産屋敷邸の奥へと更に進むと、東屋が見えてくる。
本邸に比べるとこぢんまりとはしているが、それでも十分な敷地を誇るその家屋の中には忙しなく働く隠の存在がある事を、オレは知ってた。

毎回、会議に来る度にここに訪れるのだから、とは言え自分が柱になってから二度目の来訪である。
まだまだ未知の場所であることには変わらない。
変わらないから、まさか自分が陰で悪口を叩かれているだとか、面倒がられている、だとか。そういう想像は一切していないわけで。
聞こえてきた己を指す言葉に片眉を跳ね上げた。

「西柱様ってさぁ、絶対俺らを憂さ晴らしに使ってるよなぁ」
「使てへんわ!!」

オレの姿に気が付いたらしい、その声とは別の隠が外に居るオレの元までパタパタと走ってやって来たのと同時に聞こえてきたその言葉に、視線を右往左往させながら「えぇっと、」と言葉をつまらせる。

「西柱様、隊服を取りに来られたんですか?」
「いや、別の用事もあったんやけどな、」
「あぁ……自分が伺ってもよろしいですか?」

小首を傾げながら聞く男に、一つ頷き口を開いた。

「別に大したあれやそれややないんやけどな、余ってる隊服ある?」
「あ、西柱様のものなら今仕上げを」
「あー、それとは別にな、隊服余っとるのあったら欲しいねや」

オレの言葉に、訝しげに首を傾げながらその隠の首が左に傾く。

「柱用ですか?」
「いや、何でもええ」
「はい、どのくらいの丈寸のものですか」

オレは手を顎に当てながら考える素振りだけを作り、そっと腰辺りで手を動かした。

「こんくらい?」
「……ええと、童が着るような、ですか?」

確かに言い過ぎたかも知れん。
でも梅がそれを着たのは見てみたい。
見てみたいが、実用性には欠けすぎる。
断腸の思いでそれを断ち切り、自分の胸位まで手を持っていく。

「やーっぱり、こんなもん、やったかいなぁ?」
「女性用ですね!」
「……」

ホンマに女用持ってこられたら、パッツパツなんやろうな、と言うところまで想像してちょっと笑う。
笑いながら、小さくため息を吐いた。

「ハァ……こんなんや、こんなん!!」

肩の辺りで手をぷらぷらとさせると、その隠はあたふたとしながらオレにペコペコと頭を下げた。

「すぐ!すぐに!あの、……下駄も込みで、ですか?」
「下駄履いてんねやからそらそやろ!」
「はいぃ!!見てきますぅ!」

下駄を転がして表の砂利を転がしながら言うたら、また向こうから声が聞こえて来る。

「ほらぁ、聞こえてきたよ、あの声……あの人まいっ回頼む量多いんだよなぁ、何で毎回十も二十も頼むの?しかも直前なんだよなぁ。納期間に合わねーわなぁ。てかそもそも西柱って、何だよ?結局何柱なの?西に居るから西柱って、いっそ安直超えてるよなぁ」
「なぁ、聞こえてんじゃね?」
「使うてへん言うとんやわ!!」

今度こそ聞こえるようにどデカい声で伝えてみるものの、庭越しに見える壁の向こう側に居るらしいその声の主はなおも続けるようや。

「絶対憂さ晴らししてんだよなぁ、さっきのもさぁ、俺らが隠だからって、言い返せないからってサァ、ここは関東なんだよなぁ……あの威圧的な西言葉なんとかならねぇのかなぁ、って思うよなぁ。とりあえずでかい声出しときゃ怖く聞こえるしサァ」
「やから、聞こえとんぞォ!!!」
「ね、ねぇ、聞こえてるんじゃない?」

一瞬、ギコギコと煩かった機械音が止み、暫くしてからまた鳴り始めた。

「聞こえてないって。もうさ、ほんと、なーんにも無くてもすぐに大きい声出してサァ?耳が痛くなるってば。しかも早口だし訛ってるしで聞き取りにくいのなんのって……西に居たら偉いの?ってさぁ」
「だぁから!聞こえとんねん!!」

燦々と陽の光の降り注ぐ冬にしては気持ちの良い空の下で何でここまで悪口言われなアカンねん!
と、苛立ちながら砂利を蹴飛ばすと、「って!!」と壁の向こうから声が響く。
砂利が当たった訳では断じて無い。

