はなかご*3



ざわざわ、がやがや、うふふ、あはは。普段でも耳を刺すような音が、今日は一回り大きく聞こえた。
体がだるいのは昨日も楼主にいたぶられたから。喉が息をする度に痛むのはあられもなく声を上げて泣いたから。まるですぐ耳の傍で鐘を鳴らされているかのように頭の芯が痛むのは、何でだろう。
布団から出ようと思ってもいつものように上手くいかない。掛け布団を腕で払って体が空気に触れるとあまりの寒さに鳥肌が立った。瞼を開けば微かな光すら目に刺さるようで開けていられない。おかしい。
でもはやく起きなければ。不審に思った楼主が襖を開いて入ってくる。こんな弱った姿を見せたらきっと鼻で笑わられる。ただでさえ、つらい心がそれを想像すると耐えられなかった。
ふらつく体をなんとか支えて起き上がる。それと襖が開かれるのは同時だった。襖で遮られていた光が目の奥を刺す。

「…っ!」

あまりの眩しさに目を開けていられず、ズキンと痛む頭にそのまま蹲ってしまった。
畳を踏みしめこちらに近づく足音がする。近くに腰を下ろした楼主の手が、頬を挟み込んで上向かせてくる。
抵抗することも出来ずぐたりとされるがまま。でも体をちゃんと起こすことが出来ずに、そのまま楼主の腕の中に倒れ込んでしまう。

「…***?、おい…っどうした」

楼主さまが叫んでる。なにか返さなければ、そう頭でわかっていてもどうしようもなかった。


ずるり、頭からなにかが落ちた感覚で目が覚めた。
頭の痛みはだいぶ和らぎ、耳に届く花街の音は柔らかくなっている。
そっと瞼を開けば光に刺される痛みも少なくなっていて、首を動かせばふかふかの布団に体を横たえられていることに気がつく。
じょぼぼほ、そんな音に誘われれば、桶を前に手ぬぐいを絞る楼主の姿が見えた。手ぬぐいを開くとこちらを向く姿に思わず目を瞑る。
傾いた頭を少し触られ上を向かされるとぴとり。冷たい手ぬぐいが額に乗せられた。

あれ?なにこれ。

そう思っている間に、離れていく気配がして襖が開かれて楼主が出ていく音がした。
普段の楼主の行動と、今の行動が一致しなくて茫然とした。顔を上向かせるときに触れた手が、いつものいやらしい手つきと違って困惑する。
なんで?どうして?そう思っているとまた襖が開く音がした。

「起きたのか」

確信的な声に首を動かして姿を視界に入れた。

「楼主さま」
「寝てろ」

起き上がろうとすれば短い言葉で制される。
横まで来ると腰を下ろした。

「風邪だとよ」

紙包みをひとつ差し出される。

「飲め」

見覚えのあるそれに体が震えた。

「…い、や」

掠れた声が喉から絞り出される。

「は、何勘違いしてんの、風邪薬だよ」

おかしそうに、ふっと笑う顔に。それでもその言葉が信じられなくて体を抱き起こす手から逃げようとした。額に乗っていた手ぬぐいが布団の上に落ちる。

「なにやってんの、お前俺から逃げられたことある?」

緩く合わせられた襟元から手が入ってくるとふにゅりと胸を触られる。

「ーっ、あ」

触れる指が堪らなく気持ちよくて声がもれるも、がざりとした艶のやない声。喉がづきんと痛んだ。

「ほら、声でねェんだろ。大人しく飲め」

じわり、なんでか分からないけど涙が滲んでくる。
きっと弱った部分を見られたくなかったのと、予想と違う楼主の態度に戸惑っている。
それを否と取ったのか楼主の溜め息が聞こえた。
楼主は薬と水差しの水を口に含むと口唇が触れる。

「んっ、!ぁ、……ん」

突然のことに身体を震わせるも、抱き起こされた腕がぎゅうと拘束するように体に回され身動きが取れない。もう一方の手が顎を下から掴んでくる。顔を背けることも出来なかった。
どうすることも出来なくて大人しくとろりと送られてくる水を受け入れた。
こくりと喉を鳴らしながら、そっと瞼を開けば近い場所に楼主の顔がある。目が紅い。燃えるようなそれとは正反対の銀色の髪が揺れる。初めて見た時は怖いと思ったのに、何故か今はとても綺麗だと思った。
薄く伏せられた目が、じっと見ていれば気がついたのか開かれると細められた。
ちゅっ、じゅる。水を送っていただけの口唇が啄むように触れた唇を吸ってくる。

