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結果として、私は雄英高校を受けた。
兄と同じ学校に行きたくない、だとかNo.1が教鞭を執ると知った、だとか。
理由ならいくらでもつけられる。
つけられるが、結局のところ私は逃げたのかも、しれない。
向き合うことから。

けれど、今はそんな事はさしたる問題ではない。
今の自分では、何も解決出来ない。
だから、強くなって、"特別"になって「もう大丈夫」と、言わなくてはならないの。
その為に、ここに居る。

圧倒的に物音のしない室内を見渡すと、まだ開けていない段ボールが一つ。
それから先ほど買い足したカーテンとお弁当の入った袋。
まず私に今必要なものは、恐らく食事である。

お弁当の蓋をあけたところで、越してくる前に持たされていたスマホから着信を知らせるけたたましい音が鳴り響き、この後マナーモードへと切り替える事を決意しながら電話を受けざるを得なかった。

「はい」
『名前、着いたら連絡をしろと母に言われていただろう。キサマは言われた事も守ることが出来ぬほどに愚鈍なのか』

一々厭味ったらしい言葉が垂れ流されたスマホを備え付けのシンクに置き、その横で立ったままでお弁当を咀嚼していく。

『聞いているのか!!』

一際大きな音を立てたそれを危うく取り落としそうになりながらもため息を吐いて耳に押し当てた。

「今食事をしているの。黙ってもらえないかしら。」
『……寂しくはないか』
「全く。一ミリも。一塵も。」
『ならいい。精々振り落とされぬよう励め』
「兄さんこそ」

私の言葉に、音を詰めた兄は何かを言おうとして、また息を詰め、それから聞こえた言葉は聞こえなかった事にした。


『いつでも、帰って来い』





靴下に包まれ、ローファーに滑り込ませた足でコツコツと音を響かせながら歩く。
新しい制服に身を包み、少しばかり空を見上げてみると、嫌味な程に澄んだ空気と晴れ上がった空に目を窄めた。

別に、なれ合いに来た訳では無い。
父に、母にお金を無心して今ここに立つ以上、私は成果を残さばならないし、目標のために今まで以上に頭を、身体を使わねばならない。

大きく名前を掲示されたクラス分けのボードを眺めて、指定された下駄箱に靴を入れ込む。
これは学生なら当然の事なのかもしれない。
当たり前の事なのだろう。
けれど全部が新鮮で、あまりにも鮮明なものだから、いっそ心臓が早鐘をうつ。

「あ、あの……もしかして、場所がわからなかったり、……す、る……?」

おどおど、と言えばわかりやすいだろう。
上目遣いで私に話しかける、さして目線の位置の変わらないもっさりとした頭が視界に入る。

「いいえ。放っておいてくれてかまわないわ」
「あ、……そ、そそそそそそう、ですよね、」
「……ええ」

そのまま視線を彼から外す。
私は指定された靴箱にローファーを入れ、上履きに足を通した。
すぐ隣で靴を脱ぎ始めた彼を視界の端から更に追いやりながら掲示板で指定されていた教室を目指して歩きはじめた。



教卓に座席の一覧の記載された用紙があるらしく、私の前に教室へと入った真っ赤な髪の男の子はそれを見てから席を確認している。
それになぞらえるように私もその用紙を眺める。

「おはよう!俺切島鋭児郎!よろしくな!」
「……ええ」

それだけを返して指定の席へと足を向け、腰を下ろす。
嫌な汗がドッと流れてくる。

座席は一番うしろだ。
他の人達は恐らく、名前の早い順番に、あいうえおの順番に準えて並んでいた。
だのに私がこの席に来る、その意味として考えられることは一つしかない。
カッと、頭の中が燃え焼けそうに熱くなっていく。
腹の中に溜まりをつくる、どす黒いものに全部を支配されてしまいそうだ。

いつか、病院で「あんな敵を捕まえられるような警察になるわ!!」と言った幼い私に「その夢は諦めなさい」と言った医者のもたらしたものが、ずっと私を刺し続けたように、こうして時折私に誰もが刃を向けるのだ。


ガヤガヤとする教室が静まり返った後に声を落とす、"教師"と自身を紹介した男を、私は下唇を噛み締めて睨みつけた。



動揺していたのだと、思う。
行われた、個性使用での体力テストでは結果は奮わなかった。
悉く失敗を重ね、下らないものを大勢に見られる事になった。
あまりの失態に、全身の血を体中の穴という穴から噴出させてしまいそうだ。

