57


黒い影は神楽を上から叩き伏せると轟音を響かせた。
一瞬の事だった。足元が揺れ、あっという間に崩れていく。
傘で受け止めた神楽も、倒れた銀時の傍にいた新八も、月詠も、崩れた瓦礫の塊に埋もれ見えなくなっていく。
心の方が追いつかなくて、目の前が真っ暗になった。

「***さんっ!前!」

そんな目の前の靄を取り払うように晴太の声が耳に届く。
前?、そう思い反射的に体が後ろに動いていた。
頬を何かが掠って熱く燃えるかのようなそれに視界がじわり鮮明になる。

桃色の三つ編みを揺らし、顔を包帯で覆った男が傘を片手に立っていた。
青い双眸が包帯の隙間から見える。それが弧を描くかのように細められた。

「へえ、今の避けるんだ。連れがこんな高さから落ちたのに平気なの?」

落ちた、連れが、…そうだ。
そう思うとぶわりと足下から火に炙られているかのように血が沸騰していく。それはじわりじわり、この状況をどうにかすることよりも、そうした人物をどうするべきかに思考を変えようとしていく。
だが、それを振り払うように頭を振った。

「晴太くんが、まだいる」

いけない、頭に血を上らせてはいけない。まともな考えが出てこなくなる。この場をどう切り抜けるかの案が。

誰に対してかけた言葉でないが、それを拾っていた包帯の男は傘を***ではなく、その後ろに向ける。

「待て、団長!」

そう夜兎が叫ぶのと***が動くのとどちらが先だったのかは分からない。
だが、刀を抜く暇もなく身一つで晴太を守る為に間に割って入った。
振り抜かれる傘が見え瞑りそうになる目を必死に開く。側頭部を狙ってくる傘に両腕を頭を庇うように横に持ってくる。衝撃に身構えた時だ。

ばしっ、そんな軽い音だった。腕を軽く傘で小突かれる。

「お姉さん相手になんないし、そこ退いてくれる?」
「…は?」

ぽかんとしてしまう。殴り殺されると思っていたのに。

「簡単に子供守って死にに来るんじゃダメかなって思ったんだけど、すごくいい目をするなァって、殺すの惜しいかなって思っちゃった」

一体この包帯男が何を言っているのか分からなかった。

「その子渡して引くって言ってくれないなら、ちょっと痛めつけるけどいい?」

でも、晴太くんを渡すことだけは出来ない。
どうすればいい、どうしたらこの場を切り抜けられる。

「まって…、」

ぴたり。傘を振り上げた男の手が止まる。

「なに?」

震える唇を必死に動かして言葉を紡ぐ。

「あなたたちに従います。代わりに私を晴太くんと一緒に連れて行って」

無い頭で考えて出した答えはこれしか無かった。
私の今の役目は無謀に戦って晴太くんを危険に晒すことではない。どう考えても夜兎3人を相手にするのは無理だ。今は耐えこの3人からその身を守ることだと思った。
この決断は間違っているのかもしれない。でも助力の望めない今、ひとりでは手も足も出ない。きっとあの4人なら機転を利かせて生きている筈だと、きっと晴太を助けに来てくれる筈だと信じるしか無かった。

「おねがい」

なんて他人頼みな行動だろう。なんて私は弱いんだろう。
情けなくて悔しくてたまらなかった。

そんな思いを知ってか知らずか包帯の男は一瞬ぽかんとした表情をするも、それは直ぐに鳴りを潜めじっと探るように見つめてくる。
引くわけにはいかない。***も挑むようにその目を見つめ返した。
暫く沈黙が落ちるも何かを得心したかのように男が振り上げた傘を下ろし、包帯の下で小さく笑ったのを感じた。

「ねぇ、お姉さんのその腰の剣は飾り?」
「…え、」

なんで急にそんなことを聞いてくるのか。

「さっきの身のこなしからして飾りじゃないって俺は思うんだけど。どうして戦えるのに抗わないのかな?なんで俺たちに従おうと思ったの?」

引けと言ったのはこの男なのに何を聞きたいのか、なぞかけをされた気分になる。

「ねえ、どうして」
「…っ、どうみたって守りながら戦うには私一人じゃ無理がある」

悔しい。口に出すと自分の力の無さをひしひしと感じた。

「うん、賢明」
「賢明?」
「夜兎3人相手に子供ひとり守りながら戦うなんてどう考えても無謀。あっさり俺の前に出てくるからそういうこと考えられないのかと思ったけど、そうじゃないみたいで安心したよ。でも、その頼みは俺たちじゃなくて鳳仙の旦那にしなきゃね」

