森宮莉子は突き進む。 | ナノ
一度染み込んだ癖は抜けないということで
「はじめまして、市脇さんの代理で伺いました森宮莉子と申します」
市脇さんが担当している家庭教師先の生徒は女子中学生だった。週2日程度、英語と数学を教えているそうだ。
前もって代理でやってくると伝えていたので、お家の人と生徒さんには簡単に挨拶を済ませたあと、早速仕事に取り掛かる。作ってきた問題のプリントを生徒さんに解くように指示した。
「森宮先生も医学生なんですかぁ?」
「そうですよ」
「大学にかっこいい人っていますぅ?」
「勉強に関係ない質問は受け付けません。問題を解きましょうね。時間は有限ですから」
勉強以外の質問をして来る生徒さんに注意すると、彼女は「ノリ悪いなぁ」とぼやいて、渋々問題を解きはじめた。
年相応の生意気さはある……が、それも家庭教師する上で問題のあるレベルではない。妹と同じ年齢くらいだし、そう考えればかわいいものだ。
「わかんないよぉ、難しい」
「そうしたら一度基本に戻りましょう」
限りある時間内で、今日用意したプリントの範囲をみっちり教え込んだ。ふと気付けば時間は過ぎ去っており、生徒さんはぐったりしていた。市脇さんよりもスパルタだっただろうか。それは悪かった。
「先生、下にお茶を用意しておりますので」
「せっかくのお気遣いですが申し訳ありません、この後用事があるので」
上がりの時間になったので片付けしていると、お家の人にお茶へ誘われた。お気遣いは嬉しいのだが、私は私の勉強がしたいのでその申し出をお断りした。
自由時間が捻出できたのなら、勉強したい。今日も夕方から深夜までまた居酒屋バイトだし。
家庭教師先を後にした私は次のバイトの時間まで立ち寄ったカフェで勉強しようとテキストを開いた私だったが、市脇さんのことが頭を過ぎって集中できなかった。
私は市脇さんの苦労をわかったつもりでいたけど、実際には全く理解できていなかったのかもしれない。
廣木さんに手助けされた状況でもこんなにきつい。大学入学した頃からずっとこんな生活を続けていた市脇さんは相当きつかったことだろう。
こんな感じで土日をバイトと自分の勉強と両立させて迎えた月曜日。講義で再会した廣木さんは全身筋肉痛に襲われている風な動き方をしていた。きっと今日も早朝から定食屋のバイトをこなしてここまで来たのだろう
事後報告で、定食屋バイトを廣木さんがカバーしてくれることになったと市脇さんに連絡した後での遭遇だったので、市脇さんは廣木さんを見て複雑な表情を浮かべていた。
「あの、廣木さん……」
市脇さんから気遣わしげに声をかけられた彼女は、にっこりといつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
「おはよう、市脇さん。よかった、顔色が良くなったみたいね」
ここ最近の市脇さんの風貌の変化を影ながら心配していた廣木さんは、市脇さんの顔色の悪さが回復しているのにほっとした様子だ。
市脇さんはなんだかばつが悪そうにする。
「あの、バイトの一部を肩代わりしてくれているって」
「そうなの、いい機会かなと思ったから。普段使わない筋肉が痛くて、鍛えられている実感が沸くわ」
複雑そうな感情を浮かべた市脇さんは俯き、ぐっと唇を噛んでいた。
私にはそれがなんだか泣きそうなのを我慢しているふうに見えた。
「ごめんなさい……ありがとう」
「いいのよ。力になれたなら私も嬉しいわ」
震える声で謝罪とお礼を言う彼女の変化について廣木さんはなにかを指摘することなく、嬉しそうに微笑んでいた。
私と廣木さんによる代理バイトは約1週間で終わった。
市脇さんは今回の件でいろいろ考えたらしく、ぎゅうぎゅうに詰めたシフトをもう少し見直すことにしたそうだ。
居酒屋代理バイト最終日の上がりの時に、店長さんに今日までだからと挨拶をすると、このままバイトを続けないかと聞かれた。もちろん丁重にお断りさせていただいた。
自分は特待生なので成績維持しないと援助打ち切りになってしまう。バイトしながらはちとキツイものがある。
なにはともあれミッションコンプリート。
身軽になった気分で大学のキャンパス内を移動していると、彼の後ろ姿を発見した。
「久家くん」
呼び止めると、彼は眉間にしわを寄せて振り返ってきた。そして呼び止めたのが私であると理解すると表情を緩和させていた。相変わらず女嫌いなんだなこの人。
「先週の金曜はありがとうね」
まさか痴漢行為働かれるとは思わなくて、あの時は困った。
危うく酔っ払いの足を粉砕骨折させるところだったよ。焦っていた&気持ち悪かったとはいえ、暴力は良くないよね。久家くんが間に入ってくれたお陰で助かった。
「あとあの先輩にもうまいこと収めてもらって本当なんとお礼を言えばいいか」
あのあと酔っ払いのおじさんとあの先輩がどこに消えたのかは知らないが、丸くおさめてくれたのは間違いない。