暫く俯き、小さく震える私に幾人かの声がかかったように思うが、それどころではなかった。

「はい、今日は解散。明日からはこの結果を参考に授業が進められると考えてくれ。……肉倉、この後職員室へ来なさい」

その声におもむろに視線を上げると、無精髭を蓄えたその先生は、私に向けて声を上げる。
喉が、カラカラに乾いて声を上手く出せない。
は、は、と息が短くなって来たところで、ため息を吐いた先生は鋭い目を一度閉じて頭を掻きながら、私の背を押して職員室へと向かった。




「そのズボンの裾を捲ってくれる?
悪いけど、聞いていたのと少し様子が違うようでね。確認させてもらいたい。」

先生の言葉に私は首を横へと振ろうとして、やめた。
そろそろとまくりあげた裾から覗く肌色を見た先生は、少し腰を下ろしてしげしげと眺め、

「平時の個性の使用は禁止されているが?」

鋭い目で私の双眸を捉えた。

「だから、……席もあそこなんですか」
「そうだ」
「私は、……特別枠なん、ですか」
「そうなるな」
「だから、こうしているんです。普通に見えるように」

先生の目が細くなる。

「それはルールを犯していい理由にはならないよ」
「……」
「ヒーローを目指すにあたって、大切なことは、いくつかある。が、
覚えておくと良い。何よりもお前らに覚えてもらいたいルールは"ルールを犯さない"事、だ。
無闇に破るのは敵と変わらないよ。
こうして自分を貶めるのは得策じゃないね。」
「……」
「病院へ行って、特例治療の書類にサインをして貰って来るように。明日は遅れてもいいから、先にそれを貰ってきなさい」
「……はい」

引ったくるように先生の手から取った書類を持ち、職員室から出ようと扉に手をかけると、またあの気だるげな、それでいて鋭い声が背中に刺さる。

「今日はそのまま帰りなさい。くれぐれも、制服に着替えないように」
「……はい」

バタバタと足を動かして教室へと戻り、机に引っ掛けていた鞄を乱雑に取り上げてまた教室のドアへと手をかけたところで、服の裾が掴まれたらしく、ツンと体が引っ張られた。
視線を向けると、一度も暗がりを見てきたことも無いかのような純粋な目に酷い顔の私が写りこんでいた。

「ケロ、私思った事はすぐに言ってしまうの。あなた、さっきの体力テスト開始から様子がおかしいわ。体調が悪いなら、一緒に保健室に行きましょう」

その後ろには赤い髪の今朝の男の子と、先程の測定でペアになっていた目つきの鋭い黒々とした髪を短く切り揃えた少女もいる。

「な、……んでも無いわ。離してちょうだい」

言いながら、その目におさまっていたくなくて顔を背けた。

「……でも、とても調子が悪そうだわ」
「だから、!!何でもないわ!!」

ケロ、と声を上げて、私が振り払った手を顔に受けてしまったらしい少女に、私は数歩、後退る。

「わ、大丈夫か?!」
「うわ、!!冷やすものあるかな、待ってて!」
「大丈夫よ、避けられなかった私が悪いのよ。……肉倉ちゃん、だったわね」
「……っ、」

また、息が上がりそうになるのを堪えながら、ゆるゆるとまた視線を向けると、その子は叩かれた頬を赤くしながら笑っていた。

「私は大丈夫よ、何ともないわ。また明日会いましょう」
「……」

私は何も言えなくて、何度も何度も自分の手を握りしめて逃げるようにその場を後にした。





先生の言うように、朝から病院へと向かい、書類にサインをもらう頃には時計の短い針は真上を指していた。

職員室へと必要書類を提出し、担任に頭を下げる。

「昨日は、……取り乱しました。」
「いや、……中学、は、通っていなかったようだな。……なら、書類の事も知らなくても頷ける、が。」

そこで言葉を切り、またその鋭い目を私に向けた。

「次はないよ」
「ええ。」

職員室のドアへと手をかけてから、もう一度振り返る。
書類を苦々し気に眺める先生に、私はせんせ、と呼びかける。

「何だ」
「謝罪を、忘れていました。すみません。……でも、特別扱いは要りません。」
「当前」

ニヤリと口角を少しあげた先生に、また頭を下げ、今度こそ職員室を出た。


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bkm


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