「やっちまったぁ、……西柱様のだし、……ま、いっか……」
「ホラ、絶対聞こえてるって!」

そう思うなら、謝罪やら言い訳の一つもしに来いよ、とも思う。

「内容までは聞こえないってぇ。前のときもさぁ、緊急で追加ァとか言ってさぁ、丈も暫らく測ってなかったから一から作んねぇとだろ?俺西まで行ったんだけどさァ、機材は重いし、採寸も要るって言うから行ったのに、居ねぇし。ごめんくださいって何度言ったか。
女中も居るのに出ても来ねぇの。歓迎してくれねぇの。
何なら茶も出涸らし出すんだよなぁ、いや、柱だろ、金持ってるんだろぉって。……ケチ臭えよナァ」



暫くしてやって来た隠は金釦の隊服と、通常の隊服数着を持ってやって来る。

「おまたせいたしました!!こちら柱用と、……」

説明をしてる声は確実に奥から聞こえてきたあの声やったから、一発頭をはたいといた。

「……はへ?」
「……」
「へ?え?……は?」

適当に隊服を風呂敷に包み、担ぎ上げてから「おおきに」と一言だけ告げて、産屋敷邸を後にした。


◇◇◇


「ここを、真っ直ぐに抜ければ東京駅です」

隠の背中から降り立った先で、下駄が硬いものを蹴り上げた。

「おおきに」

カラコロと下駄を鳴らして、いつか二兄さんから送られてきたドイツのどっかの写真みたいな姿になってる東京駅を視界の端にとらえながら、石が転がってもないアスファルトを蹴飛ばした。

西洋風の建物やら電信柱が立ち並ぶ街には、着物姿があちこちにいて、時折見える洋物コートを羽織った男。それでも数歩後ろに歩く女は着物を纏う。
そんなどっかちぐはぐな街が、どっか不愉快。
別に、なにと言う事はない。甘いもんやと思って口に入れたモノが酸っぱかった程度の不快。
でもそれは多分、この街がどう、とか言うよりも今自分が向かってる場所に対して思っている事を八つ当たりのようにこの街にぶつけているだけなんやろな、とも。

しばらく歩いた先に見える『東京帝国病院』の文字に小さく落ちるため息は、そこに居る弟に会うのに、少しばかりの戸惑いが毎度あるから、や。


エレベーターを使って、看護婦に案内された2階の一番端の部屋へと向かう。
その部屋の扉横に挟まる文字からも目を逸らしながら、軽く扉を叩き、返事も待たずに開いた。

「よぉ!五!元気しとるかぁ!」

見る度に細くなる弟の姿を直視する勇気だけは、いつになっても訪れそうにはない。
いっそ、耀哉ちゃんに出逢わなければ弟と心中なんぞをしたかも知れん。
いっそ、たった一人の弟をこの手で殺したかも、知れん。

産まれた時から病がちやった弟は、うちの家ではただただ要らん存在で、生きる価値のない者と決定付けられたのは、十歳まで持たん、と医者が匙を投げた頃。
近代化が進み、廃刀令も出てお上より賜った本職すら殆ど無くなったうちの家。
それでも未だ過去のしきたりに囚われて、世襲制をとり、名を遺す事に躍起になってる性の無い家やった。
オレがその家で刀を握り、鍛錬するようになった頃に、お袋の腹はパンパンになってて、「またやや子が産まれます。励みなさい」と兄弟皆が諭される中、次男の二兄は早々にうちの副業でもあった医学の道へ進むと海外への渡航を決めた。
オレはどうだって良かったんや。
長男か三男の一兄と三兄がそれぞれ潰し合って世襲すればええ。オレには関係ない。
そう、思っとった。
余りにも小さくてやわこいオレの弟は、早々に医師から病である事を告げられて、親父には無いものとして扱われて、お袋には見放されて。
兄弟の殆どにも見向きもされへん。
でも、オレのたった一人の可愛い弟は、オレに笑って「おれも、いつか四兄さんみたいになりたいなぁ」なんて、布団の中から言うもんやから。
オレがまもらないと。
それは、一種の呪いみたいにオレの頭の中で渦巻いた。
負担やった訳やない。
五が笑てるからやれたんや。
オレが、五のたった一人の家族やからやれたんや。
無駄な事と、医者にすら見て貰えへん五の薬代を作るために色んな事をした。
色んな事や。
これからもずっとそうしていく、なんてつもりは無かった。
無かったから、オレはまた刀をとった。
そっからや。
練習用に出される死体を試し斬りする度にどっかで満足感すらあった。
もっと綺麗に。
もっと美しく。
もっと、美美しく。
スルリ、と刃がなんの引っ掛かりもなく抜けたときにオレは悟った。
ほんまは知ってたんや。どっかで。
一兄も三兄も、オレには勝てん。
多分、と言わずともオレは当代の親父よりも綺麗に刃を使える。
オレが、次期当主には相応しい。名を継ぐ者や。
ただ、それはつまり、兄二人の死と殆どが同義やった。それに気がつけたのは、三兄が庭で桶に顔突っ込んで自分の首を斬ったのを見てからやった。
兄等の中では、名を継ぐ、という事にはそれだけの意味があった。
公儀としての家業はもう無いのに。
これがどれだけできる腕があったところで、意味なんかもうわからん。
それでもオレが継げたなら、五を救う手段を取れる。
そう思ってた。
五が、死にたい、言うてるのを耳にするまでは。
もう無理やった。
もう、オレは動けへんなったんや。

