SHORT | ナノ


▼ 桜が咲くまで待ってくれ

桜が咲くまで待たないでの続き


 その日の俺の理性を誰かに褒めてほしい。とにかく褒めてほしい。正直めちゃくちゃ言いふらしたいが俺の人生が終わりかねない、でも褒めてほしい。ガキか。

「お風呂でた!」
「……おー」

 元、とはいえ教え子と付き合っているのは多分世間的にとてもマズい。向こうは現役の女子高生、こちらはアラサー手前の現役教師である。前の学校で確かに熱っぽい視線を感じた事はあったが、正直なところ学校の先生に憧れる生徒は少なくない。ので、軽くあしらっていたつもりだった。かくいう俺も自分が学生の時は美人の女教師に…………、という話はさておき。
 赴任先も変わって会うことは無いだろうな、と考えていたら早速文化祭で再会し、熱烈なアタックを受け、マズいだろうとは思いつつもその熱意に次第に惹かれてしまった。会うことは無いだろうなんて考えていた時点で、もしかしたら既に俺の負けだったのかもしれないが。とにもかくにも、結局この天真爛漫さと明るさにやられてしまった次第である。

「やっぱり大きいね、銀ちゃんの服」

 これまでにも何回か、俺の家に泊まると言って聞かない事はあったが、とうとう今日、折れてしまった。
 そして学校のジャージを着替えなどと言い出すので、俺はめちゃくちゃ考えた。考えてしまった。自分のベッドに寝ている、前に勤めていた学校のジャージを着た、彼女を。
 いやもう流石に、ね? 駄目だよ。何が駄目って、今までせっかくしっかり線引きをして手を出さずにぐっと耐えてきたというのに、学校のジャージは駄目だ。犯罪だ。そう思って自分のスウェットを渡したが、風呂から出てきたなまえがだるだるの裾を折りながら大きいね、なんて言ってきたのでもう頭を抱えるしかなかった。

「まァ……そりゃね」

 俺の服も駄目だった。もう理性が死にそうだ。
 前屈みになりそうな姿勢と気持ちを、ドライヤーのコンセントを挿しながら抑えつけて、一呼吸して、なまえに声を掛けた。

「髪、これで乾かして――」
「あ! 銀ちゃん、乾かしてよ!」

 ばふ、と俺のベッドに座って、キラキラした目でなまえがこちらを向く。あー、叫び出したい。今すぐ手に持ったドライヤーを床に叩きつけてしまいたい。
 昨今薄給激務になりつつある教師の俺は広い部屋に住む余裕は無いので、至って普通のワンルームに暮らしている。小さめのテレビ、ローテーブル、椅子がわりにも使っているシングルベッド。床に置きっぱなしの通勤カバン、なまえが来る前に散らかしていたその他諸々を詰め込んで絶賛ぐしゃぐしゃのクローゼット。
 そんな狭くて生活感丸出しの部屋に、自分の服を着て、俺と同じシャンプーやらボディソープやらを使って、髪の濡れた彼女。これが数年前なら確実にドライヤーなんぞほっぽり出して押し倒しているところである。

「あ〜……向こう向いて、」
「わーい!」

 なんの躊躇いもなくなまえはくるりと俺に背を向ける。クソ。童貞じゃあるまいし、彼女の髪を乾かすくらい……と思ったが、やわらかい髪に指を通していると、気持ちいい〜なんてのほほんと彼女が呟くから、ドライヤーの風量を一番上にして轟音で何も聞こえないようにした。
 時々露わになるうなじに、唇を押し付けて食べてしまいたくなる衝動を押し殺して、ドライヤーのスイッチを切る。乾いたぞ、と言えばなまえは嬉しそうに自分の髪を掬った。

「シャンプーのいい匂いするね」
「…………俺もシャワー浴びてくるわ」

 乾かしたばかりの髪の毛をぐしゃぐしゃにするようになまえの頭を撫でて、逃げるように廊下に出て部屋のドアを閉めた。
 ドアの向こうからテレビ見てもいいー? なんて、これまた呑気な声が聞こえてきたので、勝手にしていいぞと返事をした。本当、勘弁してくれ。
 のそのそとシャワーの方に向かい、さっきまで彼女が使ってたんだよなと思うだけで熱くなってしまう自分に呆れる。幾つだよ俺、思春期かよ。

