死ぬまで気持ちは変わりません
ビチッ…! というムチがしなる音が聞こえたのはその時だった。
「はっ!? なんだこの茨は!!」
ムチをふるう男の驚愕する声に恐る恐る目を開くと、私の目前にムチが迫っていた。しかしそのムチには棘のついた茨が絡みついており、自由を失っていた。
見覚えのある茨を見た私はまさかと思った。──どこからか、カツン、カツンと石畳を踏みしめる靴音がゆっくり近づいてくる。
「──ミュゲになにをしている」
お腹にずくんと響くようなその声。
薄暗く、魔法で作られたランプの明かりがなければ何も見えない地下室に足を踏み込んできた人物の姿を見た私は、限界ギリギリまで目を見開いた。
全身真っ黒な格好に、ぼんやりと浮かぶ陶器のように白い顔。血の通っていない人形のように美しくも妖しい彼の方のお姿を前にした第三勢力の人間はひぃいっと悲鳴を上げていた。
そいつらの情けない姿を見下ろした彼は明らかな怒りの感情を発していた。表情はそう変わらないが、私にはわかる。
「…お前たちの仲間は上で虫の息だ。…どうする。私と戦って無様に死ぬか。それとも黙って命を差し出すか」
それって選択肢があるようでないですよね、なんて野暮なことは言わない。
プリンス様、黒薔薇のプリンス様が来てくれた。他でもない私を助けに来てくれたのだ…! 私は嬉しくてブワッと涙を流してしまった。
彼から放たれる瘴気に加え、隙のない殺気に第三勢力の生き残り(?)のムチ係は腰が引けていた。足がガクガクと震えているのに私は気づいているぞ。
「お前っ…どうやってこの場所を…!」
「場所? そんなの、ミュゲの居場所を探ればすぐに分かった。よくも私からミュゲを奪い、あまつさえ拷問などしてくれたな…?」
そうなの? 私の居場所はプリンス様に筒抜けってことなの?
そう言われてみれば、たしかにただっ広いお城の中なのにプリンス様は私を見つけ出すのが上手だなって思っていた。GPS的なものでもつけられているのであろうか。
地下室内の空気が揺れた。その直後ゴウッとプリンス様の身体を絡みつくように炎が発生したかと思えば、蛇に似た形をした炎がゆらゆらと鎌首を持ち上げ、ヒュンと目的物へ一直線する。口を大きく開いた蛇の炎が第三勢力の輩を頭から丸呑みしようと襲いかかる。
「こ、このっ…」
奴らも黙って殺されるわけにはいかないのだろう、襲いくる炎を避けていたが劣勢なのは見て取れた。どうやら相手は魔法を使えないようである。魔法に限っては才能だから使える人と使えない人が出てきても仕方がない。
ただ、そうだとしても黒薔薇のプリンス様は敵には容赦しない。
「あの方はっ、あのお方まで始末したのか!」
炎に撒かれたムチ係は誰かのことを気にしているようだった。自身も軽症ではないというのに誰かを心配する余裕はあるようである。恐れ多くもこの国の王子である黒薔薇のプリンス様を敵視するその姿はまさに命知らずと言えよう。
ムチ係を無感動に眺めていたプリンス様は目を細めると静かに口を開いた。
「──私がたどり着いたときにはダチュラ伯爵はもういなくなっていたぞ」
「ふ、ははは! 黒薔薇のプリンスよ、お前はもうすぐあのお方の策略によって今の地位を失うことになる! お前の母親がかけた呪いは年々効力が強くなっているはずだ! そのうちお前は自我を失い、暴走し始める。最後は妾腹の弟である白百合のナイトに殺される!」
第三勢力のムチ係は演説でもしているかのように決めていた筋書きを興奮気味に話しているが、私の知っているシナリオと違うなぁ…ていうか標的を前にしてネタバラシしてもいいのだろうか。
そもそも、あんたたちは黒薔薇のプリンス様を侮り過ぎである。彼をどこのどなただと心得ているのか!
「黒薔薇のプリンス様は呪いになんか負けない!」
そうだ! 彼は恋を知って、最後の最後で自力で呪いを解いてみせるんだから! それにここには私がいるんだ、あんたたちの望み通りに事は運ばせないからな! プリンス様は死なない、呪いにも打ち勝つ! 絶対にだ!
「ぐぅわぁああああ…っ!!」
私が怒鳴ったのと同時に、男は頭を抱えて急に苦しみ始めた。そして一瞬で灰となって消え去ってしまった。
「…!?」
今のって私が…?
私が何かしらの攻撃魔法を無意識に発したというの…? 私にはそんな高度な魔法を使えないはずですが…
「…こやつにも呪いがかかっていたようだな。口止め、従属…そういった類いの…恐らく雇い主にかけられていたのだろう……下っ端も下っ端の使い捨ての従僕だったのだろう」
彼は冷静に目の前で起きたことを観察・推理する。
そうなんだ…すごい。さすが黒薔薇のプリンス様。素晴らしい私の推しである。動揺を見せないそのお姿、とても素敵です。
十字架もどきに磔にされていた私はプリンス様に拘束を解いてもらった。散々ムチで痛めつけられた私は立つことすらままならず、ふらりとよろめく。それを見かねたプリンス様の腕に支えられた。
「…ひどい格好だな」
「えへ…すいません……私、あなたのお役に立ちたいのに迷惑ばかりかけて…」
直々にお迎えに来させるなんて手下失格である。
本当であれば土下座の一つくらいしたいのだけど、鞭打ちの拷問によって私は衰弱していた。指先一つ動かすことすら億劫で、土下座なんて無理な話である。
「…いい、もう何もいうな」
私は黒薔薇のプリンス様の腕に抱かれて意識朦朧としていた。
彼の美麗なお顔はいつもどおり感情の起伏がない。あぁ、推しの腕の中で死ぬのも悪くないなぁ……徐々に意識が遠のいていく中で、黒薔薇のプリンス様の顔がゆっくり近づいてきた。
ふわりと唇に乗った優しい感触。
……キス、されてる?
なにこれ、いい夢だなぁ……夢なのに感触がリアル。角度を変えて何度も唇が重ねられ、私はにやけてしまった。
プリンス様が私にキスするなんてありえないのにね。
拷問による重症、出血によって私の意識は混濁していた。ぷつりと意識が途絶えた後、目覚めたときには2週間ほど経過していた。
目覚めた場所はお城のベッドの上だった。私の身体からはすっかり傷跡が消え去っていた。意識無くして眠ったままになっていたのはあのあと発熱が起きてそれから回復するのに遅れたためだと言われた。
治癒魔法って便利。私はてっきり傷だらけになって、お嫁にはいけない体になったのだと覚悟していたんだけど、傷の痕跡が綺麗サッパリなくなっていた。お医者さんか誰かがかけてくれたのかなと思って世話役をしてくれたメイドさんに尋ねた。
「殿下が直々に治してくださいました」
「えええ!?」
私は驚いて間抜けな顔をしてしまった。
黒薔薇のプリンス様自ら!? そんな、お迎えに来てくれただけでなく、治療まで…何から何までご迷惑をおかけしてしまったということか…!
「発熱でうなされるミュゲ様を徹夜で看病されたのも殿下でございます」
「…!」
私は衝撃で今度という今度は白目をむいて気絶してしまった。なんということ……! 手下の分際で私というやつは……厚かましいにも程がある!
その後もしばらくお医者さんとメイドさんたちからも手厚い看護を受け、絶対安静で静養を受けることとなったのである。