鴉からの報告で、わざわざ和歌山の方まで出向いてた時やった。

まだ一月半ばの雪が深々と降る季節。
アホみたいにキンと尖った風が肌を刺す頃。
その日一日、報告を受けた周辺を見回っては見たものの、気配の一つもない。
ただ、この近辺で良く子連れの母親が失踪する。なんて話を耳に挟んだ。


その噂を元に歩き回ってたら、木に括り付けられた草臥れ、擦り切れてしもた赤い手巾が、色をすっかりと変えてアチラコチラにぶら下がってた。



山の麓で開いてた、年季の入った団子屋で出されたみたらしを串から引き抜きつつ、団子を持ってきた婆の話しを聞く。
草臥れた緋毛氈の敷かれた腰掛けに腰を下ろしてたオレと梅の隣に厚かましくも腰を下ろした婆は口を開いた。

「ここだけの話しにしてや。
実はな、そこの目の前の山にはな、昔っからの言い伝えがある。あんたらも聞いた事くらいはあるやろうけんど、あそこには"山姥"が居る、言うんや。」
「へぇ、山姥」

声をひそめてる婆さんに、客はオレ等しか居らんぞ。と言ってやりたくなったが、とりあえず空気と一緒に飲み下しておく事にする。

「でもそれってむかぁしの言い伝えやろ?今更なんかあるんです?」ひょっこりとオレの向こうから婆に顔を見せる梅と場所を変わる。
「ほら、つめつめ」
「はぁ?」

婆さんは、オレにしてたみたいに声をひそめて、梅に擦り寄るみたいにしてまた話しを進めた。

「それがな、もう一つの噂があんねや。これはまだ、だぁれも気付いてない。多分な」
「いや、アンタが気付いてんがな」思わず口からこぼれた。

「あそこはな、母子駆け込み村として有名なんや。
ここいらでは、旦那に暴力ふるわれた、やら、どっかの花街から逃げてきた大っきな腹を抱えた娘っ子やらがようけ来るんや。
誰が回しとる噂かは知らん。でもな、あそこの村は母子"には"とびきり優しいんやそうや」
「……婆さんには?」
「ちぃっとも優しくあらへんわ!!その子らが、あっこ行くんですー、言うて、ここに寄ってくれるくらいやわ!」
「優しいやんか」

そこまで言うてから「でもな」と婆は続けた。

「わしがここを継いでからもう、三十年は経つ。
……二度と家に戻ってきた子はおらんのや……」
「それは……団子美味無かったんとちゃうか……」オレが言うと
「そうやないやろ」梅がオレの脇を小突いた。

膝の上に乗せたお盆の上で、婆のしわくちゃな手がぎゅっと握られる。
冷たい風が吹いて、オレの赤い羽織をバタバタと揺らしてから、婆さんの方へと吹き抜けていく。

「あんさんら、"鬼狩り様"なんやろ」
「……せや」婆の声に、オレは迷わずに頷いた。
「西、」梅の声を首を振って遮り、オレは口を開く。

「なる程な。婆さん、やってんな。オレに依頼してきたんは」
「赤いハンケチ三枚吊るしゃ、鬼狩り様が、やって来る、人っ子一人おらん夜に、鬼狩り様がやって来る。言うてな……わしらの子供の頃から聞く童歌や」

婆さんの窄まった目が、悲しげに垂れてた。

「わしはな、ずーっと下げとったんやで」

この店に、団子を食いに来たのは何も気まぐれではない。
見えたからや。
擦り切れた真っ赤な三連の手巾がいくつも木に括り付けられてるのが。
この店の軒先に垂れているのが。
鴉もコレを見たからオレらをここに寄越したのかもしれん。

「すまんな、遅なったな。昼間やしな」
「……つい、ひと月ほど前にも、可愛い娘さんがな、……」

声を震わせ始めた婆さんは、梅に背中を擦られながらワッと泣き出し、手で顔を覆った。

「娘さんが、頬を真っ赤に腫らして、痣まみれの娘さんがな、ここの団子、美味しいなぁ、て……子供と笑てるんや……やめとき、って、わしは言うたんやけど、もう、帰る場所も、無いんや、言うてな……やっぱり、よう止めれんかった……ッ!その前にも、コナツ言う子が、……女の子連れて……ぅ、う、」

みたらしの最後の一本を引っ掴み、オレはそれを咥えてから婆の前にしゃがみ込む。
梅は静かに婆の背を擦り、下唇に歯を立てている。

「婆さん、任せろや。もうその童歌、要らんなるからな」

婆は目を大っきく開いてから嬉しそうに

「そういう事は、終わってから言いんか」

そう言って笑った。

「もうちょい、教えてんか」

……

婆の指さした先は山。
その山の向こう側、中腹から麓にかけて、件の村があると言う。

「梅」
「ん」
「ほな、行こか」

オレの言葉に立ち上がった梅は、婆に小さく頭を下げてからオレを追う。

「西、山姥、言う事は……」
「アホほど人を、食うとるやろなぁ」

山の向こう側からオレ達を照らすお陽さんを、追うようにまずは山頂を目指した。





どんどんと玄関扉を叩くと、少しばかし草臥れた妙齢の女性が出てきて、知人やないと見ると訝しげにオレと梅を見据える。
目の下に見える隈から、さほど眠れていないのであろう事が伺えた。

