24
相澤先生の後ろを歩いているけれど、いつもと違う。
違和感が膝もとで闊歩している。
今までは自分の筋肉繊維を纏わせ、自分の足のように全てを動かすことが出来たのに、これ・・は違う。
ではない。

「先生」
「……」

呼びかけると、私を振り返った相澤先生は、頭をがりがりと掻きながら「先に行け」と言う。
きっと、私が入ると、何かしらの反応がクラスであることを見越しての事なのだろうが、今重要なのはそこよりも足元であった。

「あの、走っても?」
「……」
「歩行用ではないから、……なんというか……慣れるまで……」
「今は見てない」
「……すみません」

先のペースとは比べ物にならない速度で歩く・・
しなりが強く、跳ねるように進む。
軽い。
違和感は間違いなくある。
あるが、慣れればきっと、些末なものになるのだろう。
今までよりも、ずっと楽なのかもしれない。
もしかすると、今までよりもずっと、自由なのかもしれない。
ステンレスの比重の高い合金が廊下でシャリンと高らかな音を立てる。
今までよりもずっと高い跳躍が出来た。
そのまま宙返り。
廊下に片足を押し付け、その反動でまた跳ぶ。

「肉倉、歩き・・なさい」
「……ッ!……そ、そうね、ごめんなさい……」

肩を跳ね上げてから、私はようやく両足を地に付けた。
きっと、きっと慣れれば、もっともっと速くなるわ。もっともっと、強くなるわ。
そう思うと口角が上がって仕方がない。
いつもよりもずっと早く足を地に押し付けて、軽い体を前へと進めた。

1−Aと書かれたプレートを前に一つだけ息を吐き捨て、唇を引き結ぶ。
ドアを開けた。

「おはよう!遅かったね!名前ちゃ……!!」
「おはよう、先生が……くるわ……」
「おーっす!速く席に……」
「しッ!!!!しし!し!!!しし!!!くらさ!!!!???」

皆の視線を一身に受けたような気になる。
けれど受けているのは私ではない。
きっとこの足だ。
また前と同じことがあるのかもしれない。
矢張り、私だけ・・・が、と思うようなこともあるのかもしれない。
それでも、やっぱりそれで構わない。とは言えない。
私は弱いから。
先生が言うように、私は決して強くは無いのだから。
だからここに来た。
だから、ここに居た。
きっとあの演習で私が先生に見られていたのはただの「期末試験」ではきっとない。そんな事は分かっている。
だから、ずっと聞こえていた。試験中。
ずっと鳴り響いていた。私の今までの全部が崩れていく音が。足元が瓦解して、底まで落ちていった気がしていた。
けれど、今までずっと、見ないふりをしてきたものだ。それが、己の身に降りかかった。それだけのことだ。
全部、今まで背を向けていた分私がこれから背負うべきものだ。

もしかせずとも、きっと、除籍と言われる。
それならそれでいい。
仕方がない。
私が悪かったもの。
それでもそこから、また追うわ。
皆の背中を追いかけて、そのうちゴッソリ引っこ抜いてやるわ。
ここでは無い、どこかで。
もう、ここへ戻ることは出来ないだろう。そう父と母とは約束したのだから。
それでも、私は上を目指すわ。
目指したいわ。

「おはよう、先生、もういらしているわよ」

私の言葉にハッとしたように各々が席に着く。
それと時を同じにして、教室へと相澤先生が入った。

「予鈴が鳴ったら席につけ」

先生の声に一気に教室が静かになる。
先までの喧騒やら何やらがまるで嘘のようだった。私も皆に倣い席に着く。手を伸ばすと指先に触れる馴染のない程に冷たい金属が、ただそこで存在を主張していた。

「今回の期末テストだが」

そう言って言葉を切った先生は、教室全体を見渡すように一人一人を見ていく。

「残念ながら赤点が出た。従って、林間合宿は全員、行きます」

相澤先生の口角が上がった。
教室中が「どんでん返しだあ!」と盛り上がる中、私は息をのむ。
全員
今、全員、と言ったわ。
開いた口が塞がらない、というのは正しくこのことだろう。
先生と目があった、ような気がする。

