なにこれ怖い。モテるって怖い。
「慎悟様流石です!」
「でも惜しかったですね。後もうちょっとで次席になれましたのに…」
1年の教室のある階の掲示板前で生徒達が群がっていた。みんな何してんだろうなと思って、私も掲示板を覗き込んだのだが……貼られた順位表を見て顔を顰めてしまった。
上位50位が大きく張り出されているだけで、それ以下の順位の人は名前が載っていない。
…それならば私には関係ない。ちなみに英学院の高等部1年生は約250人程いる。…私は大分……最下位じゃないだけありがたく思いな!
よし、用は済んだ。この場から立ち去ろうと人混みから抜けると、そこで加納慎悟と加納ガールズとバッタリ遭遇したってわけである。
ロリ巨乳が甘ったるい声で加納慎悟にすり寄って、巻き毛が残念そうに呟いていた。能面は無言で傍にいるだけだ。
しかし加納慎悟は順位表に書かれた名前を眺めており、彼女らの声かけに何か返答するわけでもなかった。
コイツも成績がいいのか…
私は今一度順位表に目をやると、3位の所に加納慎悟の名前があった。
「……変態かよ」
ボソッと呟いたつもりだったが、加納慎悟の耳に届いていたらしく、こっちに視線を向けてきた。
あ、聞こえちゃったヤベ。と口元を押さえて、ススス…と後退りしていたのだが、加納慎悟は鼻をフンと鳴らし、私に話しかけてきた。
「人のことを変態呼ばわりとはいい度胸だな、エリカ。…お前の名前はどこにもないようだが……俺の視力が悪くなったんだな、きっと」
「アーアーキコエナーイ」
「1学期の中間では50位以内には入っていたはずなのに……」
その指摘に私はギクッとする。
そうなのだ。エリカちゃんは努力家だったようで成績が優秀な子だったのだ。それが中身私になった途端、ズドーンと……
…まぁそういうこともあるよね。脳みそはエリカちゃんのものなのにおかしいなぁ。
…誠心ならこんなに難しくないの! 英がハイレベルなだけなの! 赤点は取ってないんだから良いでしょ!
私は加納慎悟の指摘から逃れるべく、両手で耳を塞いでその場から逃走した。
…さっきチラリと学年2位の名前も見えたけど、上杉君の名前もあった。
2位とか…どんな頭してんだろう。
まぁ、私には縁のない話だな。
テストのことを無理やり忘れ去った私は部活と、ついでに文化祭の準備に没頭した。
私はその日も先輩やコーチからビシバシスパイク訓練を受けていた。この感覚久しぶりすぎてゾクゾクするわ。いい意味でね。
この高校のバレー部のいいところは体罰もどきの指導がないことだろうか。指導の一環で叱責はある。だけど体罰がない。それは大きな違いである。
今の御時世体罰にやかましくはなったものの、表に出ていないだけで裏側では体罰がまかり通っている場所もあるのだ。例えば誠心とか…。
「15分休憩。しっかり水分取れよ」
コーチにそう声を掛けられ、私はヘナヘナと脱力した。鍛えているからエリカちゃんの身体でも練習について行けるようにはなったが、きついもんはきつい。
身体を引き摺るようにして、マネージャーが用意してくれたジャグに手を伸ばす。練習後の水分は命の水だ。中身スポーツドリンクだけど。
ゴッゴッと一気飲みしていると、「二階堂さん」と呼ばれた。私が反応して振り返るとそこにはあの上杉君の姿があり、ギョッとしてしまった。
だってここ女子バレー部の練習場所だし、部外者が練習中に入ってくるって滅多にないから。
私が困惑した顔で彼を見上げていると、彼は人の良さそうな笑みを浮かべて、何かが入ったビニール袋を差し出してきた。
「…?」
「差し入れ。みんなで食べて」
「えっ…? …え、あ……ありがとう…」
中身は箱に入ったアイスだった。上杉君、セレブなのに庶民向けのパーティアイス食べるんだね。
貰ってしまったものはありがたく受け取るしかない。溶けちゃうし。マネージャーの野中さんに手伝ってもらって女子部員全員に差し入れを行き渡らせる。
