森宮莉子は突き進む。 | ナノ
夜道にはご用心
その日の講義をすべて終えた私は、閉館時間まで図書館で勉強していた。外に出るとすっかり真っ暗になっていた。当然のことだ。もう22時を回っているからね。
夏の蒸し暑さが通り去り、秋の気配が色濃くなった今日この頃、過ごしやすくて勉強が捗った。ついつい時間を忘れて没頭してしまった。
「森宮さん、今帰りか?」
勉強で凝り固まった肩の筋肉をほぐしながら外灯で照らされる構内を歩いていると久家くんと遭遇した。
「図書館で勉強してたら、こんな時間になってた」
「もう夜は遅いし、暗いから危険だろう。車で送ろう」
ここ最近好感度急上昇している久家くんが家まで送り届けてくれるという。君は割と紳士的だね。
「大丈夫なのに」
「君は一応女性だろう。用心に越したことはない」
「一応は余計だわ」
でもここで遠慮するのは相手の厚意を無下にすることになるし、相手が久家くんなのでどうこうなることはないと確信していた私はお言葉に甘えることにした。
「久家くんって車通学なんだね。自宅は遠いの?」
「そこまで遠くないけど、人混みが嫌いだから車で来てる」
久家くんについて大学の駐車場にいくと、パッと一台の車のライトが点滅した。……外車である。
えっ、これに乗るの? 乗っていいの? と私がおどおどしていると、助手席の扉を開けられた。
「これは入学祝いで買って貰ったんだ」
「入学祝いの規模の違いにカルチャーショックだよ」
私の大学入学祝いは新しいノートパソコンだったな……いいんだ、実用性のあるものだし、スペックの高い私専用のパソコンだもん。庶民視点では高価な贈り物なんだ。文句はいうまい。
車に興味ない私でもこれが安い車ではないのを知っているぞ……今更だが、君は一体何者なんだね。
あれ、久家くんも開業医の息子だったっけ?
久家くんにお家のことを聞くと、かなり大きな総合病院の名前が返ってきた。病院名には地名が採用されており、久家くんの苗字が使われていないからいまいちピンと来なかったけど、結構立派なお家の子だったのね、君って。
「そんな大きな病院の跡取り息子だったのか……」
最初からただ者じゃないなとは思っていたけど、大病院の後継ぎ息子か。それなら納得だ。そりゃあ女に群がられてうんざりするわな。女側も玉の輿狙って必死になるわけだ。
真っ暗な車内は外から流れ込む光でチカチカ照らされる。私はナビの音声を聞きながら助手席の座り心地にうっとりしていた。
お金持ちは入学祝いに外車プレゼントするのか。すごすぎてついていけないよ。それにしてもこの車乗り心地いいね。眠くなりそう。
私がすっかりくつろいでいることに気づいているのか、いないのかは知らないけど、久家くんは運転しながら苦笑いを浮かべていた。
「跡取りというか……俺が使い物にならなければ切り捨てられるだろうし、絶対にというわけじゃない。……てっきり廣木さんから俺の家の話を聞いているのかと思った」
いやうん、前まで久家くんにあんまり関心なかったから聞こうとも思わなかっただけなんだけどね。聞けば廣木さんも教えてくれたと思うよ。
だけどそれを正直にいうのはどうかと思ったので笑ってごまかした。
「私はね、お母さんが看護師なんだ。お父さんはふつうの会社員」
久家くんにだけ家の話をさせるのはどうかなと思ったので、自分から親の話題を持ちかけてみた。
「お母さんの影響を受けて医師を志したのか?」
「ううん、そうじゃないんだ。…小さいころ、太ももに大きな怪我をした時に傷口を縫ってくれたお医者さんに憧れて医者を目指しはじめたの」
縫合するその姿が魔法かけているみたいで、私は痛みも忘れて魅入っていたこと、憧れて医師を目指すと宣言した私を家族みんなが応援してくれたこと、自分には妹がいるから、極力家族に負担を掛けないように特待生枠をとったのだと聞かれるまでもなく話している間、久家くんは妨げにならないよう相槌だけを打っていた。
「久家くんはやっぱり親に言われるがまま医学部に入ったの?」
他にしたいことはなかったのかなってふと思った。
私は正直、お医者さんの子供はお金のことを一切気にせずにのびのび最大限学べそうでいいなぁとうらやましく思っていたけど、大学で好き好んで医者を目指しているわけじゃない人間を見てしまったから、その考えを改め中だ。
やりたいことがあってもそれを許してもらえない環境なら、それはそれでつらいことだなって思ったから。
「それもある。医者になるのが自分の使命だと信じているから」