「今回の試験、我々敵側は、生徒に勝ち筋を残しつつ、どう課題と向き合うかを見るよう動いた」

一呼吸置いてから、尚も相澤先生は続けた。

「でなければ課題云々の前に詰む奴らばかりだっただろうからな」
「本気で叩き潰すとおっしゃっていたのは……」そう尾白君は問う。
「追い込むためさ」

また口角を上げ、先生は言う。

「合理的虚偽ってやつさ」

カッと目を見開いた先生に、私は目を窄めた。
絶対にそんな事は無かった。そう思う。
先生は最後まで私を除籍するつもりであった。
きっと、今朝まで。
私はそう確信を持っている。
ならどうして私は除籍にならなかったのだろうか。
その答えはきっと、この足の事だ。
足をどう、という訳ではない。
そろそろ「受け入れろ」その上で「強くなれ」と言いたかったのだろう。先生は。
己に起きたすべての事を踏み台にして跳べ、と言いたかったのだろうか。先生の目が私をかすめていったように見えた。
私の出した答えはきっと、正解に近かったのだろう。


朝礼も終え、朝の授業が始まろうか、と言う頃合い。
私の前の席でうずうずとしているのがわかる百さんは、私を振り返ろうとしてやめた。
その日誰も、私のについて触れることは無かった。有り難くもあったけれど、居心地はもちろん良くはない。気を使われている。そんな気がしている。
それはもしかすると気のせいかもしれないし、そうではないのかも知れない。集団生活からも、人とのふれあいからも逃げ続けてきた私が、その答えを知るにはまだまだ時間がかかるのだろう。
それでも最初・・とは違う。
私はちゃんと、全部を受け入れられる、気がしている。
学んでいこうと、思えている。

放課後にもなると、葉隠さんが「ねぇ!」と、誰をともなく呼びかける。

「明日休みだし、テスト明けだしってことで!明日みんなで買い物行こうよ!」
「さんせーい!」

ワッ!とクラスは沸き立ち、それにどこかホッとして、私はバッグを腕に引っ掛けた。
教室を出ようとドアに手をかけたところで、後ろからガッシリと腕を掴まれる。
体が傾くのを一歩下がる事で踏みとどまり、腕の先を辿った。

「あ、わわ!!ごめん!」
「……問題無いわ」
「名前ちゃん!迎えに行くから!!」私を見上げるように言ったのは、お茶子ちゃんであった。
「え、」

そのまま空いた手のひらを私に翳すように向け、「5階まで!」と声を張り上げる。

「お茶子、」
「今日!」
「今日……!」

畳み掛けるように言う彼女に、私は開いた口が塞がらない。
今日は、こんなことばかりだ。
何を言われるのだろうか。
何かを、言われるのだろうか。
「気を使う」とでも、また言われるのだろうか。

「詳しく、聞かせて欲しい……事が……」

そう、言い辛そうに睫毛を臥せるお茶子ちゃんに、口を開きかけてやめた。
受け入れるも入れないも、彼女次第であるし、これを乗り越えると決めたのだから、周りからの蔑みも憂慮も、理解をしなければならないのだろう。私は。
それが嫌で逃げていたのだ。知られれば、それを一身に受けることなどわかっていたのだから。
逃げないと決めたのなら、向き合わなくては。