男は***の後ろで縮こまる晴太を見る。

「別に俺たちはその子供をどうこうするつもりは無いんだ。ただ鳳仙の旦那と話をしたくて、その交渉材料に引き渡そうかなって」

鳳仙。この吉原桃源郷の主で晴太と日輪が再び会うことを厭い、その命まで脅かそうとした人物。
晴太を鳳仙に引渡すということなら尚のこと引けなかった。

「ついてくるなら好きにしてくれていいよ」
「おい、団長!俺は厄介事は御免だ」

今まで黙って成り行きを見ていた夜兎ふたりが声を上げた。

「いいじゃん。楽しそうだし」
「どこが?!あの嬢ちゃんの目みてみろ。今にも飛びかかってきそうじゃない?鳳仙の旦那の前で暴れられてみろ!面倒だろう」
「なに、云業も阿伏兎も脆い地球人の、それも女ひとり止められないって言うの?」
「誰もそんなことは言ってねーよ。ただ厄介事を勧んで抱え込むなって言ってんだ」
「えー、どこが厄介事?多分大事にはしないと思うよ。するとすればこそっと逃げるくらいだよ。ねぇ、お姉さん」

どきりとした。
相対してまともに戦えばどうにも出来ないが、従うと見せかけて隙を伺って逃げることも考えていた。
見透かされている。

「だからしっかり見張っててよね」

云業、阿伏兎と呼ばれた男2人は何を言っても聞き入れそうにない“団長”と呼ばれた包帯の男の言葉に項垂れながらも従った。



* * *



両手を体に縄で巻き付けるようにぐるぐる巻きにされて云業と阿伏兎に晴太と一緒に両脇を固められる。
刀は団長さんの手にある。反抗も逃げられる事もないようにと。

今、襖の向こうで団長さんはその鳳仙と話をしていた。なにか聞こえないか少しでも情報をと思い耳を澄ませる。
それほど小さい声で話しているわけではないようで、はっきりと喋っている言葉は殆ど意味のあるものとして聞き取ることが出来た。

春雨、第七師団、団長。
聞きかじった事とのある単語に背筋が冷えた。
春雨、犯罪シンジゲートの名前だ。それも幕府とは裏で繋がりを持ち、薬や人身売買などの犯罪の魔窟とも言える機関。
その第七師団の元団長鳳仙と現団長が顔を合わせている。
この吉原桃源郷はそういう場所なのだ。月詠の言うように、ただの男の理想郷としてだけでは成り立ってはいない。幕府や春雨、人と天人の思惑が折り重なって出来上がった場所。それが、吉原桃源郷。
純粋に母に会いたい、そう願う晴太の願いなんて簡単に叩き潰してしまえる場所。
でも叩き潰させなんてさせない。
なんとしても晴太くんだけは守らなければ。

「日輪と一発ヤラせてください」

ぎょっとするような声が襖の向こうから聞こえてくる。
すると目の前で襖が開かれ部屋に晴太と一緒に押し込まれた。

「手土産もこの通り用意してあるんです。きっと喜んでサービスしてくれるでしょ?」

向かいに綺麗な女性2人を侍らせ座る白髪の男がじろりと品定めをするようにこちらを見た。

「嫌ですか、日輪を誰かに汚されるのは。嫌ですか、この子に日輪を連れ去られるのは」

団長さんは息をつかせず言葉を続ける。

「嫌ですか、日輪と離れるのは」

それはまるで鳳仙が日輪に懸想しているかのような言葉の連続で耳を疑った。

「少し黙るがいい、神…」

けたけたと団長さんは笑うと席を立つ。その顔にはもう包帯はなく、澄んだ青い瞳と桃色の三つ編みがゆらりと揺れる。こんな時なのに団長さんの出で立ちには既視感を覚えた。誰かに似ている。その答えに至るより先に団長さんは、鳳仙のそばへと行く。