「こんにちはー、怪しい者や無いんですぅー」
「そんな言い方が一番怪しいやろ、アホか。外套の下に何も着てへんような人間の自己紹介やめぇや」
「着とるわ」
「知っとるわ」

梅からケツを蹴られ、思わず声を上げてもた。

「ぐえっ、なんすんねん!しばくぞ!……まぁ、まぁまぁ、ところでやな、さっきそこの畑で親切なおじさんに教えてもろたんよ、この村には宿はないからここに泊まれー、言うて」

そしたらぎゅっと眉をひそめた娘は、ゆっくりと扉を開き、左半身を半歩下げて「どうぞ」と、ぶっきらぼうに言う。

「お邪魔しますぅ」
「すんません、今から一晩だけ、邪魔させてもらいます」

頭を下げた梅は、じ、とその女性を見下ろす。
オレは適当に草履を脱いで、梅が口を開こうとした時やった。
奥から「母ちゃん」と、か細い声が響く。

「ソウタ!あっち行っとき!」
「……はぃ、」
「あー、ソウタ君?」

オレが声をかけ直すと、襖を二つ挟んだ向こう側から愛らしい坊主頭がぴょこっと顔を覗かせた。

「スマンな、邪魔させてもらうな」
「うん、ええよ」

にぱ、と子供らしく歯を見せて笑うものだから、オレもニッと歯を見せた。

「赤い三連のハンケチの店、ひと月前に行きました?」

梅の声が、小さく翳った玄関に響いた。
小さく息を吐く女をオレは見据える。

「……さぁ」
「なら、俺の独り言です。
そこのお婆さんが、さる娘っ子が心配や、言うて泣いてたんですよ。
なんでも、怪我ぎょうさん拵えてる女性で、五尺ほどの背嵩の別嬪さんでな。
坊主の子供連れて、婆さんの店にやって来たんやと。」
「……」
「その娘さんを、助けてやってはくれへんか、言うてな」

梅が言葉を紡ぐのに合わせて、女の顔が俯いていく。

「……」
「俺らに言うんですよ、行かせたく無かった、言うて」
「……山姥に、……食べられるから、と」

涼やかな透き通った柔らかな声が、室内へと降ってくる。
それがその女の声やと気付けたのは、

「この村に一度入ると、もう……出られへんなる、って……」

女のゆっくりと開かれて揺れた目が、びいどろみたいにキラキラとして見えたからかも知れん。
きっと涙の膜が張ってるからやろう。
小さく震える口で、女はそこまで言うと口を閉じた。
開いては、閉じ。
何かを言いたいのであろうことは、火を見るよりも明らか。


ドンドンと、また玄関扉が叩かれて、女は弾かれたように顔を上げる。
ぶる、と一つ震え、両手で自分の肩を抱きしめてから、玄関先へと向かって行く。
その背中を見送って、オレは視線を梅に向けた。

「別嬪さんや!!」
「……そうやないやろ」
「助平な体しとる!!」
「ほんまにやめぇや!節操なし!」
「阿呆!ちゃんと助平そうなん選んどるわ!!」

ちょっと大きな声が出てしまったところで、戻ってきた女の後ろに胃もたれしそうな笑顔を貼り付けた壮年の男の姿を見つける。

「どうも、こんにちは」
「あらま、どうもご親切にィ!」

額の汗を手巾で何度も拭いながら、この質素な家には似つかわしくないほどの上等なスーツを着込んだその男は女の隣へ腰を下ろす。

「表の、畑しとるのがお客さん来た言うて、教えてくれましてな。うちの村では誰か来たら私が挨拶する、いう決まりなんですわ」
「そら、こっちから向かわず足労かけてもて」
「いえいえ、なに、ここいらもとんと人が入ってこんなって久しいよって。昔は村を上げて歓迎しよったんやけどなぁ」

へぇ、と梅が隣で相槌をうつ。
女は項垂れるように、男の隣で自分の膝を睨みつけて、静かに息を潜めていた。
外からは時折、子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。

「それは、聞いた話しとえらい違いや」

オレの言葉に、ギョッとしたように目を丸々とさせた梅がオレを見た。

「西!」
「あれまぁ、どこで聞かはったんやろか」
「風の噂やわ。この村が、母子の駆け込みになっとる言うのはいっそ有名な話しらしいやんか。
その割には外に見えるのは男が多いけどな。」

