58


一気に縄を切り捨てると刀を手に、縛られたままの晴太の背を押し走り出していた。しばらく走っても追いかけてくる様子は無いことを確認し、晴太の縄を切る。

「よく頑張った、えらかったよ晴太くん」

はあはあと息を切らしながらも半ば呆然とする晴太をの背を落ち着かせるように撫でる。
縛られ自由を奪われてあんな間近で人か死んでしまうのを見せられたのだ。それなのに、いざ逃げるとなった時にちゃんと走ってくれた。怖かったはずなのに。

「***さんごめん」
「どうして謝るの?」
「オイラがみんなに母ちゃんに会いたいって話したから、みんなを危険な目に合わせてる。全部オイラのせいだ」

***ですら高所から落ちた4人のことが頭から離れない。同じように目の前で見ていた晴太も同じ気持ちなのだろう。不安で、怖くて、立ち止まってしまいそうになっている。

「晴太くんのせいな事なんて何もないよ。私はね、ただ日輪さんにひと言言いたくてここに来たんだ。晴太くんを産んでくれてありがとうって、外に連れ出してくれてありがとうって。じゃなきゃ出会えなかったから」

今ここにいるのはほとんど成り行きだ。
でも、日輪が晴太の存在をきちんと認識していて、守るために逃がそうとしてくれた気持を知って、そう伝えたい。そう思うようになった。

「それに約束したでしょ、大切にしようねって。だから私がここにいるのは晴太くんが約束ちゃんと守ったかな?って見届けるため」
「やくそく、」

冗談めかして言えば約束を思い出したのか、噛み締めるように言葉にした。

「そう、約束」

まだ強ばりの取れない晴太を解すように言葉を重ねる。

「お母さんに会いに行かないとね。私まだ諦めてないよ。だって日輪さんは晴太くんのことを思っているから、守りたいから逃がそうとしてくれたんでしょう。だったら本当は会いたいって思ってくれてるはずだよ。それにほら、」

胸元からハンカチを出すと包んでいた糸を広げて晴太の手に渡した。

「お母さんに晴太くんが見たこと、聞いたこと、知ったこと、覚えたこと。たくさん教えてあげて」

始まりはスリなんていいことではないことから始まった。だがそれはまるであやとりのようにたった1本の糸から沢山の技が出来るように、沢山の人と繋がって晴太の生きる道に彩りを与えた。それは生まれた時に、日輪がこの暗い地下から地上へと逃がしてくれたから。
日輪がいたから今ここにいられること。
外の世界でたくさんの人に出会ったから今ここにいること。
再びこうして巡り会う機会が得られたこと。

「お母さんにありがとうって言いに行こう」

こぼれ落ちそうになる涙を袖で晴太は拭うと、顔をしっかりとあげた。

「ありがとう、***さん」

その顔にはもう翳りはひとつも無かった。


晴太を日輪の元に送り届ける。それだけが目的なのに、そう簡単にはいかなかった。
外から見あげた時も首が痛くなるくらい大きくて広い楼閣は、中から見ても豪華絢爛。今いるとこすら分からない、迷い子になるほどの場所だった。
外から日輪を見上げた場所を予測して当てる。言葉で言えば簡単だが2度来ただけの***には難しく、それを晴太に頼むより他にない。
なるべく目立たないように辺りを歩きひとつひとつ確認していく。
なによりこちらの目的は周知されている。大人数に待ち伏せをされては一巻の終わりだ、早く見つけなければならない。
じとり。手に汗が滲んだ。
その時だ。

「子供を見たか?!」
「早く捕まえないと」

複数人の女の声がしてばたばたと駆けてくる音がする。
隠れる場所を探すも、襖を開いて部屋の中まで捜す音が聞こえ腹を括った。
晴太が捕まると鳳仙に殺される可能性が高い。ここまできて相手を斬ってはいけないとはもう思わなかった。

「晴太くん、だいたい場所は分かりそう?」
「多分、あっち」
「よし、行こう」

そう指さす方へ走り出した。
立ち止まって迎え撃っていては時間は足りない。なるべく日輪のいる場所に近づくために足を動かした。

晴太に前を走らせ後ろから追いかけてくる百華の女達を阻む。違う所に人員をさかねばならない事態があったのだろうか。追いかけてくる人数はそう多くない。
遠慮もなく投げられる苦無を刀で弾くも薙刀や大刀を狭い通路で振り回される。それを意図的に壁際から離れないように動けば襖に刺さった刃はそう簡単に抜けない。刺さったままの刃を足で踏み折った。
斬ることに躊躇いは無いものの、晴太の視界に入る中ではなるべく斬らないように心がけた。
なのに、突然目の前が血でいっぱいになる。
ばっと飛び散る生暖かい血に思わず飛び退くと、ぐらりと崩れ落ちる女の人の後ろには両手を血に染めた神威が立っていた。

