森宮莉子は突き進む。 | ナノ
聞け、私の話を。
「……はぁ!?」
10秒遅れで反応した久家くんの顔はさっきより赤くなっていた。
写真を見て興奮しているんだろうか。女が苦手だと言っていたのに、シャイな反応を示すとは意外である。
「横になったときに乳房の形が維持されているこの状況からして、この写真の女性には豊胸の疑いもある」
「……き、君はなにを」
「自然な乳房は、横になると肉が流れて形が崩れるものなんだよ」
男の人だからそういうのに疎いかもしれないけど、医師を目指すなら知っておいて損はない豆知識だと思うよ。
私の見事な推理に久家くんは言葉が出なくなったようだ。ちらっと女優さんの胸を見て、さっと視線を反らしていた。そんなチラ見じゃわかんなくないか?
「あと私はこの大腿四頭筋部分に子どもの頃に出来た傷跡がうっすら残っているの。よーく凝視しなきゃわからないレベルだけど……」
つるんとした傷一つない女優さんの太ももを指差す。
小学校時代の怪我だし、すぐに縫ってもらったから今では本当に目立たなくなった。お風呂上がりとかに傷跡が赤く染まるけど、あんまり気にならない。
ふと、久家くんをみると、彼は写真から完全に目をそらしていた。
「久家くん、目をそらさないで! 私は今、自分の冤罪を晴らすべく話しているんだよ!」
私はくるっと背後を振り返ると、掲示板前に群がっていた学生諸君ひとりひとりの顔をじっとみた。頬を赤らめている男子学生もちらほらいたが、それに構わず私は叫んだ。
「よく見て! この人と私、顔もいうほど似てないから!」
自分の顔を指差してよく見るように訴える。
私はこんなに鼻尖ってないし、涙袋も大きくない。よく見なくても別人だとわかるはずだ。
「多分顔もいじってるねこの人。鼻尖にプロテーゼ入ってると思う。全くの別人なんだよ! 久家くんもそう思わない?」
「あぁ似てない似てない。全くの別人だ」
久家くんが一緒に否定してくれたけど、なんかやけくそに聞こえるのは気のせいだろうか。
「それと私首筋にホクロがあるんだ! 髪下ろしているから見えないけど……」
「いい、見せなくていい」
髪をかきあげて見せようとすると、止められた。
何故止める。私は身の潔白を証明したいのに。この女優さんとの相違点はまだまだあるんだぞ。
「皆さん、すぐにこの場から解散してください!」
この騒ぎに気づいた事務局の人が声を張り上げて学生達に解散を命じる。
私はすかさず職員さんに近づくと、身の潔白を訴えた。
「この人と私は全くの別人です! 私こんなに巨乳じゃないんです! それに顔だって!」
「大丈夫ですよ、落ち着いて」
「なんならそこの女性職員さんに身体を見てもらって……」
「見せなくて大丈夫です。この件は事務局で預かりますから、あなたも講義へ向かってください」
私は否定し足りないのに、職員さんは私に落ち着け、勉強して来いと言う。
「ほら、森宮さん行こう」
「でも」
渋る私の二の腕を掴んだ久家くんによってその場から引き離された。
後ろ髪引かれて振り返ると、職員さんの手によってわいせつな掲示物はすべて取り払われていた。
「……やったのは間違いなく梶井だろう。君の反応が薄いからこういう手段に出た。社会的に潰そうとしてるんだ」
歩きながら久家くんが言った。もちろん周りに聞こえないように声をひそめて。
……もしそうならお粗末なやり方だね。確かに今回のにはびっくりしたけど、でたらめだし。そこまでして私を潰したいのか……とんだ暇人である。
まさしく自分が撒いた種で騒ぎになったと言うのに、騒ぎに口を挟んだ私を恨んでいるというのか?