「年はとりたくないもんですね。あの夜王鳳仙ともあろうものが、全てを力で思うがままにしてきた男が、たった一人の女すらどうにもならない。女は地獄、男は天国の吉原?いや違う。吉原ここは旦那…あなたがあなたのためだけに創った桃源郷てんごく
「神威、黙れと言っている」
「誰にも相手されない哀れなおじいさんが、カワイイ人形達を自分の元に繋ぎ止めておくための牢獄 」
「聞こえぬのか、神威」

酌をするために手にした徳利を鳳仙が手にしたお猪口に向ける。

「酒に酔う男は絵にもなりますが、女に酔う男は見れたもんじゃないですな。エロジジイ」

天井を割る音が響く。
喋る団長もとい、神威を遮るように鳳仙は下から上に扇子を振り上げただけ。
それだけなのに扇子の先が向かう天井からだらりと垂れる2本の白い足。ぼたぼたと血が滴って畳を汚していく。
***は晴太の前に立ってその惨状を遮る。それを阿伏兎も云業も咎めることはしなかった。

「貴様ら、わしを査定に来たのだろう。気づかぬとでも思っていたか。元老の差し金だろう」

ガラッと音を立てて徳利を乗せたお膳が鳳仙の足で倒される。

「今まで散々利を貪りながら巨大な力を持つ吉原に恐れを抱き始めたかジジイ共。吉原に巣食うこの夜王が邪魔だと」

着物の両袖を脱ぐと鳳仙の鍛え抜かれた体が露になる。

「ぬしらにこの夜王鳳仙をたおせると」

一戦交えてでも吉原を春雨に渡す気は無い鳳仙の態度に阿伏兎と云業は前に出る。
それに***は一歩下がる。自然と後ろにいる晴太も下がった。

「あ…あんたの出方次第だ。あんたと言えども春雨と正面から闘り合う気にはなれんだろう。よく考えて行動した方が身のためだ」

刀は神威が座っていた場所に乱雑に置かれている。
忍ばせた貫級刀をそっと掴むと縄に静かに食い込ませる。

「そいつは困るな。そんなんじゃ俺のこの渇きはどうすればいい?女や酒じゃダメなんだよ。俺はそんなものいらない」

床脇の地袋に腰掛けた神威がつまらないとばかりに言った。

ずるり…、天井から垂れた白い足が重力に従うように落ちてくる。神威かと思われていたそれは鳳仙の傍で給仕をし、侍っていた女性だった。

「そんなもんじゃ俺の渇きは、癒えやしないんですよ」

鳳仙と神威の視線が絡む。その一瞬後、瞬きの間に2人は組み合っていた。この2人の側にいては取引云々以前に晴太の身が危険だ。

「修羅が血。己と同等、それ以上の剛なる者の血を持って初めて、俺の魂は潤う」

ぞッとしてしまうような表情を神威はしていた。
このままここにいたら最悪巻き込まれて今も床に転がる女性と一緒になってしまう。縄を切る手に焦って力が入る。

「反目し殺し合いを演じたときいたが、血は争えんな。その目は奴の眼。その昔夜王と呼ばれ、夜兎の頂点に訓練した儂に唯一恭順せずたった1人挑んできた男。主が父、星海坊主の眼」

星海坊主と言えば名高いエイリアンバスターだ。それが団長さんの父親。星海坊主は神楽ちゃんの父親だとターミナルでの騒ぎの件で聞いた覚えがあった。…そこでぱっと途切れていた糸が結ばっていくように見えてくる。
団長さんは、神楽ちゃんのお兄さんだ。

「神威、貴様に父が越えられるか」
「もうとうに越えてるよ。家族だなんだとつまらないしがらみにとらわれ、子供に片腕吹き飛ばされる脆弱な精神の持ち主に真の強さは得られない。旦那、あなたもあの男と似ているよ。外装はゴツくても中身は酒と女しかない」

強さを求めるには、大切なものとのしがらみも想う人の存在も必要ではない。そう告げる神威の言葉に違和感を感じた。だがそんな思考も一瞬で飛んでいく。

「真の強者とは強き肉体と強きこころを兼ね備えた者。なにものにもとらわれず強さだけを求める俺にあんた達は勝てやしないよ」
「ぬかせェェェ小童ァァ!!」

部屋の中に収まりきれなかった拳が、蹴りが、外にまで及んで2人は窓から飛び出していた。それを止める機会を伺うように阿伏兎と云業も***と晴太から離れていく。
もう***と晴太を気にしているものは、この場にはいなかった。



♭23/06/20(火)

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