安室透は触れられない
どうか見つけないで欲しいと思う。汚れた手でお前を抱きしめることなど、何より僕が許さない。どこかずっと遠くで、僕が憂う隙など一ミリも見せず、何処の馬の骨とも知れない奴の隣で穏やかな暮らしをしていて欲しい。けれどもせめて、この国の中にくらいは留まっていて欲しいと思ってしまう。幾つになっても男は馬鹿だ。
「っ…………あ、むろ?」
降谷の“ふ”の口になっていたその女性は、それを有声化することなく息だけをもらしてそう呟く。安室透の化けの皮は、たったそれだけのソプラノの響きで脆くも崩れ去りそうになった。
本当は自分がいちばん幸せにしてやりたい。
喉もとまでこみあげる、墓場まで持っていくつもりのその言葉を胃の中に押し込めて、お冷とおしぼりをそっと彼女の前に置く。
「はい。『安室透』と言います。いらっしゃいませ」
うそ、と小さくもらす唇に触れる資格は『僕』にはなかった。
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