- ナノ -

懐いてないし

 一ヶ月以上顔を出さないときもあれば、一週間に何度も訪れるときもある。気まぐれなクロロの訪問に最初は振り回されていたけど、そういう生き物だと受け入れたら割と早く生活の一部として馴染んだ。
 一週間ぶりに家に訪れたクロロはいつものソファで寛いで、つけっぱなしのテレビをつまらなそうに見ていた。消せばいいのに。もう読み終わったらしい本がテーブルの下に積まれていて、まだそれを読み直してた方がよっぽど楽しいんじゃないかとすら思える。
 コートを脱ぎながら呆れた視線を向けていると、クロロが「シャルに会ったんだって?」とテレビに顔を向けたまま訊ねた。そうだ。シャルだ。ずっと思い出せずにいた名前がわかってスッキリした。頭の片隅に思い浮かべていたマルでもサルでもなかったか。意外といいセンいってた。あと三日もあれば辿り着いていた気がする。
「この間たまたま会ったの」
「今度何か聞かれても喋るなよ」
 ぎょっとしてクロロを見る。テレビから視線を外して呆れたような顔を向けられていた。シャルさん、クロロに告げ口したんだ。ダメもとでもクロロには言わないでってお願いしておけばよかった。なんとなく責めるような視線が向けられている気がしてそっと顔を背ける。
「やっぱりダメだった? 言ってから気づいたんだけど……」
「遅い」
「でも他はなにも言ってないよ。……たぶん、記憶の限りだと……」
 この家に寛ぐための椅子はソファしかない。背もたれがほしくて肘掛けのところに身体を預けるように座る。クロロの腕を背中で踏みつけていたらしく、邪魔そうにされた。私の家の私のソファなのに。そこでふと思い出す。
「そういえば、明後日から出張だからしばらく留守にしてるね」
「出張?」
「うん。二週間」
 長いな、と小さな声でぼやく声が聞こえる。部屋使っててもいいけど汚さないでねと伝えると、お前より綺麗にしてると返された。その言葉にテーブルの下に積み上げられた本を凝視してやったのに、クロロは気にする様子もない。これくらい図太く生きてみたいものだ。頭がわずかに引っ張られるような感覚がして、そこでクロロが垂れた髪をいじっているんだと気付く。
「うちは家庭持ちの人が多いから私と先輩に当たっちゃって」
「この間の?」
「そうそう」
 肘置きにもたれていた背中をぐっと後ろに倒す。テレビに向けていた視線を私に移したクロロに、前からなんとなく思っていたことを聞いた。
「もし、」
「…………」
「もし私がしばらくパドキアに行くことになったら……クロロはどうする?」
 テレビから聞こえてくるバラエティ番組の笑い声が、少しの沈黙を埋めた。クロロの気まぐれで成り立つこの不可思議な関係は、ぼんやりとした形を保ったまま、離れがたくなるくらいには当たり前のものになっていた。少なくとも、私の中では。
 逆さまに映るクロロの目をまっすぐ見つめる。お互いの視線が交わったまま、クロロの言葉を待った。
 クロロの手が伸びてきて反射的に目を閉じると、瞼の上をなぞるように指で撫でられる。目尻に流れた指にまた目を開けると、クロロの目が僅かに細められていて、そのせいかやけにやさしい表情をしているように見えた。
「ずいぶん懐かれたな」
「……また言ってる」
「不満か?」
「別に。懐いてないし」
 口を尖らせると、クロロはすべてをお見通しだとでも言うようにふっと笑う。拗ねたような態度が少し子どもっぽかったかと思い直して、すぐになんでもないような表情をしてみせたのに、クロロはまたおかしそうに笑った。
「お前がいるところに行くよ」
 髪を梳いていたクロロの手が頬を伝って、首をくすぐるように撫でる。猫にするようなその仕草こそ不満に思ったけど、どうせクロロには口でも勝てない。なにも言わずにただ黙って受け入れた。



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