「こんなところで何をしてるの」

今、人を殺したばかりなのににこにことした笑顔を貼り付ける顔に血の気が引く。
この人が神楽ちゃんのお兄さん。

「ひょっとして日輪おかあさんでも捜してるのかい。アリ?どしたの?寒いの?大丈夫?」

神威の言葉に晴太を見れば目の前の惨状にぶるぶると肩を震わせていた。
また晴太を連れていくためにここに来たのかもしれないと思い、庇うように前に立てば耳を疑う事を言った。

「そんなに会いたいなら会わせてあげよっか?日輪おかあさんに」


ほとんど力技だった。神威は隠れて行動することを嫌い百華のいる場所を堂々と進む。そうすれば必然的に戦闘になり血が飛んだ。
それに苦々しい思いでついていく。
その行動は理にかなっていたから。
進む度に百華の人数が増え、それは痛烈に感じた。日輪がいる場所には多くの百華が配置されている。それを辿れば簡単に日輪に辿り着くのだ。
重厚な閂の掛けられた扉の前にいた多くの百華の女性達を躊躇うことも無く、拳と蹴りで神威は床に沈めた。

「また同じ質問するけど、どうしてお姉さんは戦わないのかな。どう見たって戦えるのに。まぁ、だいたい予想はつくけど」

神威はちらりと隅っこの方で震える晴太へと視線を投げかけ、再び視線をこちらに寄越してきた。

「今はいいけど鳳仙の旦那が来たらそれじゃ駄目だよ。ちゃんと俺に見せてよ、あんたが戦う姿を」

気持ちの悪い貼り付いた笑顔が消えると真っ直ぐと見据えられた。

「俺の攻撃を避けたんだ。すごい期待してるんだよね。女は強い子を産む可能性がある。けどそれが強い女だったらもっと期待できそうでしょう」

勝手な言い分にちりっと胸が焼け付くようにいたんだ。
私は弱い。強くなったと思ったのに、ちっともそんなことは無かった。当たり前のように目の前に立ってその体を盾にして守ってくれた銀ちゃんの背中が瞼の裏に貼り付いている。晴太くんどころか自分ひとりも満足に守れなかった。
怖くてたまらなくなる。また守られるだけの存在になってしまっていないか。背負わせてしまっていないか。

「お前そんなに人を殺して何が楽しいんだ!強い子を産むって言っときながらなんでそんなヘラヘラして人殺せんだよ!」

神威の言葉に思い悩むように俯いた***の様子に何か思うところがあったのだろうか、恐怖からか離れた場所から早口に捲し立てる晴太の言葉に神威はまた笑う。

「笑顔が俺の殺しの作法だ。どんな人生であれ最後は笑顔で送ってすこやかに死なせてやらないとね。おいでよ、君も笑うといい」

神威は床に転がる百華を避けながら閂のかかった扉の前へと晴太を導く。

「お母さんに会うのにそんなシケた顔してちゃいけないよ」
「こ…ここに母ちゃんが」
「8年前君を逃がそうと吉原から脱出し鳳仙に捕まった時から、君の自由と引き替えに日輪は自由を奪われた」

花魁なんて名ばかりのただの飾りとして、客寄せパンダとして使う以外はここに閉じ込め客も取らせず一切の自由を認められない。
吉原の太陽のようだと言われた日輪を、閉じ込めて吉原で腐って死んでいくことを強いた。
だがそれは鳳仙に従ったからだけでは無い。日輪自身が、選んだ道。

「君を護るために。それでも君はここに来た。日輪が君を護るために長年耐えてきた辛苦も覚悟も無駄にして危険を冒してまで。それでも日輪に会いに来た」

扉から少し離れた場所に立つ神威の横を恐れることなく晴太は進む。ただ、閂で閉められた扉のその向こうにいる人を探すように木戸をじっと見つめて。

「君にも君の覚悟というものがあるんだろう。ここから先は君の仕事だよ」


腕を上げては閂に触れようとし、躊躇い腕を下げる。晴太の腕は少し震えていた。
『オイラは母ちゃんのことよく知らないけど会いたいってずっと思ってる。でもいざ会えるかもって思うと少しだけ怖いっていうのか、ドキドキするっていうか…』
怖いのは長い間会っていなかったから。
何を思われているのか定かでは無いから。
でもここに立った理由はその恐怖を上回る「会いたい」という強い気持ち。
覚悟を決めたようにぐっと拳を強く握り顔を上げた晴太の表情はもう揺るがなかった。



♭23/08/11(金)

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