もうすぐ11月なのだが、練習中の私達は
火照 っていたので、冷たいアイスクリームはありがたい。みんな嬉しそうに食べていた。
私もありがたくアイスクリームを食べていたのだが、妙に上杉君がガン見してくるから食べづらい。何故そんなに見つめてくるんだ君は…
「二階堂さん、ずっとスパイク打っているけど手は大丈夫なの?」
「…うん。楽しいし、問題ないよ」
「でもこんなに赤くなって…」
そう言って上杉君が手を取った。
確かに手は赤くなってるが、バレーをしていたら必ず通る道だ。そのうち慣れるってもんである。
願っていたスパイカーのチャンスを掴んだのだ。手の痛みなんかに怯んではいられない。
ていうかちょっと気安いと思うんだけど。大して親しくもない女の子の手を取るってどういうことなの。私はエリカちゃんの身体を守るためにスッと手を引っ込めた。
それをどう思ったか、上杉君は「
初心 なんだね二階堂さん」と微笑んでいた。
ちゃうわ。そっちが馴れ馴れしいんだよ。絶対この人エリカちゃんのこと狙ってんだな。
私はエリカちゃんの身体を清いまま維持して、いつかエリカちゃんに絶対返すと決めているんだ。そういうのはお断り申す!
私は上杉君から距離を取り、急いでアイスクリームを完食するとコートに戻っていった。急いで食べたから頭がキーンってする…
まだ休憩時間は終わってないが、自主練だ。ひたすらサーブを打っていたのだが、体育館の隅で彼はずっとこちらを見つめていた。
ゾワゾワするぞ。
…なんだろうな。モテたらいい気分になれると思っていたけど、そうでもない。怖いわ。
■□■
文化祭1週間前になった。この辺りになると、文化祭の準備で学校内の雰囲気が変わっていった。業者任せとはいえ、生徒達にもやることがあるので準備に奔走する姿が多く見られるようになった。
「いいですか二階堂様、文化祭の当日はアンジェラちゃんになりきってくださいね!」
「考えておくね」
井口さんはなにがなんでも私にアンジェラちゃんの完コピをして欲しいらしい。頑張るけど期待されると困る。
私は紅茶とコーヒーの美味しい淹れ方をその道のマイスター(外部の業者さん)から指導を受け、なんとかそれなりに美味しく淹れられるようになった。
普段コーヒーとかわざわざ自分で淹れないしなぁ。今度松戸の家に帰ったら披露してみようか。
文化祭初日は英学院高等部の生徒のみで、翌日が外部の一般客・招待客への開放となる。
バレー部の招待試合は2日目の午後に行われるので、初日文化祭出し物のシフトを長めに入って、2日目はその分早上がりさせてもらうことになっている。
そういえば他のクラスは何をするのかと言うと、上杉君のクラスである1組は占い、加納慎悟のクラス2組は手作り作品の販売…雑貨屋みたいなの? 私のクラス3組がコスプレ喫茶で、夢子ちゃんと宝生氏のクラス4組が劇をするらしい。5組は何かの食べ物屋のようだ。上級生達も個性豊かな出し物をするみたい。
私には少しの自由時間しかないので、残念ながらあまり見て回れないだろうな。
隣のクラスを通り過ぎざまにチラ見すると、教室内では生徒たちがそれぞれ違った小物を制作していた。そこは業者任せじゃなくて自分たちで作るのね。
手芸が得意な人はオリジナルのカバンとかポーチを制作したり、他の人は図案に沿ってアクセサリーを作っている。
セレブ校にしては随分庶民的な出し物をするんだな。嫌いじゃないけど。
そこに混じって加納慎悟も何かを制作していた。…百均に売ってそうなモザイクタイルで長方形のなにか……
覗き込んでいる私の視線に気づいたのか、加納慎悟が顔を上げた。そして、私に気がつくと顔をしかめ、手で追い払うようにシッシッとしてきた。
その虫をあしらうような仕草にムッとしたが、私の行動も褒められたことじゃないのでおとなしく引き下がった。