この時が初めてやった。
死にたいと思ったのも、殺してやりたいと思ったのも。
オレが家督を継ぐやらなんやするよりもずっと手っ取り早い。
でもそれが出来ひんのは、あの日の五の笑顔を忘れられへんかったからや。
耀哉ちゃん等に、あの日出会ってしもたからや。



カーテンレースが膨らむ病室に浮かぶ青白い五の顔の真ん中にある目が弧を描いた。

「四兄さん!わぁ!久しいなぁ!!元気してるんか?」
「ん。見ての通りやで!お前も元気そうやなぁ」

最後に会ったときよりも細っこくなった腕の中に入る擦り切れて草臥れた本を閉じる五の頬には少しばかり朱がさす。

「家に居るよりずっと楽やからかな」
「そらそうや。あんなとこ居ったらオレも病気なるわ」

オレの言葉に肩を揺らしながら、五はベッドに擡げていた体を少し起こした。

「ここならな、皆話しもしてくれるし、外を散歩もできるんや」
「ほーか」オレは小さく頷く。
「たまにな、来てくれるんやで、隠や、言う人が」
「へぇ、初耳やわ」
「そら、四兄さん来んし」
「……言うやんか」唇尖らせたオレに、五は音を立てて笑う。
「手紙行きよるやろ。流石に俺は郵便まで行けんやんか、取りに来てくれよるんやわ」
「へぇ、なら、礼をしとかんとなぁ。ほら、飴ちゃんやろ」
「俺に?はは、隠の人には?」
「……今度な」

ベッドに腰を下ろしながら五の頭を撫でつけた。

「はよ、ようなりや」
「……うん」
「寂しないか」
「そりゃ、家より全然」
「オレにできることは無いか。いて欲しいとか、なんや、ないか」
「居られても煩いだけやから」

ケタケタと笑う五を本当に軽くだけ小突いて、また頭を撫でた。

「もう!それ、ええねん。いくつやと思っとるんや!」口調の厳しく変わった五に、思わず笑う。

「まだまだお前はガキやんか」
「もう十三やぞ!」
「そらええなぁ!ガキやんか!!」
「はぁー?!」

髪を乱しに乱した五からは、さっきまでの儚い感じは消え失せて、やっとオレは息を吐く。

「ほなら、行こうかな」
「……四兄さん」
「なんや?」
「死なんでや」

鋭くなった五の言葉に、顔を見れんくなる。
どの口が言いよんや、と。
人の事心配する前に、一日でも長く生きる事を考えてくれ、と。
この病室に充満してる、消毒液のニオイが、大きらいやわ。

「アホやなぁ。お前遺しては、死ねんわ」
「そう?なら、俺ももうちょい生きなあかんな」
「せやで。お前は長く生きて、女を知るべきやわ」
「看護婦さん居てるで?」
「そういうとこな」

首を傾ける五のデコを軽くついて、腰を上げた。

「ほなな」
「うん、ありがとう」
「ばぁか」


やっぱり、消毒液のニオイがそこら中で満ちてた。


それから暫くしてやった。西の方に、隠が配属されたんは。

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