西が戻ってくるまでの間、しばらく寝とき、と何度見直しても顔色の酷い女に言い聞かせ、日が赤くなる頃まで膝を貸す。
日が、それこそ赤くなり始めた頃、また玄関がドンドンと叩かれた音で、女はパッと飛び起きた。

「わ、私ったら!」
「ええ、ええから、行っといで」

すみません、と俺の声に頭を下げながら玄関へと向かった女の声が、今度は静止をかけながら戻って来る。

「あの、本当に今は、……」

ガラッと引き戸を開けられた先には、俺よりももう少し背の低い男が鬼瓦みたいな顔で仁王立ちをしてる。
パッと俺を見てすぐに、男は気まずそうに背を向けた。

「……本間に居るんかいな……もうええ」
「あの、すみません、また、……その、」

男の気を宥めすかそうと女は声をかけるが、男はそれに耳を貸しそうにもない。
その鬼瓦のような顔をしていた男は、先の男とは違い、どちらかと言えば貧相に見える。

山を下る際に見た、中腹から麓へ向けて続くこの村は、さほど大きな村には見えなかった。
恐らく家六十戸程からなっている小さな集落であった。
そんな小さな村が、駆け込みになる程の規模だとは思えない。
そして、今までの女達の"行方知れず"が隠し通せるほどの人数やったとも思えへん。


「あのぉ、えらいすんません。俺、さっきまでここで寝てしもとって……"用事"やったんですよね?」
「……別に、そんなんやあらへん」
「ほんまに?……村長さんや、言うスーツの人にはここは"好きな事"していい家や、言うて聞きましたけど」

男はゆっくりとこちらに振り返る。

「村長……青武さんが、言うたんか……?余所、者、に……、……っ、ぁ……」
「村長さんには言うたんやけど、もう一人、この位のでっかいのが俺の連れに居りまして、今村長さんと出てるんやけど、コナツちゃんの兄さんなんやわ。……それを言うたら、色々と、教えてくれましてね」

俺の姿を視界に入れた男の顔は段々と色が青ざめて悪くなっていき、それを隠すように俯いていく。

「場所を、変えんか」

視線だけを寄越した男に、俺は笑って頷いた。

「もうちょっと寝とき」

頭一つ小さい女の頭に俺は軽く手を乗せてから、男とともにその小さな家を出た。


家を出たすぐ目の前には田んぼがあり、雪を被っていてその姿はほとんど見えない。
そこに立つ案山子が、唯一そこを畑だと教えている。
そういえば、先の男はここで何をしていたのだろうな。
わざわざ、なんの収穫も出来ない一月の肌を刺す冷たい風ふく寒い季節に。
思わず目を窄める。

「……こっちへ、」
「はい」

声のかかる方へと向くと、そこからは集落の殆どが見渡せる。
逆を言うとこの家は、集落のどこからも見える、と言うことであろう。


どの家もこぢんまりとした家で、屋根まで雪が被さり、その全貌は見えない。
数時間前に出た西の下駄の跡が、暫らく奥まで続いていた。
その手前、丁度あの家から三軒超えたあたりにその家はあった。
やっぱり、さほど裕福そうにも見えない。
男は静かに玄関を開け、辺りを伺ってから静かに扉を閉めた。
ほとんど何もない家は、その男の他に、奥の部屋に二人の子供が居る。
「こんにちは」と、俺が手を上げると、子供らは立ち上がり、

「こんにちは」ニコリと笑う。

「父ちゃん早かったなぁ!」
「"おっちゃん"今日の晩ごはん何ー?」

やって来ては男の体に巻き付いて、笑っている。

「おっちゃん」オレがそう繰り返すと、男は顔を濁らせる。
「……後で、言う」

そう静かに返し、三和土の続きにある厨で火を炊き始めた。

「ほら、あっち行っとき」
「ちぇ、はぁい」
「はーい」

子供らがキャッキャと声を上げて部屋に走っていく背中を俺は見送る。
腕を組み、側の柱に体を預けて男を見た。

「この街にはな、もう、子供と男しかほとんど居らん」
「……」
「斜向かいの下田の家に、次で十六になる娘が一人と、村長の預かってる娘四人。あと、あそこの女とその娘。そんだけや」

