『ジリリリリリリン!!』
 懐かしい目覚ましの音で飛び起きた。小学校に入学した時から愛用し、高校生になってもまだ使っていた、足元に置いていた黄色いアナログ時計を叩いて止める。この方法でないと、どうしても起きることができなかったのだ。それがあることはすなわち、ここは間違いなく、昔の僕の家だ。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
 息を整えてから、枕元に置いてあるスマートフォンを見た。二十××年、四月一日、午前七時。高校三年生の春。
 しかし、今日はまだ春休みのはずだ。休みの日なら、目覚ましをかけることはない。何か用事があったか?

 さすがにそこまでは、パッと思い出すことはできなかった。通学鞄を開け、毎年学校から配布される生徒手帳の今日の欄を見ると、今日から三日間、塾の集中講義が入っていた。時刻は九時から。
 朝の支度をどうすればいいのか、それは不思議と自然に思い出せた。自室は二階にある、一度一階に降りて、台所に立って何か作っている母親に起床の挨拶をする。
「おはよー」
「おはよう。あら、今日は早いじゃない」
 僕が死んだのは、この時から三十年ぐらい後。ずいぶんと年老いていた母も、まだこの頃はこんなに若かったことに驚く。三つ下の妹は完全な春休みだ、まだ寝ているだろう。父親はこの時期、海外に単身赴任中だったか。
「九時から塾だよ。春期講習」
「あらやだ、忘れてた。ゆっくり起きてくるつもりで、スープを作っていたのだけど」
「いいよ、パンとインスタントのスープで済ませるよ」
 一旦ダイニングを出て、お手洗いと洗顔を済ませる。服が汚れるのは嫌なので、朝食はいつもパジャマのまま食べていた。
「何時に帰るの」
「七時ぐらい」
「じゃあ、スープは夕ご飯ね。お弁当の用意はしていないから、コンビニで買っていきなさい」
「はあい」
 終わる時間は六時半になっていた。帰り支度や帰宅にかかる時間を考えると、ちょうどそれぐらいになると計算できた。どうやら記憶は、死んだときの年齢までのものがすべて残っているが、生活習慣や、塾や学校の行き帰りの時間感覚というものは、当時のものが再現されているらしい。
――再現? いや、というかそもそも、本来この時間軸で動いていた僕はどうなってしまったのだろうか。
 六枚切りの食パン二枚をトースターに入れながら、ようやく、そんな疑問にぶち当たった。この世界は、本当に僕が元いた世界であって、過去の僕の意識を、今の僕が乗っ取っている状態なのだろうか。それとも、ここは元いた世界のパラレルワールドであって、新しく生成された『僕』がいるにすぎないのだろうか。
――いや、しかし、あの死神は。
 駅の窓口にいた死神は、四十七歳の僕を、あの不思議な列車によって、僕自身の過去へと『回送』させる、という表現をしていた。ということは、前者の解釈の方が正しいのか、あるいは近いのかもしれない。
 だが、細かい仕組みを延々と考えていても、時間の無駄だと気付いた。使える時間は限られている、その間に、僕は彼に『真実』を伝えなければならないし、彼を救わなければならない。そのために、ここに来たのではなかったか。
 母がやかんでお湯を沸かしてくれていた。スープ皿にインスタントのトマトスープをあげ、沸騰したお湯をそこに注ぎ、レンゲでかき混ぜる。時間が来て、トースターから二枚のパンが飛び出す。その一つにはマーガリンを、もう一つには苺かブルーベリーのジャムを塗って、二つの塗った面を合わせて食べるのが、僕は好きだった。今日は苺の気分だったので、冷蔵庫から出したそれを塗りたくり、パンの熱で溶けたマーガリンが載ったそれと合わせてかぶり付く。
「シン、晩御飯のリクエストはある? スープはポトフだけど」
「何でもいいよ。肉が食いたいかも」
「じゃあ、ハンバーグ辺りはどうかしら」
「うん、いいよ」
 そんな会話もしたっけか。もちろん、日常のちょっとした会話なので、遠い未来の僕の記憶に残っている訳もないが、どこか懐かしい気分になった。


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