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▼ この恋仕立てますか?2

これの続き


「こないだぶりです……」
「い、らっしゃいませ、みょうじサン」

 台風が近付いた週末、じめじめとした日が続く憂鬱な毎日に現れた一筋の光――なんてポエムをしたためるつもりは無いが、照れくさそうに店内を覗き込む彼女はマジで光り輝いて見えたのだから困った。
 店頭のディスプレイを新作に替えようとマネキンに掛けていた腕をそっと下ろす。作業を中断した俺を見て、みょうじさんはもう一度「お久しぶりですね」と会釈した。
 テーラーショップの顧客である彼女が、とりあえず俺のペンパル的な立ち位置になって早数ヶ月。イマドキの中学生でもびっくりのレベルで進展はゼロだ。小学生だって数ヶ月もありゃデートの一つや二つするだろう。幼稚園児ならプロポーズをする頃である。いやそれはまだ気が早いって? それはそう。
 ジャケットの左側の内ポケット、名刺入れが入っている膨らみを少し撫でたところでやっとみょうじさんは店内に足を踏み入れた。彼女に貰った名刺はまだこの膨らみの中にある。ズボラとかではない、決して。なくすのが怖いからでもない。決して。

「あの、遅くなっちゃったんですけど、スーツ受け取りに来ました」
「あー、ベージュのね。もう出来てるから持ってくる」

 座って待ってて、と言えばみょうじさんは大人しくお客様用のソファに腰掛けた。普段コーディネートを提案したり伝票を書いてもらったりするローテーブルは、ちょうど今朝綺麗に拭きあげたばかりで物は置いてないがホコリもない。手持ち無沙汰な彼女の前に、今季のカタログやリーフレットを暇潰しにと数枚置くと、ありがとうございますと丁寧にはにかんだ。意図せず使われた上目遣い、こちらこそありがとうございます。
 浮ついた足取りのままバックルームの扉を開けて、二段ラックから彼女の名前の伝票を探す。伸ばした自分の袖の色を見て、そういえば俺今日ちょうどベージュ着てるじゃん、とふと思った。
 いや。
 いやいやいや。
 別にお揃いとか思ってないし。大体今日みょうじさんが来たのは――

「……」

 彼女から、スーツを取りに行きたいからシフトを教えてほしいと言われたような気がする。しっかり土日祝休みのみょうじさんはこれまたしっかり休みを満喫しているようで、出来れば平日がいいと控えめな要望が来たことも覚えている。この前はたまたま朝立ち寄る時間が出来たが、基本は仕事終わりの夕方がいいと言われてシフトと照らし合わせた結果、じゃあこの日に仕事が早く終われば伺いますとなったはずだ。確か。
 ……だからって別にわざわざベージュで揃えようなんて高校生みたいな考えで今朝支度をしていた訳じゃあない。
 例え今日のスーツが今年の秋冬物で、なおかつおろしたてで、普段はあまり着ないスリーピースにして、裏地もネイビーのさりげないペイズリー柄にしてあって、靴とベルトは気に入っているスエード素材で揃えて、そんなちょっと今日はクラシカルにキメようなんてこれっっっっっぽっちも思っていない。

「いやいやいやいや」
「うるさいぞ、一人でブツブツと。昼下がりの主婦かお前は」
「あ? 主婦はテメーの髪だろーが、ヅラ」
「ヅラじゃない、これは地毛だ」
「知ってンだよ! んなこたァ」

 壁に掛けた鏡でのんびりとネクタイを締め直していたヤツがこちらを振り向く。休憩終わりでまだ少しだらけた雰囲気のままだったが、俺が仕上がり品を手に持っていることに気付いて、近くに置いてあった書類を手に取ってそのままドアを開けてくれた。

「サンキュ」
「みょうじさんのか」
「……何でお前が知ってんだよ」
「知ってるも何も、お前が毎日そわそわとその辺のラックを頻繁に弄るからだろう」
「してねーわ! ……してたとして名前までズバリ当たるか普通」
「貴様、この店の顧客管理やダイレクトメールの発送を誰がやってると思ってるんだ?」
「あ〜……ハイハイ、桂小太郎サマですゥ」

 レジカウンターにばさりと書類を置いたヅラが呆れ顔で俺を見た。なんだその顔は。変な生き物のラペルピンなんかしやがって。どんな店で見つけてくんだそんなヤツ。なんだその顔は。お前だってこの店の備品管理誰がやってんのか分かってんのか。高杉だけど。
 ひととおり心の中で罵って、テーラーバッグの中からメンズのものよりも小さなセットアップを取り出す。裾の仕上がり良し、よごれなし、ほつれなし。ウン、流石良い生地で作った良いスーツだ。俺が縫製した訳じゃないが、お客様のカッコイイが詰め込まれた一着を渡す瞬間はいつだって少し誇らしくなる。

「お待たせしましたァ」
「ありがとうございます」
「パンツだけでも履いてみる? 丈直しならまだ無料で出来るし」
「いや、そこは坂田さんの採寸に絶大な信頼を寄せてますので」
「そ? なら仕上がりだけご一緒に確認お願いシマス」