なれた手付きで人参を刻みながら米の入った鍋に入れていく。

「各家に、大人一人と子供が四人。ここに住みたかったら、孕ませて育てて、見送る。それがこの村の規則や」
「……へぇ。なら、ここに居るはずのあと二人は」
「"お迎え"が来たんや」

男の言葉に、思わず腕を解く。
ぶらんと体の横に下ろした自分の腕が、小刻みに震えてる。

「お迎え、なぁ……」
「……」
「そこまで話す、理由はなんや」

俺の言葉には答えずに、男は刻んだ大根と白菜を鍋に放り込み、蓋をしてから火にかけた。
こちらを一度も見ようとせず、ただ静かにすべき事を熟している、と言うような様子にすら胸がむかつくのは、もう錯覚とは言えない。

「三十年程前に、おらはここに来たんや……母親に、連れられて。
……もと居た村が"熊"に襲われて、あっちこちから、悲鳴がしてた。
そこに、"熊狩り"様が来てのぅ……
そんでも、助かったんは、……ほんまに僅かや。
そんな中、まだ一桁の年嵩の俺を抱えてお袋が……ここに来た」

男の視線が、やっとこちらを見た。
暗く沈んだ目で、またゆっくりと口を開く。

「おらは"熊"を、その時見た。」
「……」
「えらい、恐ろしい"熊"でなぁ……今でも、たまに夢に出る……」

体ごと、こっちを向いた男は静かに頭を垂れて俺に言う。

「ここにも、"熊"が、出よるんや……ずっと、ずぅっとや」
「……」

静かに頭を下げながら言うた男は、一言囁くように溢した。

「死にとう、無いんや……まだ、死にとうない……」
「……それなら、子供を食わせてもええんか」
「……」

すっかりと、日の入ってこなくなった厨に、パタパタと足音が届く。

「父ちゃん、まだか?」
「もう出来る……待ちより」
「はーい」

また、遠ざかっていく足音を尻目に俺はその家を出た。
出たら、追いかけてきた男は俺の胸ぐらを掴みながら、小さく吐き捨てる。

「なら、どうすりゃ良かった?!やらにゃ、みんな死ぬんじゃ!!……あんたらが、早う、来てくれりゃ、……!」
「離せや」
「女房も、食わせんで済んだ……!腹のやや子も……生きとった……!!好きで、……好きでしとんやない!!」

胸ぐらを掴む腕を引き剥がし、男を雪の上に転がした。

「……なら、お前が死にゃあ良かったやんか」

俺の言葉に、とうとう男は顔を隠して震え泣いた。

頭の中がぐるぐると回る。
どうしょうもなく腹が立つ。
自分が助かりさえすりゃ、やや子の命も、妻の命も、子供の命もどうでもええんか。
それは、違うやろ。
違うやんか、と。ぐるぐる、ぐるぐるといら立ちがとぐろを巻く。
これ以上あの顔を見ていたら、いっそ吐いてしまいそうだった。
父ちゃん、と呼ばれながらその実、食わせるためにその子供を育てていると言うのだ。
女に種を撒き散らし、自分の代わりに食わせるというのだ。
お前が"鬼"やろが。
いっそ、そう叫んでしまいたくなる。

もうすっかりと日は落ち、辺りはしんと静まり返っている。
窓越しに目があった住人は、そっと障子を閉めて視界を塞ぐ。
そこかしこから醤油の焦げる匂いやら、味噌の匂いがしてきて、辺りには夕飯時の特有の空気が流れている。
子供のはしゃぐ声が、そこかしこからしているのだ。

震える指先で、俺は眼鏡をゆっくり押し上げた。


□□□□□■


村長やと名乗るスーツについて行きながらフッと周りを見渡すと、あちらこちらで子供が遊んどる声がする。

「元気ですなぁ、こないに底冷えするのに……はよ暖取りに行きまひょ」

歩調を速めた男の背中を追いながら、女の影すら見えない町の姿に、オレはため息を吐いた。



案内された先には、洋式の家が大きな柵をつけて建ってる。
丁度、この町では一番高い所に位置する、と思う。

「山姥の伝承は、知っとりますか」

門の鍵を開けながら、男は汗を拭い口を開く。

「……飯食わん別嬪さんが隠れてコソコソ頭の不細工な顔に食わしとったっちゅう話なら知っとるな」
「ははは、また悪意のある言い方しよってですなぁ」

男は門を開けて中に入り、「どうぞ」とオレを招き入れる。

「山姥の伝承は、二つあるんですわ」

少し離れた建物まで歩きながら、男はゆっくりとこっちを向く。

「貧しい男が娶った妻が山姥やと、気付いてしまった。
男は、山姥に桶に詰められて山に連れ帰られたけんど、命からがら逃げ出したっちゅう話は一般的ですわ」
「そんなやっけなぁ」
「もう一つは、この村に伝わる話ですねや」

