SHORT | ナノ


▼ 桜が咲くまで待たないで

「お前、今日何つって来たの」
「友達の家に泊まってそのまま学校行くねって言ってきた」

 はあ〜、と銀ちゃんが盛大なため息をついてわたしの目の前に丼を置いた。お醤油のいい匂いがする。自分の目の前にはわたしと同じ大きさの器、でも山盛りの丼を置いてクッションのないフローリングによっこらせ、と胡座をかいた。この家に一個しかない綿のへたれたクッションは、今わたしの下に敷かれている。こういう所が好きだ。

「そういうのやめろって言ってンのに」
「いいじゃん別に、銀ちゃん、何もしないんでしょ?」
「なまえちゃんね、俺がどんっっだけ鋼の理性の為に苦労してると思ってるワケ? 錬金術師もビックリよ?」

 呆れ顔のままとぽとぽとマグカップに麦茶を注ぎながら、銀ちゃんはまた大きなため息をついた。この前来た時はホットミルクが入っていたマグカップだ。誰から貰ったかは知らないけれど、色違いのそれに銀ちゃんも麦茶を注いだ。

「お酒、飲まないの?」
「一緒に居る時は飲まねェよ」

 いただきます、と手を合わせると銀ちゃんもそれに倣う。手作りの豚丼はちょっと甘めで、銀ちゃんらしくて、とっても美味しい。口いっぱいに頬張るわたしを見て、銀ちゃんはゆっくり食えよ、と笑った。

 銀ちゃんこと銀八先生は、二年前はわたしの学校で非常勤の先生をしていた。だるそうだけど面白い授業、フランクな態度で話していて楽しい先生。昼休みに男子達に運動場に連れて行かれて、意外と運動神経が良いことを知る。そしてたまに、凄くかっこいい表情をする。その頃から密かに憧れてはいたけれど、二年生になったら別の学校にいってしまって、まあ、心の中で踏ん切りのつけられない淡い気持ちを抱いたままだった。
 それがその年、塾の友達に文化祭が楽しい学校があると言われて行った先で(個人的には)運命の出会いを果たしてしまい、そこから猛アタックを続けて、半ば無理矢理な形で今に至っている。

「豚丼美味しいね」
「そんなに美味そうに食って貰えると作り甲斐もあるってモンだわ」

 あんまり歳のことを言うとオジサンを揶揄うなって銀ちゃんに怒られるけれど、わたしはまだ高校三年生で、向こうは大人。そして学校の先生。周りには言わないように気をつけている。それは勿論頭では分かっていても、それならせめてたくさんデートしたり一緒に過ごしたりしたいと思うのは当たり前で。
 こうやって押し掛けて来ても、しっかり怒られるが何やかんやで家にあげてくれる銀ちゃんは、わたしに甘い、と思っている。

「で、食ったら家まで送ってやるから」
「え! 話が違うよ」
「違わねェよ、卒業するまで駄目ですっていつも言ってるでしょ」
「でも卒業するまで何もしないって言ってるじゃん」
「だ〜! ソレとコレとは別なの! 分かる?!」
「分かんなあい」
「……猫被りめ、」

 豚丼をかきこむ銀ちゃんを他所に、わたしはしれっととぼけてみせる。
 この家に来たことは何度もあるけれど、今までは上手いこと言いくるめられて所謂お泊まりをした事は一度もない。学校ではあんなに不真面目そうで、俺も学生の頃は〜なんて言ってた癖に、お付き合いに対しては線引きをして接してくれている。……くれていると言うべきか、線引きをされていると言うべきか。
 わたしに甘い、とは思うけれど、そういう意味ではある種とても厳しかった。

「でもほら、着替えもちゃんと持ってきたよ」
「着替えってお前、それ学校のジャージじゃね?」
「だって明日体育あるもん」
「は〜……」

 大盛りだったのにあっという間に殆ど無くなった丼を見ると、やっぱり男の人なんだなあと感心してしまう。銀ちゃんが二杯目のお茶を飲んで悩ましい顔をしている間に、持ってきたジャージを見せると、またあからさまなため息をつかれた。今日だけで幸せがたくさん逃げたな。

「……友達ん家って言ってあンのね」
「! うん!」
「明日は職員会議だから七時半までには家出るけど、」
「ちゃんと起きるよ!」

 正直早起きには自信ないけれど、どのみちわたしもそれくらいにここを出なければいつもの時間に学校に着けない。

「……お前がベッド、俺は床だからな」

 最後の一口を食べて、銀ちゃんがそう言ってごっそさん、と手を合わせた。

「一緒に寝ないの?」
「……アホか!」

 食べ終わった器を流しに持って行きながら怒鳴る。そんなに怒らなくてもいいのに。
 水につける音がして、部屋に戻ってきた銀ちゃんはクローゼットをガサガサと漁り出した。ちらっと見えた中は結構雑に物が詰め込まれていた。わたしが突然来たから慌てて散らかしてた物をしまったのかもしれない、すごく想像出来る。
 わたしが漸く自分の最後の一口を食べ終えた頃、お目当てのものが見つかったようで、銀ちゃんはわたしの空になった器のかわりにわたしにそれを渡してきた。

「なにこれ?」
「パジャマの代わり。使ってない俺のスウェット着ろ」
「えっ」

 キッチンから洗い物の音がする。わたしは銀ちゃんのスウェットを持って少しの間ぽかん、と固まった。
 ちょっとだけ、銀ちゃんの匂いがする。
 なんか変態みたいなんだけど、と自分自身にツッコミつつも、渡されたスウェットをぎゅう、と抱き締めた。嬉しい。これは世で言う彼シャツ的な感じだ。まさかお泊まりを許してくれた上に、着替えまで貸してくれるなんて!

「なまえー?」
「なあにー!」
「先にシャワー浴びてこい、絶対裸とかで出てくんなよ。ちゃんと着てから来いよ?」

 捲し立てるようにキッチンから声が聞こえる。弾かれるようにそちらに向かうと、二人分の食器は洗い終わっていて、銀ちゃんはフライパンの洗い物に手をつけていた。

「銀ちゃん大好き!」
「うわ、ちょっ」

 両手が泡だらけで塞がっているのをいい事に、後ろからぎゅっと腰に抱きつくと、銀ちゃんは面白いくらいにビクッとして大きな声をあげた。
 外ではあんまり堂々とくっつけないから、すごく嬉しい。意外と筋肉あるよなあ。なんて考えてもっとキツく抱き締めると、ギブ、なまえちゃん、晩御飯出ちゃうから、と銀ちゃんが苦しそうに呟いた。ぱっと上を見上げると、ふわふわの髪では隠しきれない赤い耳が見えて、わたしはますますご機嫌になってしまった。

「お風呂入ってくるね!」
「あー……中にあるもん勝手に使っていいから、ゆっくり入って来いよ」

 うん! と勢いよく返事をして、着替えを持って洗面所も一緒になっているユニットバスに入る。銀ちゃんの家のお風呂、初めて。同じボディソープ使えるんだ、めっちゃ嬉しい。
 ここで毎日銀ちゃんがシャワー浴びてるんだな、とまた変態くさいことを考えて服に手をかける。と、突然ドアの外から、タオルここに置いとくからな! と怒ったような声が聞こえてビックリしたけれど、すぐに返事をした。すごい、何だかカップルみたいだ。カップルなんだけど。

 洗い物を終えてそう怒鳴った銀ちゃんが廊下でへたりとしゃがみこんで呻いていたのを、るんるんでシャワーの蛇口を捻ったわたしは、多分一生知ることがない。

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