「ん、ふ…」

逸らすことなくじっと見つめてくる目に、たまらなくなって瞼を下ろす。それを咎めることも無く唇が離れると手が頭に触れる。

「少し眠れ」

大きくて冷たい手。いつもはあつくて触れる指先から甘い痺れを伝えてくるのに。熱のせいか心地の良い冷たい手に薬も手伝って瞼が落ちる。とろりと意識が溶けていった。


抱き起こしていた体を布団に横たえると、寒くないようにと首元まで掛け布団をしっかりとかける。
落ちてしまった手ぬぐいを水に浸して絞ると額の髪をかき分けて乗せ直した。

***は起きると楼閣の周りの掃除をする。それが終わると姉たちのご飯の準備に厨に立っていた。なのに今日に限って楼主の自室の奥まった小部屋の襖が開けられる様子は無い。
不審に思い襖を開けば崩れ落ちる姿に背筋が冷えた。確かめるように頬を掴んで顔を上向かせても、伏せられたまつ毛が震えるだけであまりの肌の熱さに驚いた。
若い衆を呼びつけるとすぐに医者を手配した。
医者の話によれば疲労からくる風邪で、栄養を摂って薬を飲んでしっかり休めば治るとのことだった。
良く考えれば無理をさせすぎた。幼い頃から花街で育った女と違って芸事も、仕草も、男との駆け引きも何も出来ない。歳も20を過ぎているから早く突き出さないと働き盛りを過ぎて客もつかない。
だから閨での行為くらい教え込んでそちらから仕事をさせればいいと思っていた。体が遊女になれば諦めもつき、お座敷仕事も覚えるだろうと。そう思うと色々急ぎすぎていた。
このままでは***の体の方が心より先に限界がきてしまう。死なれでもしたら元も子もない。
崩れ落ちる***の姿を見た時に背筋が冷えたのは、買った元を取らずに死なれると困るから。だから今は体を治すことに専念させなければと楼主は思った。



その晩の事だった。はぁはぁと息が荒くなって体に纏わりつくかのような暑さに***は目が覚めた。瞼を開けばぐわりと揺れる視界。布団を蹴脱げば体が汗まみれで暑いのに寒い。身体中が痛い。寝返りをうてばぼとりと温くなった手ぬぐいが額から滑り落ちる。
熱に浮かされすぎて馬鹿みたいなことに昼間の楼主の冷たい手が恋しいなんて思った。ここでは頼る人が楼主しかいない。いつも酷いことばかりする人だけど、頼れるのは楼主しかいないのだ。そう思うと辛くなって悲しくなって涙が溢れる。体が辛いから心の方もつられていつもより苦しいだけ。だから落ち着け、みっともなく泣くな。そう思うのに涙が次から次へと溢れてたまらなかった。
のそり、落ちた手ぬぐいを引き寄せて目元に押し当てた。他のもので拭うと濡れてしまうから。みっともなく泣いたなんて楼主に知られたくない。朝になったら乾いてるかもしれないのに馬鹿みたいな意地がそうさせた。
なのに、

「…そんなにきつい?」

襖をゆるりと開く音がした。向こうの部屋に灯された明かりが薄らと感じられる。

「きつく、ない」

とっとと襖を閉めて向こうの部屋に消えて欲しい。

「でもすげェ息遣いが聞こえてくんだけど」
「…あ、たりまえ…でしょ」
「当たり前って、おまえ布団」

蹴脱いでいることを咎めるように言うと楼主が近づいてくる音がする。ふわりと掛け布団をかけ直される。手が伸びてくる気配がして慌てて手拭いを掴んだ。

「おい、それ温くなってるから」
「いい、じぶんでする…出てって」
「っ、自分でって出来ねェだろうが」
「出てってよ!」

熱でぐわんぐわんする頭でも勢いで言ってしまった言葉に失敗したと思った。
苛立たしげな空気。小さく零される舌打ち。

「お前なに風邪ひいたからって特別扱いされた気になってんの」
「……っ、」
「客も取れねェ、お座敷の仕事すらできねェ、自分の食い扶持も稼げねェくせに、出てけとはでけェ口聞いたな」

