- ナノ -



月の裏側


 携帯の画面を見ていたヒロが、突然堪えきれなかった笑いを溢すようにふっと笑った。その笑い方は覚えのあるもので、相手は誰なのか聞かなくても分かっていた。
「なまえ?」
「ふっ、くく、そう、ほら」
 周りの視線を気にしてか、こみ上げる笑いを必死に押し殺そうとしているヒロが携帯の画面を向けてくる。
「ぶっ」
「ほら、な」
 向けられた画面には、友人だと思われる数人とそろって変なポーズを決めたなまえの姿があった。体操服に頭に赤色のハチマキを巻いている。体育祭だったのだろうか。普段から変わった写真ばかり送ってくるけど、イベントごとになるといつにもまして変な写真ばっかり送ってくるんだ、といつかにヒロが言っていたことをなんとなく思い出す。
 ヒロの長野にいた頃の幼なじみだという彼女は今も変わらず長野で暮らしていて、ヒロが親戚の家に引き取られたばかりのころはほとんど手紙でやり取りをしていたらしい。携帯電話が普及し始め、メールでのやり取りに変わったのはここ数年のことだ。
「いつもこんなことばっかりしてて大丈夫なのか? なまえももうそろそろ受験シーズンだろ」
「さぁ? 地元の方の大学受験するって言ってたし、一応勉強はしてると思うけど……」
 あんまりそういう話はしないからなぁ、と言ったヒロは今までのやり取りを思い浮かべてるのか、また頬を緩める。それを見て、いつか聞こうと思っていたことを口にした。
「前から気になってたんだけど」
「ん?」
「ヒロとなまえって付き合ってるのか?」
 ぽかんと間抜けに口を開けたまま固まったヒロを黙って見つめる。すぐに正気を取り戻したヒロは大げさに首を振った。
「まさか! ただの幼なじみだよ」
「それにしてはやけに気にしてたから」
「うーん、なんかほっとけないんだよ。どこか抜けてるし……ゼロも分かるだろ?」
 それは確かに、と頷く。会ったことも話したこともないのに、やけに気に掛けてしまう。
「多分、ゼロとなまえは会ったらすぐ仲良くなれる気がする」
「なんだそれ」
「ゼロは意外と世話焼きだから」
 それははたして喜んでいいのか。ヒロの携帯の画面にもう一度視線を移す。不恰好なポーズを決めながら人好きするあどけない笑顔を浮かべた彼女に、いつか会う日が来るのだろうか。


 * * *


「一応確認しておくけど……それってさ、結婚詐欺とかじゃないよね」
「えっ」
 降谷さんと会った日に飲んだ以来の友人に事のあらましを話したところで、神妙な顔をした友人がそう言った。大学進学のタイミングで上京していた友人とは学生時代からの仲で、私が仕事の都合で東京に来た時も家族と同じくらい気にかけてくれた友人だった。降谷さんに拾ってもらったあの日も、私の愚痴に付き合ってくれていたのは彼女だった。
「だっていい車乗ってるなら金はあるでしょ。性格もまあ温厚そうで、その上顔もいいって……ある?」
「……ないかも。そんなこと全く考えてなかった……」
「ていうか婚姻届って! 普通に怖すぎ!」
「それはまあ……半分自分のせいというか……」
「私はその降谷さんって人に実際に会ったわけじゃないから分からないけど、話聞いた限りはかなり怪しいよ」
 結婚詐欺、特徴。思わず検索をかけて、上に出てきたまとめページを開いてみる。理想的な人間像、お金を持ってる、結婚を急ぐようなことを言う。並ぶ言葉をかみ砕くよりも早く愕然とした。
「え……本当じゃん……」
「でしょー!? ちなみにお金要求されたりは?」
「今のところないかな……」
 どちらかというとお会計はいつの間にか払ってるし、出そうとしても頑なに断られる。でもお金を持っているそぶりを見せると書いてあるし、そのひとつなのかもしれない。友人はうーん、と顎に手を当てて難しい顔をしている。
「まだ出会ってそんな経ってないし、二回しか会ってないならこれからなにかあるかもね。家族が病気でーとか、事業が失敗してーとか?」
「そうだとしたら本当に自分の見る目を疑う……」
 たったの二回しか会ってないけど、降谷さんはそんなにおかしい人には見えなかった。少なくとも私の目には。私の様子を見た友人はうーんと唸ると、「ってことはちょっとはいいと思ってたってこと?」と首を傾けた。
「いいっていうか、悪い人には見えないっていうか……それに、なんとなくどこかで会ったことある気がするんだよね」
「昔会ったことあるってこと? 取引先とか?」
「うーん……でも全く覚えてなくて……」
 あんな人、一回でも会ったら忘れなさそうなのに。友人は複雑そうな表情を浮かべたまま「まあなにかあったら一人で決めないですぐ言って、相談に乗るから」と肩をすくめた。




prev | back | next