オレの言葉に、貼り付けた笑顔のまま男は笑う。

「ははは、そら、女は中に籠もっとりますさかい」
「へぇ、オレの家の周りでは井戸端会議やらん女のほうが少ないのに、珍しい村やわ」
「皆、逃げて来よるからなぁ、怖いんとちゃいますか」

また、手巾で男は顔を拭う。

「オレの妹が、ここに行く言うてな、こっち来てから連絡つかんなったんやわ」
「……そらぁ、えらいこっちゃ。誰さんです?案内しまひょ」
「コナツ、言いますねん」

オレの言葉に目を薄く開き、男は口から「へぇ」と漏らす。

「知りませんなぁ」
「いや、ここに来たのは間違いない。コナツは責任感強い子や」

梅がオレに「知っとるんか?!」と、耳打ちするが、それに対して首を横に振り、「知らん」と言外に伝える。

「……コナツ、コナツ、ねぇ。」

その呟きを無視してオレは続ける。

「娘を連れてたんやわ。こんくらいのちっこいのでな、頭に青い玉の簪付けとるんや。気に入りのな。むかぁし、母ちゃんにもろたんや言うて、コナツがつけてやったらしいんやわ」
「あ!ナツミちゃんや!」

割り入ってきた高い子ども特有の声に、オレは口角を上げ、前に座ってた女が弾かれたように顔を上げ、鋭い、悲鳴じみた声を上げた。

「ソウタ!!」

壮年の男は、薄く開いていた目をまたすぼめ直してから、ゆっくりと立ち上がった。

「場所を、変えまひょか」
「ちょうどええわ。別嬪さんの前やと、でけん話しも、あるやろしなぁ」

パン、と膝を一つ払い、オレは静かに立ち上がる。

「梅はここに居りや」
「おう」
「ほなな、ソウタ君、また来るわ」
「うん!」

玄関先で汗を拭きながら待つ男の方へと、オレは足を向けた。


◇◇◇◇◇


西が去った室内に残された女が、小さく震えながら言葉を紡ぐ。
それは、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどに小さなものやった。

「こ、コナツさんは、……妊婦やったんです……」
「うん」

聞いてる、と意志を示すために、確りと俺は頷いた。

「コナツさんは、ここに住んでて……」
「うん」
「……もう、半月は姿が無いんです……」

小さな声が、震えてた。
ソウタが、その小さな体を使って女を抱きしめ、大丈夫やで、大丈夫やで、と声をかけるが、女の体は段々と小さく蹲っていく。

「こ、ここに居たら、」
「……」

それから、女の言葉は無くなった。

「鬼を見たんか」

静かな俺の声に、弾かれたように顔を上げた女は、唇を噛み締めて、ゆっくりと頷いた。

「ソウタ、……外で、遊んどいで」
「……わかった」

女はおもむろに立ち上がり、二間続きになってた間の襖を静かに閉める。
向こうからの日が遮られて、室内は仄暗さを増した。

「あそこが、閉まってるときは……まぐわってる、言う、合図なんです」

より声を潜めた女は、俺に身を擦り寄せながら、小さく震える。

「コナツさんは、きっと、食われたんです……に、妊娠だけは、したらあかん、って、」
「うん」
「ま、毎晩、見に来るんです……皆が寝静まった頃に……」
「鬼か」

小さく頷いた女は、震える体を抑え込むように、自分の体を抱きしめる。

「私がここに来た、その日の夜です。私は、向こうの部屋でソウタと、ナツミちゃんと眠っていて、そうしたら、……凄く生臭いニオイがしてきて……
こ、コナツさんは、その、儀式だ、と言われて……代わる代わるに、その、」
「まぐわってたんか」

頷いた女は、また口を開く。

「その、鬼の前で。
私、恐ろしくて……鬼は、とても、綺麗な人なんです。
綺麗な人で、綺麗な人なのに、ここに、ツノが。
翌日に、私はその部屋に連れ込まれて、……その日からです。
……ソウタは、守ってくれると……でも、私が"役目"を果たさないと、ソウタを、食わせる、と。
逃げようとしたら、即座に食う、と。
こ、子供が、栄養が豊富だから、子を産めば、私も、ソウタも助けてくれる、って。」
「……ナツミちゃんは」

俺の言葉に、女はワッと泣き出した。

「お、女の子は生きられるんです……!なのに、男子は!!……男子は、く、食われてしまうって、!!だ、だから、私、はやく、早く孕まなくちゃ、」
「コナツさんは」

顔を隠したまま首を横へと振る女の頭を、大丈夫、と言い聞かせるように、俺は幾度も撫でた。

「……たすけて、」
「助けたる。ちゃんと助けたる、あんたも、ソウタも」



矢張り、俺には
鬼と人とは同じだと、考えることはどうにも出来そうには無かった。
鬼は、やっぱり悪や。
でも、それに与する人間は、鬼や。



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