 そこから眠りにつくまでも、俺の中では一悶着どころか六悶着くらいあった。
 例えば、人が来た用に置いてあるマットレスを床に敷いて、一個しかないクッションを枕がわりにセッティングしたところでまた性懲りも無く、一緒に寝ないの? と聞いてきたり。テレビを見るのに隣にぴったりくっついてきて、内容が全く頭に入らなかったり。予備で買ってあった歯ブラシを渡したら、これ置いてっていいの? とピュアな目で俺を覗き込んだり。仕舞いには電気を消した後の真っ暗な部屋でぽつりと、銀ちゃんの匂いがするね、と呟き出したり。
 辛うじて、絞り出すように加齢臭かよ、と返したが、既に向こうはすやすやと寝息をたてて夢の中。小娘に振り回されてオジサンの疲労はピークだよ? なのに全く眠れる気がしない。何度バカヤローと叫び出しそうになったか分からないが、とにかく一刻も早く眠りたい筈なのにもう頭が冴えすぎて、年甲斐もなくそろりと部屋を抜け出してトイレに立った。

「起きて、銀ちゃん」
「…………んー」
「……銀ちゃんってば! 七時だよ!」

 そして気付いたら寝坊した。

「は、七時?」
「うん、七時」

 カーテンの隙間からはすっかり朝日が射し込んで、テレビは朝のニュース番組。なまえはすっかり見慣れた制服に着替えていた。……いや、朝起きたら制服着た彼女て。危ねェ、ちゃんとブランケットかぶっててよかった。
 二割くらい眠気の残った頭で、なまえにオハヨ、と声を掛ければ、何故かちょっと慌てたように、おはよう! と返事をされた。若いと朝っぱらから元気だな、とオジサンくさい事を考えてトイレに行って戻ってきたら、俺が寝ていたマットレスもブランケットも隅の方に不器用に畳んで置かれていた。

「起こしてくれてありがとな」
「ど、どういたしまして」
「? 何キョドってんの」
「いや……寝起きがかっこよくて……」

 もうヤダこの子。
 昨日の夜から頑張ってきた理性の糸が切れる前に、あっち向いてろ、と素早く壁の方になまえを向ける。

「えっ、ちょっと」
「何? 先生が着替えるとこ見たいの?」
「…………ハイ」

 その言葉で大人しくなったなまえを見て機嫌を良くした俺は、そのままクローゼットからシャツを取り出す。あー、職員会議だし一応ジャケット着ていくかあ。ネクタイを緩くしめてスラックスに履き替えて、もういいぞ、と声を掛けるとなまえはそろりと振り返った。可愛いが、我慢。

「悪ィけど朝飯ねェんだわ……何か飲むか?」
「じゃあ、いちご牛乳!」
「いちご牛乳な、今日だけ特別だぞ」

 昨日洗ったばかりのマグカップにいちご牛乳を注いで、なまえが大人しく飲んでいる間に洗面所で髭を剃ってワックスを手に取る。今日も俺の髪型はイマイチ決まらないが、なまえが銀ちゃんのふわふわの髪好きだよ、と言ってくれたので全てがどうでもよくなった。
 寝坊したせいでゆっくりした朝を過ごすことは叶わなかったが、俺の家に泊まれたというだけでなまえはとても満足そうにしている。これが卒業まで続くのかと思うと、自分で決めた事だが少々挫けてしまいそうになった。

「そろそろ家出る?」
「ん、ああ。そうだな」

 そろそろ七時半になってしまう。テレビを消してジャケットを羽織ったところで、マグカップをキッチンに置いてきたなまえが俺をじっと見つめた。
 そのまま無言で近付いてくるので、出掛ける前にハグくらいはしてやるかとそのままぐっと引き寄せると、なまえは驚いたように俺を見上げた。

「あ……の、シャツの襟が出てたから」
「え」
「上着の中に……しまおうと思って、」
「……」

 俺の方が高校生みたいな思考をしていた。
 てっきりもう家を出るから甘えたくなったのか、なんて考えてしまって……もうこのまま消えたい。何だかんだ、なまえが家に泊まって浮かれていた。大人の男としてクソ程恥ずかしい。
 一度抱き締めた腕を離す事が出来ずそのまま固まっていると、なまえは器用に俺の襟を直してにんまりと満足げに笑った。

「銀八せんせ」
「……何ですか、なまえさん」
「ふふ、大好き!」

 襟を直した手をそのまま俺の首に回して背伸びして抱きついてきたなまえに、ぐっと堪えておでこにキスをするだけで留めた俺を、誰か、どうか、褒めてほしい。
 勿論、本当はどうしたかったかなんて、彼女には絶対言えない。

BACK TO SHORT
BACK



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -