった。
真歌のバイトの一部を肩代わりしている最中ではあるが、週に2日程度の家庭教師だ。去年の居酒屋バイトに比べたら体力的に問題ない。
「中学生ってある意味最強だよね」
「あは、莉子でもてこずるか」
「私自体が中学時代同級生と馴染めなかったタイプだし、うちの妹とも違うタイプだから扱い方に苦慮してる」
「なっちゃんは悪い子じゃないんだよ。今時の子なだけで」
真歌は家庭教師先の生徒と割とうまくいっているみたいだ。
私も生徒と別に仲が悪い訳じゃないけど、向こうからノリが悪いとブーイングを受けることが多々ある。そんなこと言われても大学生に中学生のノリしろっていうのは無理だよ普通に。
だってあの子、面白くないことでケタケタ笑い出すじゃない。ついていけないよ。まさに箸が転んでもおかしい年頃である。
「あ……」
私と真歌の会話を聞きながら微笑んでいた琴乃がなにかに気づいた様子でどこかへ視線を送っていた。
急に立ち止まった彼女に私と真歌がどうしたの? と振り返ると、琴乃は別の人を気にしているようだった。琴乃が見ていたのはひとりの女子学生の後ろ姿だった。
ブランドに関心のない私だが、若い女性がよく持っているものだったので人目でわかった。ブランドの鞄を持つその人は、髪をキャラメル色に染めてお洒落なワンピースを着ている。靴は秋色のパンプスを履いていた。
それらもすべてブランドだろうか。少なくとも私には手の届かなさそうなものばかりだ。
この医学部にいる学生はもともとお金持ちのお家の子が多いので、ブランドを身につけている人は珍しくとも何ともないのだが、琴乃は彼女のことが気掛かりな様子だ。
……誰かな。同じ2学年の人?
「大石さん、今日も顔色が悪いわ。……追試期間中も気鬱気味だったけど、顔色を隠すかのように化粧が濃くなっているのよ」
「えっ?」
私は耳を疑った。
大石さん?
私の知っている大石さんは慎ましい格好をした……そう、それこそ私と同じシンプルさ重視な人だったはずなのに……夏休みの間にイメチェンでもしたのだろうか?
「へぇ、なんか急に派手になったよね。彼氏でもできたのかな」
後ろ姿だけだけど、以前の彼女とは別人に見える。大石さんの激しいイメチェンに対して真歌は、男が出来たから服の趣味が変わったんじゃないかと読んだ。
確かに、彼氏が出来たとたん様変わりする女の子は多い。高校時代も彼氏が変わる度にメイクや持ち物が変わる同級生がいたので、その可能性もある。
「私も最初はそう思ったの。大石さん、綺麗になったと思う。だけど……なんかそれにしては様子がおかしい気がして」
……でも。
大石さんは真歌以上の苦学生のはず。その服も靴も鞄もどうしたのだろう。大学生が出来そうなバイトで稼いだお金で買ったにしても、生活費とか学費はどうなっているんだろう。彼氏に買ってもらったとか?
