*60 扉へと突き刺さった木刀に掘られた「洞爺湖」の文字が目に入る。 「オイオイ聞いてねーぜ。吉原一の女がいるっていうから来て見りゃよォ。どうやら子持ちだったらしい。涙が何よりの証拠だ。店長、新しい娘頼まァ。どぎついSMプレイにも耐えられる奴をよ」 声のする方へと必死で首を動かせば珍しく帯刀した銀時がそこに立っていた。 銀時は床に転がる***を見ると何かに気がついたように床へと手を伸ばし拾う。***が落とした刀だった。 「貴様、誰だ」 「なァに、ただの女好きの遊び人よ」 銀ちゃんが来てくれた。 情けないとか辛いとかより、ただほっとした。心の奥底から安堵した。 「ぎっ…銀さァァん!!」 「何してんだアホんだら。いいからさっさと行け」 「…でも」 晴太の目がこちらを気遣うように見る。 大丈夫だと知らせるように痛む体をゆっくりとだが起こす。それを神威の手が支えた。 思いもよらなかった行動に驚くも感謝の言葉はすんなりと出てくる。 「ありがとう団長さん。晴太くん、お母さんが待ってるよ」 「行っても…いいの?血もつながってないのに…オイラみたいな汚いガキがあんなキレイな人…母ちゃんって…呼んでもいいの?」 先程までの勢いはいざ日輪を前にすると消えそうになってしまう。 「さんざんぬかしといて何言ってんだてめーは。呼んでやれ。腹の底から母ちゃんってよ」 銀時の言葉に晴太は扉の向こうに見える日輪の背中に恐る恐る声をかける。 「か…母ちゃ…」 「……いいのかい。血もつながってないのに、こんな…薄汚れた女を母ちゃんなんて呼んでも…」 「……母ちゃ……ん」 「……いいのかい。今まで…アンタに何もしてやれなかった私を…母ちゃんなんて呼んでも」 「……母ちゃん!!」 「いいのかい。私なんかがアンタの母ちゃんになっても…」 晴太は日輪の数度の問いかけに、「それでいい」と返事をするように母ちゃんと呼び返した。 「母ちゃんんんんん!!」 「晴太ァァァァァァァ!!!」 強く強く叫ぶ晴太の声はやっと日輪に届く。 振り返った日輪の顔は涙に濡れていた。 よかった。そう思った時だ。 不機嫌そうな銀時が口を開く。 「おい、神楽の兄貴よォ。気安くそいつに触んないでくれる」 「あ、ごめんごめん」 肩に添えられていた手を離されるとふらりとふらつくも、手をついてぐっと堪える。 「お兄さん生きてたんだ」 神威の言葉に返事を返すでもなく、銀時はもう一度***を見ると溜め息をひとつつく。 神威に投げかけた言葉と、その溜め息の理由がわかる気がして顔を下げた。 「…そうか、貴様が童の雇った浪人。わしの吉原を好き勝手やってくれたのはぬしか。やってくれたではないか」 鳳仙は静かに憤りをあらわにする。 「好き勝手?冗談よせよ。俺ァ女の一人も買っちゃいねーよ」 「そうか、ならばこれから酒宴を用意してやる。血の宴をな」 「過分な心遣いありがたいが、そいつは遠慮するぜ。ジジイの、V字の生え際見ながら酒飲んでも何も旨かねェ。こんな所で酒飲んだって何も旨かねェ。男の極楽吉原桃源郷。たしかに大したもんだ。よくもまァこれだけあちこちから別嬪さんあつめてきたもんだよ。だがどんだけ美女を集めようが、美酒を用意しようが俺ァてめーの吉原で酒なんざ一滴足りとも飲まねェ」 ただ淡々と告げる。 鎖で繋がれた女に泣きながら酒を注がれても旨くなんかない。どんな場所でも笑って酌してくれるなら、笑って酒が飲めるならそれがいいと。 「女の涙は酒の肴にゃ辛過ぎらァ」 「鎖を断ち切りにきたか。この夜王の鎖から日輪を…吉原の女達を解き放とうというのか」 「そんな大層なモンじゃねェ。俺ァただ旨い酒が飲みてーだけだ。天下の花魁様にご立派な笑顔つきで酌してもらいたくてなァ」 「こりゃあ面白い」 ***の横で乾いた拍手が響いた。 「たかだか酒一杯のために夜王に喧嘩を売るとは。地球にもなかなか面白い奴がいるんだね。ねェ、鳳仙の旦那」 鳳仙を煽るように言葉を重ね、歩み寄った神威の手が鳳仙の肩を叩く。と同時に神威に向けて鳳仙は腕を振るった。近くの柱が砕かれて大きな音を立てて倒れると粉塵が舞い上がる。その向こうで笑う声がした。 「お〜コワッ。そんなに怒らないでくださいよ。心配しなくてももう邪魔はしませんよ」 吹き抜けの一つ下の階にある大人ひとり分の大きさのある番傘を銜えた、大きな兎の象の背に座った神威は笑った。 「わしの命を獲ろうとした次は童を手助けし日輪の元まで手引き。そうまでしてわしの邪魔をしたいのか…それとも童の母を求める姿を見て遠き日でも思い出したか。病の母親を捨ててきたお前が罪滅ぼしでもする気になったとでも」 一瞬神威の眉が小さく跳ねた気がした。 「……何を世迷い言を。夜王を腑抜けにした女。一体どれほどの女かと思えば、ボロ雑巾に縋るただのみじめな女とは。吉原の太陽が聞いて呆れる。違うんだよ、俺の求めている強さは。こんなしみったれたもんじゃない」 「妹だろうが親父だろうが構わずブッ殺す、そういう奴かい。皮肉じゃねーか。血が繋がっていても妹を殺そうとする兄貴もいりゃ血は繋がっていなくとも、母子より強い絆で繋がってる連中もいる。どっちが本物の家族かなんて知りゃしねーがな」 「面白いではないか」 ばさりと鳳仙は羽織を脱ぎ捨てると神威のいる兎の象へと飛び移った。 「その絆とやらの強さ、見せてもらおうではないか」 銀時はそれを目端に捉えると今まで鳳仙がいた場所を通り、座り込む***の手から懐刀を、拾った刀をそれぞれ鞘に戻す。 顔が見られなくて俯いていたら、背中と膝裏を腕で強く引き寄せられて抱えあげられ力が入らない体はされるがままに浮いた。 「貴様がわしの鎖から日輪を解き放てるか。わしが奴等の絆を断ち切れるか。勝負といこうではないか」 驚いている間に日輪を幽閉していた部屋の扉の前まで来るとゆっくりと下ろされる。 「よく持ってくれた」 立ち上がる前に血に塗れた顔を拭われる。瞬間に耳に届いた声が一瞬聞き間違いかと思った。 自分で立てないなら、弱いなら挑むなとそう思われていると思っていたのに。 「晴太達を頼む」 それだけを口にすると銀時は扉に刺さったままの木刀を引き抜く。 「地球人風情にこの夜王の鎖、断ち切れるか」 「エロジジイの先走り汁の糸でできたような鎖なんざ一太刀でシメーだ」 鳳仙へと向かっていくと、腰に差した刀と二刀構えた。 「明けねェ夜なんざこの世にゃねェ。この吉原にも朝日が昇る刻が来たんだ。夜の王は日の出と共におネンネしやがれェェェ!!」 ♭23/08/27(日) (10/14) ← |