男は玄関扉を開け、オレに入るようにと促した。

「おおきに、お邪魔しますぅ」
「ああ、ここは土足で大丈夫ですよって」
「あれま、豪気やなぁ」

玄関を通り過ぎると、別珍の真っ赤なカーテンの開いている居間に通される。
案内されたまるこいテーブルに揃えで置いてあるチェアにオレは腰を下ろした。

「紅茶でええですかな」
「……いや、抹茶がええなぁ、無いなら緑茶かなぁ……それも無いんやったらせめて酒がええなぁ……」

男は別の部屋に行ったけども、あまりにも遅いから、あぁ、きっと酒は期待でけへんな、と息を吐き捨てる。
暫らくしてから戻ってきた男はオレに静かに紅茶を出した。
から、そっと突き返しといた。

「……」
「……」

また手元にやって来た。
もっかい返しといた。

「……この土地には、金持ちの男が一人居った。……地主でな、ここの辺り一帯の土地はその男のもんやった……」
「へぇ、ええのぅ」
「その男には、妻が居ったんやけども、まぁ、女癖が悪くてなぁ。
夜な夜な女を求めてあちらこちらと行っとったんや。
連れ帰っては東屋で一晩過ごして、翌朝には女を帰す。
そんな生活を繰り返しとった……」
「病気もらわんようにせなあかんなぁ」

男は静かにカップに口をつけて、オレを見据えて汗を拭く。

「そないに暑いなら雪でも入れて冷ましゃええのに……」
「ある日、朝になるとな、昨夜を過ごした女は居らんなっとって、外から扉を叩く音がするんや」
「急に怪談噺の口調になるやんか」
「そこに居ったんは、どえらい別嬪な女やった」
「ちょお待ち」

オレはそっと男に向けて手のひらを見せる。
男は汗を拭きながら、じとりとした目を寄越した。
嫌に喉が鳴る。

「……どのくらいの、大きさや……」

オレはそっと、手で胸のあたりの膨らみを手振りで表現してみる。

「このくらい、でっしゃろな」

ニヤリと笑う男の作る仕草に、オレは息を飲んだ。

「そ、それは、デカいやんか……!!」
「揉み心地も、お墨付きですわ……!」
「誰のやねん」

男は小さく咳払いをして、また一口カップに口をつける。

「その女を一目でたいそう気に入った男は、ついに本邸へ招き入れましてん。まだ、夜も更けきらん頃でしたわ。
そうしましたらな、女は突然背中を向けて、言いますねん」
「……脱がせて」願望を呟いておく。
「よう見てて、と。」

きゃ!と声を上げてオレは顔を隠して、指の隙間から男を見た。

「髪をかき分けていくのを、男はじぃ、と、見とりました。そうしましたら、突然、あたりが生臭くなりましてな」
「ちょと速度上げていこ。巻で」

オレは指をぐるぐると回して見せる。

「そこから大きな顔が、見えましたんや」
「やから、まきで」
「男は腰を抜かして叫んだ。助けてくれ!食わんでくれ!!」
「わかったから。ぜんっぜん助平な話しちゃうやんか、もうええわ!」
「他の人間はいくら食うてもええ!やから俺は助けてくれ!!言うて」
「話聞かへんなぁ、このオッサンは」
「それからや、その女と取引しましたんや」

男は静かに立ち上がり、暖炉の側の扉を開き、火かき棒で三度、そこを叩いた。
それから静かにこちらへ来て、一度頭を下げ、汗を拭きながら言う。

「まだ、その取引は続いとるんですわ」

それから走って部屋から出ていき、律儀にも鍵を閉めはった。
外はもう暗んでて、今にも陽が落ちる。

「……へぇ、ホンマに話聞かんやん。その上自慢しよったで。ボインの別嬪さんと乳繰り合った言うて?
別に悔しくないし?オレも金は持っとるし??いや、ホンマやで?それなりに稼いでるんやわ。
金取りに行かへんから無いだけで。
別嬪さんは花街に行けば会えるからな。別に強がりちゃうで?いや、ほんまに。」


