静かに前を歩く梅は、胸クソ悪い、と吐き捨ててからこちらに向くこともない。
それでも、村の真ん中を過ぎた辺りでピタリと足を止めた。
明かりの漏れることもない一軒の家をジィと見つめ、オレに向き直る。
「今日、今からここ出るんか」
「んー、婆さんには一言声かけてやろうか、思ってなぁ。今から、なぁ……でもオレ明日には東京の方おらんとアカンよって、長居はせんで」
「十分や。……ソウタらには、報告したい」
「……せやなぁ」
オレが腕を組んでおもむろに視線を下げたら、ザクザクと雪を踏む音がして、体をコッチに向けた梅が睨むようにオレを見た。
「やっぱり、それでも、……納得いかん」
「せやろな」
明かりもない暗がりで、雪すら黒く見える中、梅の歯を軋る音がやたらと響く。
「まぁ、どう言うたかてお前は納得せんやろな」
「……」
「でもお前はオレの言うことを聞かなあかんよなぁ、梅」
「……」
「お前の"普通"なんか、どうでもええ。糞の役にもたたん。悔しかったら鬼を狩れ。オレらの本分はそこにしか無い」
静かに頷いた梅は、またザクザクと音を響かせてから、泊まる予定になってた家まで脚を進めた。
「ほなオレ行くわ。焦らんでええけど、寄り道はすなよ?」
オレの言葉にキョトンとした目を見せる梅の顔を更に覗き込む。
「お前だけええ思いすんなよ?真っ直ぐ、帰るんやで?オレはまだ、"今から"仕事やからな?」
「……ご無沙汰やもんな」
「うっさいわ、しね」
オレはパッと着流しを翻して、また山を登った。
山姥の出る、言う山を一通り見回り、件の団子屋の腰掛けに回収した赤い手巾を山と乗せた。
確かに、婆さんの言う通り阿呆程括ってあった。
紙に一筆認めておく。
まだ軒先にかかってる赤い三連の手巾にそれを括り付けたら、段々と口角が上がる。
「終ったから言いに来たったで、婆さん」
もう、婆さんの団子の味などは忘れたけれども、あの最後に見た婆さんの顔が、頭の中では笑顔に変わってる気がしたから、何ならそれで満足や。
『ボケて童歌忘れてもええで』
◇◇◇◇◇◇
近代化を進める東京は、すっかりと石造りやらコンクリートやらの建築が増えて、背の高い建物ばっかりになってる街を通り過ぎ、もう少し田舎の方、隠との落合場所へ向かう。
「やぁやぁ我こそは!西の国をお守り申す!西柱の西と云う者である!!」
手を上げて名乗ると「ええっ」と引きつった声を上げる黒装束の者が、
「わ、我はぁ、」
頑張って返事をしようとしてる。
「そんなんええねん、はよ連れて行けや」
「へ?!あ、は、はい!!すみません!!」
「目隠しいる?」
「あ、お願いします」
「ん、よろしう」
「こちらこそ、お願いします」と眼の前で屈んだ気配のある背中に乗り上げた。
暫らく揺らされ、降ろされた先で目隠しを解く。
久しぶりに見た産屋敷の家はやっぱり立派で、10畳程の座敷の後ろにはやっぱりこれまた立派な中庭が覗いてた。それから室内には見知った姿が見えてオレは今日イチの笑顔になれた気がする。
「久しいなぁ、行冥」
「うむ」
出会った頃よりもずっと体がゴツなってて、ただでさえデカかった体が更にでかなってた。
「昨年の夏以来かぁ?またゴツなったなぁ!!最初会うた時はヒョロっヒョロやったからなぁ!メシ食っとるんやなぁ!偉いなぁ!!ええモン食うとるかぁ?大切な命は大切になぁ!粗末にしたらアカンでぇ!うんうん!」
ぺちぺちと胸板を叩くと、行冥はジャリジャリと玉を擦り合わせ、目元に涙を浮かべながらコクコクと頷き、
「勝猛も、息災で何よりだ」
静かに笑う。
笑ってから部屋の端の方へと体を下ろした。
その場で棒立ちになったオレはそこで少しばかし時が止まる。
え、そんだけ?いや、色々あるやん?
話したい事とか、話すべき事とかあるやん?なに?オレと話したく無かったりすんの?え、もしかして苦手?
