森宮莉子は突き進む。 | ナノ
あなたの症状は過労ですね。
私が大学で市脇さんと一緒にいる時、廣木さんはほとんど近づいて来ない。聡い彼女は、自分が市脇さんに壁を作られていると気づいているのだろう。
市脇さんだって妬みたくて妬んでいるんじゃない。だけど自分にないモノを持っているから羨ましくて苦しくなってしまうんだろう。
廣木さんはお医者さんの娘で、市脇さんは一般家庭出身の苦学生。
私としてはふたりともそれぞれ違って、それぞれいいところがあると考えている。壊滅的に相性が悪いとは思えないので、歩み寄ればきっと仲良くできるんじゃないかなと思うのだが、それは今のところ難しそうである。
ここ最近、市脇さんは以前にも増してバイトに力を入れていた。
12月になると稼ぎ時らしく、無理なシフトを組んだその上で勉強をして睡眠時間を削っているみたいだ。
そのせいか彼女は徐々にやつれていった。私と同じ19歳なのに老け込んだように見えるのは不健康な痩せ方をしたからであろう。
「市脇さん、顔色が一段と悪いよ、少し休んだ方が」
「大丈夫、今日は居酒屋のバイトしかないから……?」
今にも倒れそうな土気色をした市脇さんがフッと力を失い、後方に倒れ込んだ。
「市脇さん!」
慌てて彼女を抱き支えると、ずしりと腕に彼女の体重がかかる。転倒を避けるべくそっと壁にもたれかかるように床に座らせた。
「市脇さん、聞こえる? 市脇さん!」
何度か彼女に呼びかけたが、市脇さんの目は閉ざされたまま。ぐったりと意識をなくしたその姿は見るからに過労状態だとわかった。
「森宮さん!」
「廣木さん、私は市脇さんを家まで送って来るから、次の講義の音声データをお願いしてもいい?」
「それは構わないけど……大丈夫?」
「多分、過労じゃないかなって思う」
廣木さんの手を借りて市脇さんをおんぶすると、私はキャンパスを出て外でタクシーを拾った。
市脇さんの住所を知っておいてよかった。なんかの拍子で住所交換しておいたのが幸いしたぞ。
市脇さんは実家暮らしなのだが、最悪お家の人がいなかったら、失礼だが市脇さんの荷物を探って鍵を使わせてもらうしかないなと考えながら到着したのは年季の入った低層階住宅だ。市脇さんはここの1階部分に住んでいて、たしか103号室だったな、と玄関前の表札を確認する。
これまた年季の入ったインターホンを押すとピンポーンと鳴る。
中からの応答を待っていると、後ろから「真歌!?」と悲鳴混じりの女性の声が飛んできた。
振り返るとそこには私のお母さんと同じくらいの世代の女性が買物袋を持って立っていた。その人は、私の背中でぐったりしている市脇さんの姿を見てさっと血相を変える。
「あ、市脇真歌さんのお母様でいらっしゃいますか? はじめまして、私は同じ大学に通う森宮と申します。彼女、講義の直後に意識をなくしてしまって。多分過労だと思うんです」
「森宮さん……娘からよくお話聞かせてもらっているわ。わざわざ連れて帰ってきてくれたのよね、ごめんなさいね」
おばさんは慌てた様子で鍵を開けると、どうぞどうぞと中へ招いた。市脇さんのお部屋は玄関入ってすぐのところ。恐る恐る足を踏み入れると、ごちゃっとした空間が広がっていた。
「この子ったらこんなに散らかして……」
おばさんは小言を言いながら足の踏み場を作って、ベッドまで誘導してくれた。市脇さんをベッドに寝かせると、ふとんを掛けてあげてこれで任務完了だ。肩の荷がやっと下りたと一息吐く。
「こんなになるまで働いて……だから医学部への進学なんて反対だったのよ」
ため息混じりの言葉に私はそんなこと言わなくても、と反論したくなったが、ご家庭それぞれに事情があるので留めておいた。
市脇さんは医師を目指したい。だから医学部に入りたかった。
しかし家庭の金銭事情もある。お金を稼ぐことは大変なことで、医学部の学費を捻出するのはとてつもない労力だ。
他人である私には説教する資格などないとわかっているから偉そうなことは言えない。言えるはずがない。
「……真歌さんは、夜どのくらい眠っていたかご存知で?」
「……私とお父さんが寝静まった後に帰ってきて朝起きる前にはいなくなっているからわからないわ」
私はそれに考え込む。
どのくらい寝ていたのだろう。
この部屋には市脇さんが寝る間を惜しんで勉強していた形跡も残っている。エナジードリンクの空き缶も机に放置されたままだ。
まともに眠らず、勉強してはバイトと大学に出ていたのだろう。
市脇さんは努力家だ。だからどこまでだって頑張れる人なのだ。
しかし、人間の体には限界がある。彼女はそれを超えてしまったのだろう。
「ん……?」
「あ、気づいた?」
しばらく考え事をしていると、市脇さんが目を覚ました。彼女はしばらくぼんやりと天井を見上げていたのだが、何かを思い出した様子ではっとした。
「講義!」
「落ち着いて。市脇さんは倒れたんだよ。講義どころじゃないんだよ。講義内容データ類は廣木さんにお願いしたから安心して」
がばりと起き上がった市脇さんをベッドに逆戻りにさせると、ふとんを掛け直してあげた。
「でもバイトが!」
彼女は再び起き上がって叫んだ。
なにを言っているんだろう、過労で倒れたんだよ? 講義とかバイトよりも自分の体を心配したらどうだ。それでも医者志望なのか?
