「お客さん、準備が出来ましたよ」
 いつの間にか、うとうととしてしまっていたらしい。その声に我に返ると、目の前に僕を出迎えてくれた人が立っていて、僕を見下ろしていた。
「ああ、すいません」
「だいたい皆そうですよ。ちょっとばかり、準備に時間がかかるもので。さあ」
「はい」
 少し先に行ったその人の後を追って、ホームに出た。何か看板が掲げられているのかと思ったが、何もなかった。
 ドアが前後二か所ある電車は、もうエンジンがかかっているらしい。運転席の近くに、煙草を吸っている、別の小柄な、こちらも性別が分からない、青い目をした人がいた。
 僕を導いてくれた人は、白地に、窓の下に青のラインが入ったその車両の、前の出入り口の前で立ち止まった。
「最終確認をするよ。期限は一年間。その間に、君の問題はきっと解決する。解決でき次第、一年が経っていなくとも、君は君が本来望んでいた通り、無になる。いいね?」
「はい」
 僕は、はっきりと返事をした。まるで、小学生が「ちゃんと返事をしなさい」と言われてするように。その人は、僕の肩を叩いた。
「じゃあ、行っておいで」
 促されて、僕は右足を車両に踏み入れた。が、一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあったのを思い出して、手摺りを右手で掴んで振り返った。
「あの、一つ、いいですか」
「うん? 気が変わったかい?」
「いえ、そういうのじゃないんです。一つだけ、お聞きしたいことがあって」
「おや、なんだい」
「あなた方は、何者なんですか?」
 すると、その人は口元に手を寄せて、クスッと笑った。
「そうだね……優しい死神、ってところかな」
 ああ、やはり人間じゃなかったのか。なのに手が温かかったのは、不思議な気がするが。
「ほら、さっさと行け」
「すいません」
 軽く照れたのか、少し乱暴な口調になっていた。それに促され、僕は両足を車内に踏み入れた。もう一度、その顔を見る。
「では、ご武運を」
 敬礼しながら、その死神は言った。扉が閉まる。
『せっかくだから、座れ』
 車内放送を通じて、運転手らしき声が聞こえた。一番扉に近かった席に座って、運転席を見てみると、癖のある髪の死神が、立ってこちらを見ていた。
『今から発車する。その手摺りに、ボタンがあるのが分かるか?』
 確かに、手摺りには、赤いボタンがあった。うなずくと、相手は続けた。
『発車して十秒経ったら、もう引き返せなくなる。もしその間に気が変わるようなことがあれば、そのボタンを押せ。そしたらこの列車は強制的にこの空間の中で止まる。いいな?』
 再びうなずくと、運転士は座席についた。
『過去への回送列車、発車します。行き先、二〇××年四月一日、午前零時、日本国、東京都、調布市――』
 そうだ、その通りだ。まさしく、僕が還るべき先、当時住んでいた住所だ。
 列車は動き出し、加速していく。
『一、二、三、四』
 振り返っても、もう、駅舎も、もう一人の死神の姿も見えない。
『五、六、七』
 気が変わる気配はない。もう、全部、委ねてしまえ――
『八、九、十、脱出!!』
 最後に感じたのは、飛行機が飛び立つときのような、あの浮遊感だった。


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