- ナノ -

教えてやらない

 出先のカフェのテラス席で先輩と昼休憩を取っていたとき、先輩がお手洗いに立ったタイミングでテーブルに影がかかった。顔を上げると同時にその人は先輩が座っていた対面の椅子に座り、からかうような笑顔を浮かべながら私を真っ直ぐ見つめる。午後の陽にきらきらと光を吸い込む明るい髪が眩しい。
「見ちゃった」
「あ! えっと、たしかクロロの、」
「そうそう」
「ホスト仲間の!」
「ごめん、もう一回言って」
 聞き間違えた? と言いながら額を抑えたその人の名前が思い出せなくて唸る。なんて呼ばれてたっけ。全然思い出せない。言われたとおりもう一回ホストの、と言いかけたところでやっぱりいいやと止められる。本当にクロロによく似てる。自分勝手そうなところとか。絶対口には出せないけど。
「彼氏とデート?」
「やっぱり聞き方がナンパくさいんですけど……」
「だから違うって。で、どうなの?」
「先輩ですよ。仕事の昼休憩です」
「なんだ。よかったね」
 よかったねってなんだ。意図が読めずに曖昧に頷いておいた。通りがかった店員さんが空いた皿を下げていいか訊ねて、その人が当たり前のようにどうぞと答える。頬を赤らめながらちらちらと熱い視線を送る店員さんの態度に気づいているはずなのに、目の前の男は何でもないようにありがとうとだけ返した。クロロといるときもそうだけど、ものすごく居心地が悪い。名残惜しそうに離れていく店員さんの背中を見送る。
「クロロと知り合ってどれくらいなの?」
「え。どれくらいだろ……一年は経ってると思いますけど。二年はさすがにないかな」
「一年?」
 嘘をつく必要もないかと正直に答えると、大きな目がこぼれ落ちてしまうんじゃないかと心配になるほど目を見開いた。そんなに驚かれるとは思ってもいなくて、もしかして言わない方が良かったかなと少しだけ不安になる。
「クロロいないし連絡先でも交換しておく?」
「いえ、やめときます。分かんないけど怒られたらやだし」
「へえ。躾がなってるね」
 躾って。犬や猫じゃないんだからと思ったけど、クロロにとって私はペット感覚なんだろうか。勝手に家に上がり込むクロロを受け入れてるのは私の方なのに。不満が顔に出ていたのか、軽い調子で「ごめんごめん」と謝ったその人が内緒話をするように声を顰める。
「お詫びに、いいこと教えてあげようか」
 いいこと。秘密を帯びたその単語に惹かれて頷く。ちょいちょい、と指で招かれてテーブルの真ん中に顔を寄せると、同じく寄ってきたその人が耳元に手を添えて、さらに小さな声で言った。
「クロロはね、自分のものに対する独占欲が強いから」
 気をつけた方がいいよ。いかにも親切そうな人のいい笑顔を浮かべたその人は、それだけ言ってさっさとどこかへ行ってしまった。いいことっていうか、どちらかというと忠告だ。それをどうして私に伝えたのかもわからない。呆けているうちに先輩が戻ってきて、結局最後まで名前は思い出せなかった。

* * *

 確かにかわいらしくはあった。容姿だけじゃなく、純朴なあどけない瞳を少し不安そうに揺らして、それなのに態度は気丈で芯が見える。そのくせどこか抜けててつい構いたくなるような。
「でもわかんないんだよね」
「何が?」
「あの子のどこが気に入ったの?」
 ページを捲る手が止まった。あの子という単語だけで心当たりが浮かぶくらい気をやってるのかと思うとからかいたくもなる。ホスト仲間の、と曇りのない目で言ってのけた彼女を思い出して笑いを溢すと、団長が訝しげな視線を向けた。
「この間カフェで偶然会ったんだよね。なまえちゃん」
「…………」
「ちなみに本当に偶然だから。向こうも仕事の休憩中だったみたいで男といたし」
 団長の反応はない。あの感じなら結構いい線行ってるの思ったのに、意外とドライなのか。まだ分からない。昨日の仕事に駆り出されていたやつらがぞろぞろと会話に入ってきて、狙い通りだと心の中でほくそ笑む。
「なに? なんの話?」
「団長のお気に入りの子」
 今までだってそういう相手はいた。でも今までの相手は一晩だけの付き合いだったり、こんなに頑なに隠そうとなんてしていないはずだった。
「お気に入りぃ? 今度はどんな能力持ってんだ?」
「違うんだよ、ほんとにフツーの子。かなり長いみたいだし、」
「シャル」
 静かな声に口を噤む。ほら。これが独占欲じゃないならいったい何だというのか。団長の視線で元の場所に戻って行ったみんながこちらに聞き耳を立てていることくらい容易にわかった。団長がため息を吐く。
「勝手に調べるな」
「あそこまで分かってたら調べなくたってわかるよ。まあ、一年も前から知り合いっていうのは本人から聞いたんだけど」
 頭を押さえて再び息を吐いた団長は至極面倒くさそうな態度で本を閉じて立ち上がった。これ以上の詮索はやめろという合図だった。せっかくいいところまできたのに逃げられる。あんなに面白い子、みんなだって絶対気に入るのに。
「ね、結局どこがいいの? それくらい教えてよ」
 ほんの少しくらい収穫がほしい。顔だけを振り向かせた団長は微かに笑っていた。
「知らなくていいよ」



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