「市脇さん、あなた過労で倒れたんだよ。バイトと大学の両立するために睡眠時間を削っていたんでしょう。あなたの体は限界を迎えているの」
少しきつめに注意すると、市脇さんはキッと私を睨みつけてきた。その瞳には涙が滲んでいる。
「森宮さんにはわからないよ! 私は大学に通いつづけるためにバイトしているの! 決して遊んでいるわけじゃないんだよ!」
心配しているのに、反発された。
誰が遊んでると言った。誰もそんなこと言ってないし、市脇さんが遊びもせずに必死になってバイトしていることはよくわかっている。
「大学に通いつづけたいなら、体を第一に考えたらどうなの。倒れて死んだら元も子もないでしょうが!」
市脇さんの勢いに流されて私の語気も荒くなっていく。
確かに私にはバイト経験もないし、特待生という立場と親の援助のおかげで学費に頭を悩ませることはない。市脇さんの気持ちを理解するのは難しいと思う。
だけど、友達を心配する権利くらいはあるでしょうが!
「だ、って、バイト休めないもん」
ぼろりと市脇さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。
彼女もいっぱいいっぱいだったのだろう。
「体調不良なのに?」
「代わりに入ってくれる人探さなきゃ、でも見つからないよ。だって今日のシフトは頼まれて代わったんだもん……」
「1人欠けたら回らないの?」
「忙しい時期なの。忘年会の予約も数件入っているもん……皆に迷惑かけちゃう」
しくしくと泣き出した市脇さんの姿を見下ろしながら私は唸った。
たくさんシフトに入る市脇さんは頼られているらしい。だからその期待を裏切りたくない気持ちもあるのかな。
どっちにしてもバイト先の人手不足は避けられないらしい。だから行かなきゃいけないのだと彼女は言う。
私はため息を吐き出した。
どうにかしなきゃいけない。でないと市脇さんは体を引きずってでもバイトに出るだろう。
「わかった」
私はギッと市脇さんを睨みつけた。
「バイト先には私が行く。代わりに私が働いて来る。だから市脇さんは寝て! 今日は勉強もしちゃダメだよ」
私の圧に怯えたのか、市脇さんがぎょっと後ずさりしていた。
「で、でも」
「でももしかしもない! いい、市脇さん。過労は下手したら死ぬの! エナジードリンクで若い人が死ぬことだってあるんだからね! あなたは明らかにオーバーワークなの!」
ベッドに乗り上がって市脇さんに詰め寄ると、彼女は硬直していた。
私はその勢いで彼女にバイトの連絡先を聞いて、連絡した。
市脇さんが過労て倒れたため、代理で私が働きに出ると。
市脇さんのバイト先である、定食屋、居酒屋、家庭教師先、そのどこも電話口で戸惑いを見せていた。
しかし欠けると困るのはどこも同じようで、市脇さんと同じ大学の学生なら大丈夫だろうと、普段から市脇さんが築き上げてきた信用のおかげで受け入れてもらえた。
言い出しっぺは私なので、人生初のバイトに精を出すべく、気合い入れてやってみたが……
めちゃくちゃきつかった。
家庭教師のバイトは2時間とかだし、座って勉強を教えるだけなのでまだいい。
定食屋と居酒屋は肉体労働もいいところだ。
きっつい、の一言である。
──居酒屋バイトを終えて、帰ってから睡眠時間削って勉強するとかしんどすぎるだろ。しかも睡眠時間わずかで早朝から定食屋でバイト。
彼女の場合休みがない。空いたコマも何かしらのバイトを入れているし、息抜きする時間もないのだ。
思わず市脇さんを尊敬しちゃうよね。真似はしちゃいけない働き方だけど。
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