久家くんの回答はまさしくそれで、私はまずいこと聞いてしまったかなとしょっぱい気持ちになった。
「でも……そうだな、俺も医師である父の背中を見て育ったから、憧れているのかもしれない」
だけど久家くんは続けて言った。お父さんに憧れている部分もあるんだって。
私たちはまだ大学1年生。医学部といってもまだちっとも医学の知識のない素人だ。──だけど6年後にはお互い研修医としてそれぞれの場所で働いていると想像すると自分がどうなっているか想像できない。
だけど久家くんはお父さんを見ているから自分がどうなっているか想像できていそうだ。
「なんかいいねぇ、親の姿に憧れて同じ職に就くって。お父さんと肩を並べて働く姿想像しちゃうんじゃない?」
にやにやと久家くんをからかってやると、信号待ちでじっと目の前の信号を見つめていた久家くんが横目でちらっと見てきた。
「……君ももしかしたらお母さんと同じ病院に就職することになるかもしれないぞ?」
「えぇ、職場でお母さんって呼んじゃいそうだな、それは」
小学生が先生のことをお母さん呼びしちゃうそれを、職場でリアルお母さんにやっちゃうのは恥ずかしいものがある。だからといって「森宮さん」って呼ぶのも変な感じがするし。
でも、これまで応援してくれた親に、私が医師として働く姿を見せるのは親孝行になるから悪くないかもしれない。
◇◆◇
初対面では蛇蝎の如くの扱いだったのに、いまや私は久家くんの連絡先を知っている間柄になってしまった。
特に連絡することはないけど、同じ学年のよしみだ。なんかあるかもしれないからとID交換した。当初のあのばい菌扱いを考えると、ずいぶんと様変わりしたと思う。
翌日も図書館に居残って勉強していたので夜遅くの帰りになってしまった。
今日は久家くんと遭遇することもなく、普段通り電車で帰宅しようと大学最寄りの駅まで歩いて移動していた。
私の通う大学周りは大きな道路が通っている他に、アパートや一軒家がちらほらあるだけで、後は小さなスーパーとコンビニがぽつんとあるだけで遊ぶ場所がない。
なのでこの時間になると、電気が消えているご家庭も多いし、スーパーも閉店している。コンビニは煌々と明かりを点しているけどそこにいくまでは寂れた外灯が道を照らすだけの暗い道を歩く羽目になる。
私もゲーミングわんわんみたいにピカピカ光る腕輪をつけたほうがいいのだろうかと考えながら夜道を一人歩いていると、背後からスタタタッと地面を蹴りつけてこちらへ向かって走って来るような足音が聞こえてきた。
「!?」
異変を感じて振り返った私は、ガバッと背後から何者かに抱き着かれてぎょっとした。驚きが先にやってきて、悲鳴をあげる余裕もなかった。
「むぐっ」
手の平で口と鼻を塞がれ、酸素を遮断された私は身の危険を察知した。
強盗か、それとも痴漢か!
「動くな。暴れたら殺す」
ちくり、と首元に痛みを感じた。喉元になにか鋭いものが押し付けられている。外灯の弱い明かりに反射して鈍く光るそれは何かの刃物だ。急所である喉元を狙い、私の抵抗する気力をなくそうとしているのだ。
まずい。
ここで抵抗しようと、しまいと危害を加えられるのは間違いない。
──ならば、戦うのみ!
さいわい、抱き着かれていても腕はまだ動く。
肩にかけていたかばんのポケットに手を伸ばし、とあるものを掴むと、噴射口を背後に向けておもいっきり噴射した。もちろん私は固く目を閉じておく。口と鼻は塞がれてるのでそのままだ。
「ギャアアアアアッ!」
ぶしゅわあああっとスプレー噴射音のその後に、背後の不審者の野太い絶叫が耳を苛む。夜も遅いのにうるさいなぁ。
拘束が緩んだ隙を私は見逃さない。
バッと飛び出すと、私は近くコンビニへ一目散に駆け出した。
「ま。待て!」
待てと言われて待つ馬鹿がどこにいると思う!
「助けてください! 殺される!!」
丁度外のごみ箱掃除をしていた店員さんに助けを求めると、店員さんはぎょっとしつつも、私を匿ってくれた。
「なんだお前! ナイフから手を離せ!」
店員さんは私を追いかけてきた不審者の姿を発見するなり、勇敢にも相手を威嚇していた。
コンビニのバックヤードに店長さんもいたらしく、その後の対応は流れるようにスムーズだった。すぐに通報してくれ、犯人も拘束してくれた。
よかった。近くにコンビニがあって。
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