しかし、琴乃はそうではないなにかを感じているらしい。
私も夏休み前のやり取りを思い出して、なんだか不穏な空気を感じた。
◇◆◇
「莉子ちゃん先生って彼氏いるの?」
「いるわけないじゃん。特待生として医学部上位の成績維持しなきゃいけないだからー」
男と遊んでいる暇があったら、勉強してるよ。
生徒が解いた小テストの丸つけをして、間違っている場所に簡単に解説をつけておく。あとで見直しして復習してくれるといいんだけど、もうすでに集中力途切れてるよこの子。
「えーつまんないのー」
「つまんなくてけっこうでーす。早く次のプリント解いてー。中間試験もうすぐでしょー」
生意気な生徒相手の家庭教師の授業を2時間きっちり終えると、私は早々にお暇した。
家庭教師先の親御さんはお茶菓子を出そうとしてくれるけど、その時間は時給がでないので辞退させてもらっている。あの家庭訪問みたいな空気感にめっちゃ気を使うので苦手なのだ。
家庭教師のバイトは時間給のみで交通費は出ない。数百円ではあるが気持ち的に交通費を節約したい私は、定期を使って帰れる区間の最寄り駅まで歩いて帰ることにしている。ちょっと夏休みぼけが抜けなくて体が鈍っている感じがするから運動も兼ねてだ。
時刻は21時を回っているため、もう外はとっぷり真っ暗になっているが問題ない。家庭教師先のある住宅街を抜けると、ちょっとした繁華街に出るので、人通りも多くなるのだ。
ちょっとした路地に入り込んだら大人向けのお店が増えるのでそちらの方には足を踏み入れてはいけないけど、表を通りすぎる分には問題ない。
「いいのか? こんな仕事してるって大学にバラされても」
「……」
「ほら来いって。そこの路地裏でもいいからさ」
今日も脇目を振らずに繁華街通りを突っ切るつもりだったのだが、通りすぎ様に不穏な会話が聞こえたので私はぐるっと首を回した。
建物の裏口横の自販機の横で、女性が男性に腕を引っ張られていた。
「いや……はなして」
薄着の女性はそれに抵抗しようとしていたが、男の力には対抗できないようで、バランスの悪いヒールの靴でよたよた危ない足取りで引きずられていた。
嫌がるその声は怯えが滲んでおり、私はその声に聞き覚えがある気がした。心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
まさか、そこにいるのは──…
「医大生だって聞いて驚いたよ。ああいうところって厳しそうだからこういうバイトしてたってバレたら退学になるんじゃない?」
自動販売機の明かりに照らされたその髪色はキャラメル色。化粧で雰囲気は変わっているけれど、わからない訳がない。着ている薄っぺらいワンピースは下着にも見えた。なんでそんな格好で、こんな場所に……
「それに、売春してるって知られたらどうなるかなぁ?」
彼女を脅すように、ニタニタと嫌な笑みを浮かべた男は、イヤらしい仕種で彼女の太ももを撫であげて、スカートの中に手を差し入れていた。
「……金を払わなきゃ相手にしてもらえない癖に、ふざけないでよ!」
屈辱に耐え切れなくなった彼女は男の手を振り払い、反抗してみせた。しかしそれは悪手だったようだ。
図星を突かれたらしい男はぐわっとその表情を怒りに変えた。
「んだとこの…! 金出せば股開く女が偉そうに!」
「キャッ……!」
激昂した男に手を上げられた彼女は自分の頭を腕で庇って身を縮めていた。
だめだ、それじゃ殴られてしまう……!
「大石さん!!」
ガツッと人体が出してはいけない音が鳴った。
力いっぱい男の拳で目元を殴られたせいで目の前がぐわんとした。目の前が真っ赤になって、視界はチカチカと反転する。脳が揺さぶられてふっと意識が吹っ飛びそうになったが、それをなんとか堪えた。
私は、大石さんを背中に庇って、女相手に拳を振り上げた男を睨みつける。
「な、なんだよいきなり入ってきたそっちが悪いんだろ!」
「力の差がある相手を暴力で支配しようとした人間の言い分じゃないね! あっちょっと、待て!」
「追わないで!」
私の登場に怯んだのか、男が慌てて逃げようとした。私は相手を捕まえようとしたのだが、それを後ろから大石さんに止められた。
私は大石さんと逃げる男を交互に見比べ、ぐっと歯噛みする。
まさかあの男を庇うつもり? どんな理由があったにしても暴力に走った時点で負けだと言うのに。
「あれ彼氏ですか!? 別れた方がいいですよ!」
あんなの相手にしてたら、いくつ身があっても持たないよ。いくら金払いが良くても、それで幸せになれる保障は……
「客なの。あんな奴、彼氏なんかじゃない」
「……え?」
私は反応が遅れた。
客? えぇと、それは……
私の理解が追いついていないと気づいた大石さんは自嘲していた。
「店のお客だから。……私、風俗店で働いているのよ」
その単語の意味することを、私は知っている。
それなのに、目の前の大石さんがそういうお店で働いているということが想像できなくて、しばし呆然としていた。
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