…だって他のクラスが何するのか気になるじゃんよ。他のクラスの人もうちのクラスの中を覗き込んだりしてくるし。
それにしても加納慎悟はいつも女子と一緒だと思っていたが、ちゃんと男子の友達いたのね。そこんところちょっとだけ気になっていたの。いつも女の子と一緒にいるか、1人でいる姿しか見たことがなかったから。
放課後には各自準備で居残りをするようにはなったものの、部活に入っている生徒はそれに加えて部活があるのでそちらにも行かなければならない。その為、部活生たちは帰宅部よりも帰る時間が大幅に遅くなっていた。
…とは言っても私には二階堂家のお迎えの車が来るので、遅くなってもあまり問題ないんだけどね。
招待試合に向けて夜の部活練習を終えた私は帰る準備をして一旦は部室を出たのだが、部室に忘れ物をしてしまったので引き返した。最近忘れ物が多いな私。
先程部員達と別れた私は1人で部室に向かって駆けていく。辺りはもう既に人気がない。外灯はあっても夜なので暗いし、夜の学校は不気味だ。
部室に到着すると、忘れていた部活用の一式が入ったバッグを手に取り、今度こそ帰宅しようと部室を出た。ちなみに部室の鍵も学生証で鍵がアンロックされる仕組み。部員ごとに解錠許可設定されているから、外部の人間が入ることはまずない。その上鍵を取りに行かなくていいから、そこんところ便利だよね。
「二階堂さん」
「!?」
……ビックリした。…全然気配がなかった。
…突然上杉君が私の前に現れたのだ。登場の仕方がホラーすぎて私は飛び上がって驚いてしまった。
「な……なんで…ここに」
「帰らないの? …もう遅いから帰ったほうがいいんじゃないかな? お家の人が心配するよ?」
「……忘れ物取ったら帰るよ」
……なぜ、ここにいるのだろうか。
彼がなにか部活をしているとしても、運動部関連では姿を見たことがなかったから運動部ではないはず。だから体育館や運動部の部室があるこの一帯に彼がいる理由がないのだ。だって教室や昇降口は大分離れているのだから。
彼は外灯しか明かりのない中で口元に笑みを浮かべて私に近づいてきた。温和そうな、人当たりのいい雰囲気はそのままで。
……だけど、野生の勘なのだろうか。背筋がゾッとした。
私が警戒しているなんて気づいていないのか、彼はおかしそうに笑って首を軽く傾げる。
「…あ、でも二階堂さんのご両親は忙しい方々だからまだ帰っていないのかな」
「……お手伝いさんが心配するし、外に車待たせているから…私帰るね」
ここに上杉君と2人きりになっているのが怖くなった私は、早口でそう告げると逃げるようにしてこの場から立ち去ろうとした。
「二階堂さん」
「!」
だけど、ポニーテールにした長い髪をスッと指で梳かれた感触がして、足が地面に縫い付けられたように固まってしまった。
「…ゴミがついてるよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして。…また、明日ね」
間近で、上杉君の笑顔を見た私はきっと表情がこわばっていたと思う。
……ゴミ? こんなちょっとの明かりしかない暗い中で髪についたゴミが見える? 見えたにしても口で言えばよくない?
……それに、何で二階堂家の事情を知っているの? 二階堂のパパとママが多忙で家にいないっていうのは学校でも有名なの? …元婚約者の宝生氏がバラしたとか?
だけどそれにしても私には全てが気持ち悪く感じた。
「ば、ばいばい…!」
私はその場から逃げるようにして走って遠ざかった。
……なんだかあの子、怖い。
異性から好意を持たれるってこんなにも怖いことなのか?
怖い。本気で怖いんだけど。
私は上杉君が後ろから追いかけていないかを振り返って確認しながら、慌てて学校を飛び出た。そして迎えに来ていた二階堂家の運転手さんを驚かせてしまったのであった。