ひゅうう、と風のぬける音がしてくる。
その風に乗って、最近はすっかりと慣れてきたニオイが鼻を突く。

「ついでに言うとな、自分らァほんまに、クサいからな。
自覚しぃや。百年の恋も覚めるくらいには息クサイから」

ひた、と音が室内に入ってきて、オレの口角は上に上がる。

「ただ、まっ裸で出てきた事は褒めたろ。百点満点!完璧やわ!!」

肩から引っ掛けてる着流しを捌きながら、腰を落とす。

鬼がこちらに走ってくる。

「乳が、揺れとるでぇ!!」

サッと薙ぐ。
ピュ、と赤くまぁるい水滴が舞う。

グルル、と喉を鳴らしながら、鬼は髪を振乱した。
張り付いた髪が根を貼っていくように伸び、窓を、扉を全て覆っていく。
そのうち、オレの、足にも纏わりつき、体全部に張り付いてくる。

「動けなければ、どうということはない!!」
「ひゃああ!声まで美人さんやんか!耳福ッ!!!」
「このまま、死ね!ひひはははは!!」

鬼の女は仰け反りながら笑うから、見たらあかんもんまで見えてしまいそう。

「ッアーーー!!!そこは!アカン……!!アカンって!ちょちょちょ、ちょ!!!ホンマにアカンて!!!褌に入りよるーて!!!」

ピク、と髪が力を緩めた瞬間に、踏み込んだ。



「残念やったな。嘘や。オレの鉄壁にスキは無いで」

ピ、と刀を払い、懐紙で拭ってから納める。
今更ゴトンと音を立てて落ちた首を引っ掴み、扉を蹴破ってオッサンの気配のする玄関先に投げ捨てる。

「ッヒ!!」
「よぉ、……いっちょ、ブチかましてきたわ」
「……ぁ、あ、」

ガタガタと震えながらこちらを振り向く横を通り過ぎてから、今度はオレが振り返る。

「良かったなぁ、斬られたんがお前の首やのうて」


ガチャンと、一際大きな音を立てた門の向こうに梅が立ってた。
息を荒らげながらこっちに歩いてきたかと思うと刀をヒラリと抜き去り、件の男へと駆け寄る。

「やめぇや」
「……」

音を立てて立ち止まった梅は、静かに怒らせた目をオレへと向けた。

「なんや、邪魔立てするんか」
「役目は終わった」
「終わってない!!……今のままやと、またこいつ等、おんなじ事やりよる!!!鬼は居らんなっても!女子供を、人間やと、思とらん!何が違う?!鬼と!こいつ等、鬼や!」

叫ぶように言い切った梅に、「落ち着いたか」とだけ。

「……お前は、なんで平気なんや……おかしいやろ、なぁ、なんで、死ななあかんのや……助けを求めた先で、辱められて、子供と引き離されて、子供のためや言うて、食われなアカンのや……おかしいやんか、……」
「それを裁くんは、オレらの領分やない」
「なら、誰が裁くんや……」
「誰も」

ぐっ、と梅の喉が鳴る音がオレまで届く。
悔しいのだろう。
辛いのだろう。
それでも。

「ここで殺したら、人殺しやぞ、梅」
「……ッ、……お前が、食われれば、良かったのに……!」

梅は雪を蹴り、男へと引っ掛ける。

「村長さんよぉ、」
「……」

ずっと頭上を旋回していた鴉が、ゆっくりとオレのもとまで降りてきた。
オレの頭に足をかけ、カァ、と一声鳴く。

「やから、キジぃ!!頭にのんなや!!」
『カァ、戻レー!会議!会議ィィ!』
「もうそんな時期かいな。……村長さんな、こうやって、鴉が見とるからな」

刀を収めた梅はオレを超えて、蹴破った門の向こうへと歩いていった。

「いつでも、オレが見とるで」
「……は、い」

ホンマやったら生存者多数やし、やらなあかんことも、村人に話さなあかん事も多い。

「キジ、耀哉ちゃんに報告と、ここに隠の派遣要請しといて」
『ハァイ』

でも、今はあの婆さんに、終わったで、と。
伝えてやるのが一番な気がする。

前を歩く梅の背中を追いながら、ただただ静かな真っ暗闇で雪を踏んだ。

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