言葉が全てあてはまっていて、ぎゅうと心が痛くなる。
でも自分で望んだことでは無い。攫われる前は奉公先があって仕事をしていた。食い扶持もちゃんと自分で稼いでいた。生き方が今までと全て違う。寄りかかって頼れる人もいない。体が辛い時くらいの言葉くらい大目に見てくれたっていいじゃないか。

「きらい、…だいっきらい。だから、そこに……いて欲しくない」

ぎゅうと手拭いを目に押し付ける。そうしないと大粒の涙が隙間からこぼれ落ちてしまいそうだった。



分かっていたはずなのに。***の口から諦めたように呟かれる言葉に冷水を浴びせられた心地がした。
ひくり。熱で息が苦しいだけだと思っていた胸が大きく上下してしゃくり上げる。
泣いてる。手拭いが額ではなくて目元に押し当てられているのは、強く拒んだのはそのせいなのかと思い至ると悪い事をした気になる。

「はやく、つきだせば。それかきりみせにでも、うつせば」

なのに、思ってもみなかった言葉が***の口から出てきて固まった。

「……は、お前嫌なんじゃないのかよ。俺に抱かれる時もいつも嫌がって泣きわめいて」
「わたしは、高尚な遊女のしごとは…うまくこなせない、姉さんのおきゃくさん、つまんなそうで…おざしきのことなんてわかんないし、だったらきりみせしかないでしょう」
「おいまて、なんでお前が切見世とか知ってんだよ」
「…………」

体が辛い中でも必死に喋っていた言葉が止まる。
思い至ると溜め息が出た。

「誰に言われた、誰がおまえを切見世に移すなんて言った」

花街には強かな女が多い。
楼主の自室に大事にしまわれた女がいる。客も取らせずお座敷仕事もせずに、ずっとお茶挽きだけをしてる女がいる。
ずるい。同じように売られて買われたのに、ちょっと適齢期を過ぎた女で花街のことを知らないからって、楼主さまに囲われてずるい。
そんな声は聞こえてきていたのに。

「…ごくつぶしなんて、この見世にはいらないでしょ」

ああ、これは凄くめんどくさい。
***は***なりに自分の立場を理解していたのに、俺の言葉が止めを刺した。
きっと熱も手伝ってもの凄く思考が落ちている。こういうやつに何を言っても伝わらない。

「……もう寝ろ」
「出てって」
「分かったから」

そう言うと、言い争いで出すタイミングを逃した薬を取り出す。これを飲ませるために襖を開けたのに。
紙包みの中で粉が鳴る音に***はびくりと体を震わせた。

「薬、飲めるか?」

ぎゅうと噛み締められた唇が目に入る。
そっと指で噛み締められたそこをなぞる。

「噛むな、お前の体は俺のものだ」

動きそうもない***に枕元の水差しからコップに水を注ぐと薬と一緒に口に含んで、口移しで飲ませた。

ずるい。他の女がそう言うのも分かる気がした。
俺はどこかでこいつを特別扱いしている。
薬ひとつ飲ませるのだってそう。風邪を引いて寝込む女なんていくらでもいる。禿や若い衆等に世話は任せて自分の手でこうして付きっきりで面倒を見たことなんてない。
閨の手ほどきも、殆ど抱き潰しただけだが直接したのは初めてだ。あんな目で睨みつけてくるから。俺が嫌だとはっきり口に出して言ったから、嫌な方を選んでやっただけなのに。肌を重ねれば重ねるほど、堪らなく離しがたくなっていった。

薬のおかげか少しばかり穏やかになる息遣いにほっとする。手拭いを握りしめていた手がくたりと布団の上に投げ出される。その手を掛け布団の中になおすと、涙を吸って重たくなったそれを冷水に浸すと絞って額に乗せた。
目元が手拭いで擦れて赤くなっている。

「傷をつけるなって言ったのに」

するりと指でなぞる。触れた頬はまだ熱く、暫くの間は触れることは出来そうにない。



♭2023/04/08(土)


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