「ええ」

いつの間にか、お茶子ちゃんのすぐ隣までやってきていた梅雨ちゃんはニコ、と笑って言う。

「名前ちゃんが言いたくなるまで聞かないでおくわ。また、言いたくなったら教えて頂戴ね、ケロッ」

その言葉に、梅雨ちゃんの後ろで柔らかく微笑んだ百さんも言う。

「そうですわね、いつでも。いつか、お話していただけるような友人になりますわ」
「……ええ」

二人の言葉を聞いたお茶子ちゃんは、梅雨ちゃんと百さんの顔をそれぞれに見てから、視線を落とした。

「そ、れなら、私も、そう、しようかな……」お茶子ちゃんはそう言って、私から腕を離した。

「……ありがとう。帰るわね」
「また、明日」
「明日ね、名前ちゃん」
「あの!それでも迎え、行くから!」

その集まりに、私は行く、とも言っていないのに、当たり前のこととして言ってくれる皆を見ると、胸のあたりがチクチクと痛む。むず痒い。かも、知れない。
唇を噛み締めてから、私はちょっとだけ頷いた。



然程広くもない一室で、ベッドのすぐ脇。マットを敷き、アブローラを転がしていると、軽やかに来訪を告げるチャイムが鳴る。
扉を開けるために、ベッド脇に引っ掛けておいたタオルで汗を拭いながらドアを開いた。
そこに居たのは、想像したその通りの人物ではあったが、表情は想像と同じ、とはいかなかった。

「ごめん、今、大丈夫やった?」

どこか気まずそうにそう告げたお茶子ちゃんの背中では、もうすっかりと一面を群青に染め上げた空が覗いている。

「大丈夫よ」
「あの、……私、」

言い辛そうに手をもじもじと捏ねるお茶子ちゃんが言いたいことは、なんとなく、わかるような、わからないような。
もしかすると、「教えて欲しかった」と責められるだろうか。
知っていたら、仲良くはしなかった、だとか。
そこまで考えてからお茶子ちゃんを見た。
眉を下げた彼女は、私の知っているお茶子ちゃんだ。
彼女がとても優しい人であることも、真剣にヒーローを目指していることも、私は知っている。
だから、そうじゃない。きっと、違う。
きっと私の知る答えと、彼女の口が紡ぐ言葉は同じではない。

「食事が、まだなのよ」

私がそう言うと、みるみるうちにお茶子ちゃんの眉がいつもの角度まで上がっていって、目がきれいに弧を描いていった。

「私も!!」
「私で問題がなければ、今から買い出しに、一緒に行きましょう」
「うん!」

そう笑ったお茶子ちゃんを部屋に招き入れ、私は脱いでいた制服に袖を通し直す。少し汗で張り付くから、食事を終えて、お茶子ちゃんが帰ってからシャワーをしよう。外は寒いだろうか。暑いだろうか。
それとも、二人で歩くのなら、丁度いい温度だろうか。

「ね、何食べよ?!」

玄関先で、踵を上げ下げして待っているお茶子ちゃんに、どこかでホッとしながらジャケットにも腕を通す。

「……お肉が良いわ」
「ふふ!そやね!お肉しよ!!」

玄関へとおろした足が、矢張りシャリンと高く鳴いた。

□□□■■

「爆豪君といきなりあんなに仲良くなってると思ったら、……あれ、何やったん?あの、前の演習の時の……あ、ていうか、私が聞いても大丈夫な話やろか?」

お茶子ちゃんの部屋から持ってきたプレートで、換気扇を回しながらお肉を焼く。

「これ、焼けているわよ。……本当に何もないのよ。彼に言わせると、お友達でも……ないらしい……わね」
「……爆豪君って、友達のラインがバカ高そうやな……」

二人でお肉を口へと入れた。
咀嚼。

「……ッハ!」目を大きく見開いたお茶子ちゃんは静かに私を見る。
「……!!」
「もしかして、そ、そういう・・・・目では見てない、って言う事?!」

そこまで言いのけてから、おもむろに真っ赤になっていくお茶子ちゃんのお茶碗に、私は焼けたてのお肉を乗せておいた。

「……友人ではないのは確からしいわ」
「や、そうじゃなくて!」

私は別の菜箸を取って、パックからプレートにお肉を乗せる。ジュウッと、爆ぜるような音を響かせながらお肉が焼けていく。
いい香りだ。

「爆豪君は確かに私の目は節穴だと言っていたから、きっと私の感覚と知識で推し量る事が出来る彼の気持ちと、彼の私に抱いてくれている感情はイコールではないんでしょう」
「ちゃう、そうちゃう」

