森宮莉子は突き進む。 | ナノ
医学の発展のために
解剖実習は肉眼で観察して学ぶことに対し、組織実習は顕微鏡で見て学ぶ。
組織実習では、さまざまな臓器をスライスしたものを顕微鏡で観察、スケッチした。膨大な量の課題スケッチをこなし、各構造の名称と働きを学んでいくのだ。
どちらの実習も精神的体力的に疲れた。たった数ヶ月間の実習だけど、濃密過ぎる時間を過ごしたと思う。
しかしこれらは3年次以降に学ぶ疾患の知識を理解する上で基礎となることをまとめて学べる機会。
机の上で勉強するよりも吸収できたと思う。
解剖実習は解剖だけでなく、解剖用語の暗記(日本語と英語の両方)テストと、ご献体を参考にしながら行われる口頭試問がある。
解剖用語の暗記では大学入試では絶対に見ないような長い単語も出現する。1回のテストで300、400単語を覚えることになるのでそれだけでも大きな負担だ。
口頭試問では、先生と自分が一対一の対面方式で行うテストで、先生が指示した構造物を自分の担当したご遺体から見つけて、それに関する質問に答えていく形式なので、緊張感ハンパない。冷や汗をかきながら解答すること必至である。
約3ヶ月間の解剖実習の期間中にその試験を2セット行うが、猛勉強した結果、私はなんとかクリアした。
「流石、特待生なだけあるね。森宮くんは用語テストも口頭試問も完璧だったよ」
「ありがとうございます」
「皆も置いて行かれないよう、精進するように」
みんなの前でベタ褒めされてちょっと照れ臭かったけど、誇らしかった。自分の努力が認められたって事だもの。
「すごいね、森宮さん」
「いやぁ、大石さんと同じ班になれたから、実習もスムーズに行けたし、テスト勉強に時間を費やせたんですよ」
大石さんにも褒められたので、私が結果を出せたのはあなたがリードしてくれたおかげだと言うと、大石さんはなんだか複雑そうに笑っていた。
どうしたんだろうと思っていると、彼女は自嘲するように笑った。
「……なんでも吸収して、発揮する天才肌って本当に存在するんだね。嫉妬しちゃいそうだな」
「そんな。私はただのがり勉なだけですよ。中学校のころは会話しててもつまらないと評価されてましたし、高校時代もずっと勉強ばかりしてて」
もしかして私の謙遜を悪い方向に受け取ったのだろうかと慌ててフォローしたが、あんまりフォロー出来ていない気がする。
そうだった、この人は単位不足で留年したんだった。特待生という存在にコンプレックスを抱いていてもおかしくない。
「色目でも使ったのか?」
横からかけられた言葉に、目に見えてビクッとしたのは大石さんだった。
私はそれに違和感を覚えたがそれはほんの小さなもので、すぐに消え去った。
「口頭試問は一対一でやるもんな。お前教授となにしていたんだよ」
「遺体の前で色仕掛けでもしてたんじゃねぇの?」
「マジかよー」
どうやら、他のグループの男子学生が私に喧嘩を売りにきたらしい。
多分、私が教授に褒められたのが気に食わないのだろう。
無駄にプライドが高いのに実力がついていかない現状にイラついて、私に八つ当たりしにきたってところだろうか。
「ハァ?」
私は心の底から目の前の人物を馬鹿にするような態度で聞き返してやった。
私の反応が期待していたものと違ったのか、男子学生達はしかめっ面をしている。
「ちょっとなにそれ! 莉子が不正をしているみたいな言い方して!」
それを聞きつけた真歌が間に割って入って私を庇おうとしてくれた。琴乃も、男子学生を軽蔑するような眼差しを向けて私に寄り添ってくれる。なんて友達想いな子たちなのだろう。
「それは下手すれば彼女と教授に対する名誉毀損になるが、君達は発言の責任を負う覚悟はあるのか?」
それに加えて口を挟んできたのは久家くんであった。
ご遺体を取り扱う場所ということもあり、実習に使われる解剖室には防犯のための24時間監視カメラがある。それを確認すればわかることだ。私の無実を証明するのは容易いことである。
「な、なんだよ……久家お前、その女庇うのか?」
「名誉毀損とか訳分かんねぇし……大袈裟じゃん」
彼らは久家くんに指摘されたことに動揺しているのか、半笑いを浮かべていた。
一方の久家くんはそれにニコリともせず、冷めた眼差しを眼鏡越しに送っていた。