入学から色々あったので、医学部の男性にはあんまりいい印象がないんだけど、中にはいい人もいるもんだね。
「気にすることはない。悪いのは理性を働かせられないくらい酔っ払ったあの客だ」
なかなか紳士的な発言をするじゃないか。
女嫌いの癖に、女性の危機は放っておけないそういうところはモテるポイントだとは思うけど、余計なお世話だろうから言わないでおこう。
「暗くて先輩の顔がわからなかったから、今度会ったときお礼を伝えておいてくれる?」
「あぁ構わない……そういえば、今日も居酒屋のバイトか?」
久家くんの疑問に私は苦笑いを浮かべる。
「うぅん、もうおしまい。私はこれでも特待生だから学業を最優先しなきゃ。来月試験があるから油断はできないよね」
バイトしていたのが1週間だけといえど、その間の学習が遅れているのは否めない。冬休みには別にすることもあるので、今のうちに遅れを取り戻さねば。
「莉子ーそろそろ行こう」
ぐっと拳を握って一人やる気に燃えていると、市脇さんに呼ばれた。
後ろを振り返ると、市脇さんと廣木さんが並んで立っていた。
「うん、今行く。じゃ、私はこれから3人で医学部女子会なんだ」
どこに行くのかまでは聞かれてないけど、ちょっと自慢がてら女子会なんだとアピールしてみる。
勉強しかしてこなかった私の青春。初めての女子会なので今からワクワクしているのだ。
「そう。じゃあ」
久家くんは全く羨ましそうにしなかった。そっけない返事を寄越すと、彼はすたすたとどこかへ去ってしまった。
そりゃそうか。久家くんはさりげにリア充だもんな。彼女いないけど、飲み会にサークルと大学生活をエンジョイしている。女子会程度の集まり、羨ましくとも何ともないか。
久家くんの後ろ姿を見送った後、私は方向転換して市脇さん達の元へ駆け寄った。
この女子会の主催はなんと市脇さんである。
私と廣木さんへのお礼もかねて、3人でご飯食べようと誘ってくれたのだ。会場は私がつい昨日まで働いていた居酒屋。お支払いは市脇さんのポケットマネーである。
当初私も廣木さんも遠慮したけど、あちらも何もしないわけには行かないからと押して来るので、コース料理という縛りの範囲で楽しむことに決めた。私たちはまだお酒が飲めない年齢なので、ソフトドリンク代はそんなにかからないことだし。
「ご予約の市脇様いらっしゃいましたー」
「いらっしゃいませぇ!」
元気良くお出迎えされてお客さんとして入店するのはなんか変な感じがする。席に通されたはいいが、私はどうにも落ち着かなかった。
「私コーラにする」
「私は烏龍茶で」
「えぇとじゃあ私は……」
「新規4名様はいりまーす!」
ソフトドリンクメニューを見比べて何にするか考え込んでいた私は、どこからか聞こえた来客の合図に無意識で反応していた。
「いらっしゃいませー!」
大声で叫んだ後にはっとする。
一緒にいた市脇さんと廣木さんが目を丸くしてこちらを見ていたからだ。
「ご、ごめ……間違えた……」
一週間の間に身に染みてしまったこの居酒屋のおうむ返し挨拶をついついしてしまった。顔がじわじわ熱くなって行くのがわかる。
「一週間の間にすっかり馴染んだのね」
くすくす笑う廣木さんの言葉に余計に恥ずかしくなる。
「昨日までやってたから、癖が抜けないんだよ……」
「ここ、バイト募集してるよ?」
そんなやり取りをした私たちは3人一斉に笑い出した。
お料理と飲み物が届くと、市脇さんがグラスを掲げ、私と廣木さんの顔を見て笑顔を浮かべた。
まさかこの3人で飲み会(ソフトドリンクだけど)をするとは以前の私なら想像もしなかっただろう。
「この度は多大なご迷惑をおかけしました。おふたりのご協力、ご助力のお陰でこの市脇真歌、完全復活いたしました。本当にありがとうございます!」
なんか会社の偉い人の挨拶みたいだなと思ったけど、突っ込むまい。
「ささやかながら、お礼の席を設けましたので、今晩はお腹いっぱい食べて満たされてください。それでは乾杯!」
「お疲れ様です!」
「かんぱーい!」
グラスをぶつけて乾杯すると、私たちはソフトドリンクを呷った。そしてコース料理に舌鼓を打ちながら、大学では話せないこと、今まで話さなかったことをたくさん話した。
もちろん、この場ではすべては話し切れずに、持ち越しになった話題もあったけど、私たちはまた大学で会うことになる。語り合う機会はいくらでもあったから心配はしていない。
私たちの間で大きな変化がいくつか起きた。
壁のあった市脇真歌さんと廣木琴乃さんは距離が近くなった。
そしてその日以降、私達はお互いを名前呼びするようになった
講義は合えば3人で肩を並べて受けることが増えたし、私を挟まずとも、彼女たちが話す姿を見るのも珍しくなくなった。
まだ完全にお互いを理解したわけじゃないけど、前よりもさらに理解が深まったそんな気がした。
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