ブンブンと首を振るお茶子ちゃんのお茶碗に、焼けたお肉をもう一枚入れる。

「……違うの?」
「……そう言われると、わからんけど……」
「……難しいわね」

違う。
とは、果たしてどういうことだろうか。
友達ではない、とは違う。ならお友達、とでも言うことだろうか。けれどそれを彼はきちんと否定をしていたし、それとも照れている、敢えて否定している、とでもいうことなのだろうか。
それとも、全く違う気持ちを抱いている、と言いたいのだろうか。
私が、お茶子ちゃんに抱く気持ちと、兄に抱く気持ちが違うように。
果たしてそうだとしたら、私の彼への気持ちは、一体なんだと形容すれば良いのだろう。違うのだろうか。
学友だとか、お友達。それとは違うのだろうか。

「私もそう言うの、ようわからんけど、……難しいねぇ」
「そう言うの……ふふっ、そうね。難しいわ」
「……」
「……」
「え?」

お肉の焼ける匂いが心地良い。
とても、美味しい。
また一口、お肉を口に含んでからお茶子ちゃんを見る。

「食べちゃうわよ」
「……」
「……な、にかしら」

瞬きの一つもせず、私を凝視するお茶子ちゃんはそっと口元を手で隠していった。

「笑った」
「え、」
「名前ちゃん、笑った!」
「……え、と……変、だった、……かしら……」
「ちゃう!!そうじゃなくて!!!!」

遂にお茶子ちゃんはお茶碗を冷蔵庫の上に置き、私の腕を掴んではゆっさゆっさと揺すり始めた。

「……っ、お茶、」
「嬉しいなぁ、って!私!嬉しいよ!!」

お茶子ちゃんの目がゆっくりゆっくりと細まって、ニッと歯を見せる。
段々と顔が熱くなっていくのがわかった。
どうしてこうも、彼女は自分の気持ちに素直に行動できてしまうのだろうか。
それがなんだか羨ましいような、そうでないような。
私も、出来るようになるだろうか。
私も彼女や梅雨ちゃん、百さんたちのように、きちんと自分の気持ちに向き合うことが、出来るだろうか。

「……お、友達と……話すと、自然と……笑えるようになる、と……兄さんが、言ったのよ」

お茶子ちゃんを伺い見ると、頬を赤く染め、また私の腕を揺すった。

「うんうん!」
「本当、だったわ」
「……うん!友達やもん!」
「……ッ、気を、使わせる、かも、知れない、わ……」
「親しき中にも、礼儀はいるもんね!」
「……友達、で、良いの?」
「コイバナしてて友達ちゃうかったらびっくりやん!」
「こいばな……」
「あ、そこ……いや、だから、……爆豪君の、」

うっかりと緩みかけていた涙腺が一気に締まっていった。
こい。コイ。濃い。鯉。故意。
……恋。

「……私、恋をしているの?!」
「え……わからへん……!」
「恋なのかしら?!」
「……恋、なん?!」
「……」
「……」

恋って、どんなだろうか。
恋って、どういう気持ちになるのだろうか。

「わ、からないわ……」
「やんなぁ」
「むずかしいわね……」
「むずかしいな」

お茶碗を冷蔵庫の上から取り直したお茶子ちゃんはすっかりと冷めてしまったお肉をぱくぱくっと頬張る。
またお肉を食べて、ご飯を口に入れた。
私も箸を持ち直す。

「おいしいね!」
「ええ。美味しいわね」

また、今度は私の口角が上がった。

「でもさ、私は友達だよ!間違いなく!絶対!!」
「…………嬉しいわ」
「今日泊まっていこうかな……」
「歯ブラシの……予備ならあるわよ」
「わーい!!嬉しい!!!」


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