 テーブルの上に仕上がり品をゆっくりとおろし、オーダーの生地と仕上がりを一点一点確認していく。パンツスタイルの秋冬物、ウール百パーセントだから伸びづらいけれど、肌触りは最高。色は落ち着いたベージュ。裾はシングル、巾は通常よりすこし細め、ジャケットの袖の直しとセンタープレスの加工――と、お決まりの文句を機械のようにすらすら吐き出したところで、いつも相槌を打つ彼女の声が聞こえないな、と目線を上げる。

「?」
「……あの、やっぱり試着してみてもいいですか!」
「いいけど……?」

 急に意気込んだみょうじさんのまるい瞳と目が合う。夕方でもしっかり上がったまつ毛、長ェな、なんて関係ないことに感動していたら彼女の方から目を逸らされた。
 しまった。見すぎたか? と焦りつつもハンガーからするするとパンツを外す手は止めない。なぜなら俺は仕事はキッチリやる男だから。試着室に案内する声も震えない、なぜなら俺はデキる男だから。パンツを手渡す時にみょうじさんの秋っぽいネイルと俺の指が触れあっても動揺しない、なぜなら俺は公私混同はしない男だから!!

「あの、上も着てみていいですか?」
「もちろん。ドーゾ」

 試着室から出てきた彼女がそう言うので、ジャケットもハンガーから外して小さな背中にまわる。細い腕に袖を通して着せれば、全身鏡越しのみょうじさんの顔は満足気でこっちもつい口角が上がった。丈感よし、サイズよし、文句なしの仕上がりだ。
 全体を確認したあと、いそいそとジャケットを脱いで俺に渡しながらみょうじさんがちょっと、呟いた。不満なところがあったかと尋ねると、ふるふると首を横に振った彼女の唇が開いては閉じてをすこしだけ繰り返す。

「ちょっとだけ、今日の坂田さんとおそろいみたいで……なんか恥ずかしくなっちゃいました」

 そう言ってはにかんで試着室に入った彼女は、自分でカーテンを閉めた。
 恥ずかしくなっちゃいました……?
 …………いやこっちも恥ずかしくなっちゃいましたが!?
 一、二歩後ずさってその場にしゃがみこむと、後ろから思い切り頭を叩かれる。ディスプレイ用のスーツを持ったヅラが、さっきよりも一層呆れた顔で俺を見下ろし、ついでに試着室の前のみょうじさんのパンプスを綺麗に揃え直した。

「店のど真ん中で堂々としゃがみこむな、阿呆」
「……ウルセー早くディスプレイ変えてこい阿呆」
「貴様の仕事を代わりにやってるんだろうがド阿呆」
「そうですかド阿呆様ありが……いでっ!」
「……坂田さん?」

 シングルモンクの金具の部分で器用に俺のケツを蹴り上げたヅラが店頭に向かっていくのと同時に、カーテンの開く音がして慌てて立ち上がる。不思議そうな顔で出てきたみょうじさんから試着したパンツを受け取って、なんでもないとこたえた。

「あー、テーラーバッグのままでいい? 紙袋要る?」
「そのままで大丈夫です」
「じゃあお包みしますんで」

 慣れた作業は考え事をしながらでも出来る。テーラーバッグを綺麗な形に整えて、お出口まで、なんて言いながら頭の中はぐるぐるとさっきの言葉が駆け巡っていた。
 結局無言のままたどり着いた店頭ではヅラがマネキンのネクタイを整えているところで、みょうじさんに声をかけて挨拶を交わす。話し終わった彼女がこちらを向いて、俺はテーラーバッグをお渡しして、ありがとうございましたと言うだけなのだが。

「あの……、坂田さん?」
「ん?」
「手……あの、離してもらって……?」

 テーラーバッグをお渡しして、ありがとうございましたとお礼を述べて、そして、その手を離せないまま三秒。怪訝そうな顔をするみょうじさんもかわ……とは言えず、けれどもその顔を見たらつい口から出まかせのように単語が次から次へと溢れ出す。

「あ〜、ネイル、秋っぽくて可愛いっすね」
「…………えっ」
「さっきのスーツも似合ってて」
「え、あっ、……え?」
「できれば今度私服も見てみたいなァ……とか……」

 実際、出まかせは一つも無いが。
 すこし離れたところで聞いていたであろうヅラが鼻で笑ってカウンターに戻っていったが、もはやそれに突っ込む余裕すらない。ハンガーの持ち手をみょうじさんの手に握らせて、そこでようやく手を離した。上からぎゅっと押さえ込んだ細い指に声が出そうになるのを抑えて、精一杯の店員の顔で送り出す。さすが仕事がデキる男の代名詞。

「んじゃ、また。お待ちしてます」
「えっ……!」
「や、また連絡する」
「れん、あ、えっ、ハイ。待ってま……す」

 慌てた背中が見えなくなるまで見送って、よろよろとカウンターに戻って蹲っても今度は怒声は降り注いでこなかった。

「……なァ、もしかして俺、口説き方下手くそか?」
「今どきの中学生でも、もっと上手くやるだろうな」
「だよなァ…………」

 とりあえずまた連絡すると言った手前、すぐ文面を考えることにしよう。ポケットからプライベート用の携帯を取り出そうとしたところで、仕事中だとやはり頭上から拳骨が落ちてきた。

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2023/10/10、銀さんお誕生日おめでとう!

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