「そんなくだらないこと言っている暇があったらさっさと英単語の一つくらい覚えたらどうだ。君らの謙虚さのないそういった態度が、同じグループ仲間の足を引っ張っているって自覚したらどうなんだ?」
それでその男子学生達は周りから微妙な目で見られていることに気づいたのか、言い返すこともなく、逃げるように立ち去って行った。
もしかして足引っ張ってる自覚でもあったんだろうか。
同じグループに足を引っ張る人間がいたら、その分遅れが生まれて自習に当てる時間が無くなるものね。
「ありがと」
庇ってくれて、と真歌、琴乃、そして久家くんにお礼を言うと、真歌は「あいつらの態度が腹に据えかねてたから、便乗してやろうと思っただけ!」と鼻息荒く吐き捨てていた。真歌は彼らと同じグループだから、色々思うところがあったみたいだ。
琴乃は小さく笑って私は大したことはしてないと首を横に振っていた。
「あいつらの発言があまりにも頭の悪い発言だったからな。思わず口を挟んでしまった。さっきのは女性である君に劣等感を抱いているんだ。男尊女卑とは別の理由で、女性に負けるのが悔しいのだろう」
久家くんは同じ男としての立場で彼らの心情を推測していた。
が、私としてはそんな理由で当たられても困るので、納得は出来ないし、許したりもしない。
「それなら私よりできるようになればいいのに。ただの逆恨みじゃない」
バイトで勉強時間が捻出できないとかじゃなくて、彼らの場合は単なる努力不足じゃないの。1年の時と同じ感覚で遊び回っているから、ついていけていないだけじゃないのか。
慢心した自分が悪いのに、何故私に当たるのか。自分を恨めばいいだけのことなのに。
「そう簡単に言ってくれるな。出来ないからあんなこと言ってきてるんだから」
私がわざと肩を竦めると、久家くんは苦笑いを浮かべていた。
「森宮さんは自分のことだからわからないかもしれないけど、君は才能がある。他の人間が苦労して得るものを君は簡単に取得してしまうところがあるんだ。それを前にして妬むな、僻むなって言うのは無理な話だ」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんだ」
褒められたようで窘められたようなそんな気分である。
私は別にそんな大層な存在じゃない。ただひたすら勉強して今に至るだけだ。それによってもたらされた結果を見た周りの人たちが心折ることになっているというなら……どうしたらいいんだよ。
幼稚園児じゃないんだ。みんな一緒にゴールなんて時代はとうに過ぎている。私はレベルを周りに合わせる気は一切ないぞ。ここは医学部だ。将来人の命を支える人間が学ぶ場所なのだ。劣等感は自分との戦いなので自分でどうにかしてほしい。
私が納得できてないように受け取ったのか、久家くんは苦笑いしていた。
実習期間は仲のいい友人よりも、グループのメンバーと関わることが多く、この久家くんとも会話が増えた。私のことを仲間と認めてくれている空気もあり、一緒に作業するのもやりやすかった。性別の垣根を超えて、一人の医学生として同じ道を志す同士として扱ってくれていたと思う。
ここに来て初めて彼との仲間意識が生まれた気がする。
解剖実習が終わると大学主催の元、遺骨返還式が執り行われた。
ご遺体はすべて荼毘に付され、真っ白な骨箱におさめられた。祭壇にずらりと並べられたその光景は圧巻の一言。こんなにたくさん、医学の発展のために自らのご遺体を提供してくれたんだと考えると胸にくるものがある。
式には大学関係者のほかに、ご遺族が参列していた。献体となられた人が生前からその意志を表明しており、ご家族もそうなると覚悟した上で大学へ献体したからか、悲しんでいる様子の人の姿はなかった。
学生一人一人が献体となってくださった方々にお花を手向けて感謝する。
この日初めて、ご献体となってくれた方のお名前を知ることとなる。
私は自分が担当したご献体のお骨箱に向かって頭を下げて、「ありがとうございました」と手を合わせた。
あなたのご厚意のおかげで、教科書だけでは学べないことをたくさん学べた。私は大勢の人を救う医師になってみせます。
未来の医師になる学生達のために、ご厚意で体を寄贈してくださった方々。
こういった方々のおかげで、医学部の教育は成り立っているのである。
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