やめぇや、何かオレ一人恥ずかしい奴みたいやんか、いや、ちゃうわ。きっと行冥恥ずかしがりやねん。いやいや、あの図体でな。可愛いやんか。
「失礼します」
そう声がかかり、開いた襖の向こう側からやって来た男が二人、腰を下ろしていた行冥の横へと腰を下ろすのを見る。
よくよく見ると、座敷にはそれで六人。
オレを含めると七人居った。
その中に一等目立つ炎のような頭。
「槇ちゃん」
「……」
「もぉしもーし、耳ついとりますかぁ、槇ちやぁん、槇ちゃん!もう!アンタの事やで!」
少しばかし赤らんだ顔の槇寿郎君にオレは指を指す。
隣の黒い短髪の精悍な顔をした男が槇寿郎ちゃんに視線をやる。
「……槇ちゃん……炎柱……呼ばれてるんでは?……んふっ」
その男は、ぷるぷると体を震わせながら炎柱と呼ぶ槇ちゃんの腕をツンとつつく。
鬱陶し気に瞑っていた目を開き、槇ちゃんはオレをじとりと睨めつけた。
「ここで会ったが、やなぁ……槇ちゃん、立ちぃや。」
ゆっくりと立ち上がる槇ちゃんに、オレはす、と左足を引き、腰を落とす。
「オレにお前が、やれるかぁ?」
オレはきゅ、と口角を上げて
「……んふっ」
「……なぜ挑んできた」
槇ちゃんは額を抑え、隣の黒髪は顔を覆った。
ジャリジャリと、どこからとも無く玉を擦り合わせる音までしてる。
「南無……」
槇ちゃんはゆっくりと黒髪を見下ろして、もう一度オレに顔を向けた。
それからそぅっ、と鞘を握る。
「……ンブフッ」隣の黒髪はとうとう吹き出した。
「ちゃうねん、」オレはす、と右手を前に上げて左手で顔を隠した。
「ちょ、待って。オレもな、緊張しとってん。
言うてからな、逆かなぁ、って思ったんやんか、」
「んんっふ、ぶふっ、だよねぇ、……逆だよねぇ、……んふっふ、ぅん、んん、ん、」
何度も胸元を擦りながら口をもごもごとさせる黒髪を、シバく権利は持ってない。
いや、オレがドジッた。めちゃくちゃ恥ずかしい。
こうなったらもっかいやり直さなあかんな、と、オレはスッと指を一本立てる。
「ごめん!もっっかいやらせて!
次はカッコよくキメるから!もっかい!!」
槇ちゃんは静かに頷き、黒髪も涙を拭いながら頷いた。
「なら俺が仕切り役をしてやんよ」
「よっしゃ!頼んだ!んで、お兄さん誰や?」
黒髪は左口角をぐいと持ち上げて笑う。
「俺は鳴柱。鳴柱の……」
「お館様のおなりです」
どこからとも無く響いた声に、オレはそのお兄さんの隣に腰を下ろして挨拶をする事にした。
「お館様のおなりですちゃん!よろしう!!」
「……んぶふっ、んふ、んんん、んふふふ、んんっ……んふっ」
その日、会議中ずぅっとオレの隣だけ地震起きてた。
会議の間、槇ちゃんの伏せられた目が見つめる視線の先を探し続けてたら特に内容も頭に入ることなく時は過ぎていきますね。
でもな、オレは思うわけ。
確かに然程内容は頭に入ってこんし、聞く気も然程無いんやわ。それで叱られるのもわかるし、みんなやたらとお館様ー、言うて耀哉ちゃん好きやから?オレを睨むのもわかるわけ。
そんでも槇ちゃん一生畳の目数えてるんやから、槇ちゃんも叱られるべきやんか?
隣の頭下げてまだ震えてる震源地もそろそろシバかれてもしゃあない思うの。
「何震えとんねん。ひり出されとる心太か?ん?」
「んふふっぅ、んん、」
ボソッと呟いたら思いの外響くし、本震みたいに震え始めるし、もうそらオレも、匙投げますわ。
「ちゃんと、聞こうね。勝猛」
「……うん」
隣の黒髪のふとももにプスッと指を突き立てた。
「んぶっふ、」
「ちゃんと聞こうね、幸仁」
「ん、んん、は、ぃん、ふふっ」
そうこうして、どうにもこうにも収まりの悪い会議を終える頃には室内にまで日が差し込んで来てるもんやから、眩しくて目をすぼめる。
順番に席を立つ他の柱達の背中を眺めつつ、ずっと隣で震える男と、視線を伏せたままの槇ちゃんに、オレはぽそっと呟いた。
「もっかい、やる?」
「んんんふっ」
「……」
ついには槇ちゃんもちょっと震えて眉間に皺を刻み込み
「……やらん」
震える声で答えた。
***
会議室として使われてる座敷を出て、近くの隠に声をかけようとしたところで、耀哉ちゃんのやわこい声が響く。
「勝猛」
「ん、はぁい」
「どうかな、西の方は」
やわこい声を出しながら、目に弧を描いてオレを見上げる耀哉ちゃんにオレはため息を一つ落とす。
「どーもこーもあらへんわ。自分で対処できる問題が少なすぎるわ。せめて隠の一組くらいは欲しいもんやわ」
「上手くやっているようだね」
「ん?聞いてる?あれー?オレの話聞いてたぁ?会話しよぉ?」
たまに、オレは思うわけ。
オレって実は話せてなくて、口パクパクさせてるだけなん?
音出てない?とかって。
ちょっと皆してオレの扱い雑すぎやん?って。
パクパクしとるだけとか芸も無いから金魚でも吐いとくか?
ちゃんと掃除はしてくれな?
「でもね、ずっと黙っているのは、良くないね」
耀哉ちゃんの言葉に、オレはにゅ、と唇を突き出した。
あ、バレてる?
「なんの、事やろか?」
「教えてくれる日を、待っているよ」
「……うん」
これ以上はボロが出るしもうぼろぼろなるからこのまま閉口することにする。
その方が不幸は消しされる気がするようなせんような。
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