名誉毀損で警察呼べばよかったなぁ。大学内のことだからうやむやになりそうなのが悔しい。
その日、医学部キャンパス内では掲示板の件があちこちで噂となり、私の名推理が話題になった。私がその場ではっきり否定したおかげで、疑いを持つ人は誰ひとりとしていなかったようで安心した。
少し遅れてやってきた廣木さんはその事を聞いて目をひんむいていた。そして私を心配しつつ、女の子なんだからそんなことしちゃだめよと窘めてきた。
私は身の潔白を明かしただけなのに何故窘められるのだろう。久家くんにも似たようなことを言われてサラっと流したばかりなのに、今度は廣木さんにも言われるとは……耳にタコができそうである。
そして市脇さんには笑われた。私の対応の仕方がウケたらしい
「すごいなぁ。流石特待生は目の付け所が違う。普通の女子なら萎縮しそうなところを、熱く否定するとは」
「だって冤罪は晴らさなきゃ。私の今後に影響するじゃないの!」
「見たかったなぁ、森宮さんの名推理」
えぇ、そう? なんか照れ臭くてへへっと笑い、市脇さんと笑顔を交わした。
◇◆◇
その日の講義がすべて終わり、居酒屋バイトに向かう市脇さんと別れると、私は大学内の図書館で勉強しようと思って移動していたのだが、「君が森宮さんかな?」と呼び止められた。
「はい?」
振り返るとその先にスーツ姿の壮年の男性が立っていた。
「学生課の田上です。今朝の件で少しお話が」
「あ、はい。なんでしょう」
「先日の騒ぎの事もあります。事を荒立てぬように行動を慎んでください」
「……は?」
なんだろう、犯人がわかったから注意しましたとかそんな報告だろうかと思っていたのだけど、職員さんの口から飛び込んできた発言に私は自分の耳を疑った。
「あなたが今回の騒ぎを大きくしている。もう少しおとなしくしていればここまでの騒ぎにならなかったと言うのに」
そんな言い方、まるで私が騒ぎの原因みたいな言い方じゃないか。
「女性ならばもう少し男性を立てることを覚えた方がいい。君は自分の優秀さをひけらかして周りの反感を買っている」
その発言は前時代風な女性差別的な意味合いが含まれていた。
まさかこの時代にそんな事を面と向かって言って来る人間がいるとは。私は不快感を露にした。
「はぁ……? 私が自分の能力を最大限発揮してなにが悪いんですか?」
「梶井くんのお爺様、並びにご両親は我が校へ多額の寄付をしてくださっています。今あなたが騒いでしまえば先方の心証が悪くなり、こちらも不利になります。もちろん、あなたもいくら優秀な特待生といえど、ただじゃ済まないことは想像に難くありません」
脅すのか。
金。結局金か。
金をもらっているから、私に泣き寝入りしておとなしくしていろ、目立つなと圧力を掛けに来ているんだ。
屈辱に歯がみする。
そんなの大学側の勝手な都合じゃないか。
私は生半可な気持ちで医学部に入ったんじゃないの。
家族に支えられてここまでやってこれたの。
女だからなんだっていうの。一般家庭出身だからって身を縮めていなきゃいけない道理なんてない。
ここで私が引いたら次の標的になる女性が生まれるじゃない。
「──それはハラスメントになると思うのですが。ご自身も発言に気をつけられたらいかがですか?」
ぐぐぐと力強く握り締めていた拳を誰かの大きな手が包み込んだ。ぐいっと後方に引き寄せられたかと思えば、広い背中が私の前に立ちはだかって視界を塞いでしまった。
「それは大学全体の意見と見てよろしいのでしょうか? もしそうなら、僕は父へこの事を伝えます」
まさかまさかの久家くんじゃないか。
さっきまで怒りで頭がいっぱいだった私はぽかんと呆けてしまった。
つい先日まで性格悪い男の印象しかなかった彼が、ここで私を庇うとは思わなかった。
「久家くん、それは」
「未来の医者の卵をくだらない理由で潰すのは勿体ないことだってわかりませんか? また問題を起こすかもしれない梶井と、優秀な特待生の森宮さん。どちらを守るのかはわかりきったことだ」
権力主義者っぽい田上さんは久家くんに圧倒されているように見えた。
「──これ以上のお話はなんの進展もなさそうなので、僕らはこれで」
「あっ……ちょっ!」
くるっと踵を返した久家くんは私の握りこぶしを握ったまま、速歩きで歩きはじめた。
コンパス! 足の長さ考えてほしい!
歩幅を無視して歩く久家くんのペースに巻き込まれた私は小走りで彼の後をついて行った。
久家くんが言い返してくれたけど、私もなんか言ってやりたかった。
悔しい……! あまりにも悔しくて地団駄踏みたくなるけど、今やったら久家くんを巻き込んで転倒しそうなのでやめておいた。
「森宮さん、これまでの経緯の件、弁護士に任せて名誉毀損で訴えることもできるぞ」
歩きながら持ち出された提案に私は眉間にしわを寄せた。
「そんな金ないよ」
お金があったとしても、弁護士に宛てがないよ。
弁護士って言ってもピンキリだと思うし、梶井の家の弁護士に勝てるのかと言われたらわかんないし。
「望むなら父の知り合い弁護士を紹介するが。慰謝料をぶん取って、それで支払えばいい」
普通は前金制じゃないの。ああいうのって着手金っていうの支払うよね? それとも特別にお友達対応で手配してくれるってことなのかな?
とてもありがたい申し出だが、私は首を横に振る。
「その気持ちだけ受けとるよ大丈夫。私は後ろ盾のない弱い立場だからこそ、実力と根性でのし上がらなきゃいけないの。ここでくじけていられない」
そう、負けていられないのだ。
ゴウッと私の中のやる気が燃える。怒りが原動力となってますます負けられなくなったよ!
これからも遠慮なく学年上位の成績を維持するし、そうなれば目立つことも増えるだろうけど、そんなの知ったことない! 私が目障りなら、私よりもいい成績をとればいいだけじゃない。それをしないで圧力で潰そうとする梶井はそれだけの器ってこと。
フンッと鼻を鳴らしていると、彼が小さく笑った気配がした。
「君は強いな」
「……?」
言われた言葉が理解できずに私が疑問に思っていると、さらに付け加えるように言った。
「志が強い。だから芯がぶれずにいられるんだろう。……そういうふうにいられる奴はなかなかいない」
「もしかして、めちゃくちゃ褒められてる?」
「そのつもりだけど」
どうしたんだ久家くん。
君の最低な印象が鳴りを潜めて、ここ最近好感度急上昇しているよ。
これはばい菌扱い(※女嫌い)の枠組みを超えて、ようやくひとりの学友として認めてもらえたって感じ?
出世したな、私。
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