56


ネオンが眩しい鉛色の空を武器を持った女達が駆ける。
後ろからも迫ってくる女達に***は立ち止まり抗戦していた。
吉原は地上うえとは切り離された独立した一つの国。その吉原での法とはどんなものなのか定かではなく、騒ぎをおおきくするわけにもいかないし襲ってくる理由も明確に掴めない。そんな相手を斬ってしまっていいのか分からず安易に刀を抜けないでいた。
峰打ちなんて高度な技は持ち合わせてはいない。
武器を躱し持つ手に手刀を入れ捻りあげる。折れるなり脱臼するなりしてしまうかもしてないが、殺してしまうよりはマシだろう。

それにしても強い。吉原の掟を守る自警団「百華」。
吉原で男に絡まれた時に助けてくれた女性は、その自警団「百華」の頭だと晴太が教えてくれた。
百華は女だけで構成された集団で、吉原を守るために刃傷沙汰も厭わない。死神太夫と頭が呼ばれる所以だった。

「…あの、ここまでしといてあれですけど聞いていいです?何が気に食わないんですかね?」

ただ晴太が母親に会いたいと願っただけだ。それを少しでも支えられればいいと思った。
なのにどうして百華に狙われなければいけないのか。
だがその答えはひとつとして返っては来ない。代わりに苦無が投げてよこされる。

「ちょ、人が尋ねてるんだから何かしらアクションしてくれても良くないですか?!いや確かに苦無投げてくるのもアクションだけども!ほら冥土の土産とか言うじゃないですか…」

流石に人数が多い。相手は殺す気なのに相手を傷つけてはいけないなんて言ってる場合ではないのかもしれない。

「死んでいくものに、かける言葉はありんせん」

凛とした声が響く。それはこの吉原で***が一番印象に残っていた女性のものだった。
死神太夫。

かしら

女達は構えていた武器を下ろす。
***の後ろに死神太夫その人がいたから。

「あとの処理はわっちがする。お前達では敵いそうにないからな」

たんっと死神太夫が地面を蹴る音がする。空を斬る鋭い音とともに苦無が飛んでくる。それを避けている間だった。あっという間に距離を詰められる。
短刀が目の前に迫るも間一髪で避け短刀を握る手を受けとめ力を受け流す。掴んだ手首を向かってきた力を利用し捻りあげようとした時だ。

「死んだふりをしなんし」

ぼそりと耳打ちされる言葉に思わず手が止まる。
どういうこと?
惑った瞬間に胸元に強く何かを押し付けられる感覚。死神太夫の手には苦無が握られている。刺されたと一瞬思うも、その感覚はまるで違っていた。
意図は分からない。だが、ここを1人で切り抜けるのにも無理がある。一か八か。男に絡まれた時に助けてくれた事を思い出し身を任せた。


「起きなんし」

大勢の足音が遠ざかる。
***は地面に転がり倒れた振りをしていたがその言葉で瞼を開けると起き上がった。
手を胸元にやれば鋒に吸盤のついた苦無がころりと落ちる。

「あの、ありがとうございました。2度も助けていただいて、なんとお礼を申し上げたらいいか」
「2度?」

なんの事かと眉根を寄せる死神太夫に自分の姿が昨日とは違うことに思い至る。

「今日はこんななりですけど、昨日は女の格好をしていて、男に絡まれたのを助けていただきました」

思い当たったのか死神太夫はため息をついた。

「晴太と一緒にいた。もうここには来るなと言ったじゃろう」
「晴太くんを知っているんですか?」
「…、それは後で話す。とりあえずはあの者達も起こしてここを離れるぞ」



綺麗に川の字に並んで倒れていた万事屋3人と、晴太を起こすと死神太夫は月詠と名乗り、人気のない暗い路地裏へと案内した。造船場の名残か四方を覆う壁には排気口やら何やらのパイプが取り付けられ、大小様々に折り重なり壁を作っている。
そこから更に奥へと入り長い梯子を登らされると、吉原の街が見下ろせる高さまで来ていた。

直径は2mを優に超えた大きな排気管だろうか。その上に登ると月詠は管に備え付けられた、大の大人が1人通れるくらいの扉を開ける。

「門には見張りがいる。この中を通ってゆくがよいわ。一日半はかかるがいずれ外に出られるはずじゃ。さっさとここから逃げろ。次来たら本当に殺す」
「全部オイラ達を逃がすお芝居をうったってわけか、百華の頭のあんだが?」

百華の頭にそうして貰えるだけの理由が晴太には分からず、逃げる事を押し付けてくる月詠を咎めるように語気が強くなる。

「わっちは吉原の番人。吉原で騒ぎを起こす奴は消す。それだけでありんす」
「騒ぎ、ですか?」

口を挟むのは少し躊躇われたが、騒ぎ、その言い方に引っかかった。

「子が親を探すことが、騒ぎなんですか?」

***の言葉に瞑目すると月詠は淡々と言う。

「そうじゃ、騒ぎじゃ」

日輪を捜し、日輪に会うこと自体が騒ぎだと暗に言及してくる言葉に違和感を覚える。
本来であれば客が望み、花魁も良しとなれば顔を合わせるくらいはある程度の順を踏み金を積めばなんとかなる場所。それが吉原という街だ。
だが、その日輪と晴太が会うこと自体が吉原にとっての騒ぎだと月詠は暗に言ったのだ。
何かがある。そう思わずにはいられなかった。

「悪いが消えることは出来ないし、アンタらに消される覚えもない。オイラは母ちゃんに…、日輪太夫に会いに来ただけだ」

晴太が迷うことなく口にした言葉どこまでも正しくて真っ直ぐだった。
だからだろうか。もう忘れてしまっていた気持ちが顔を出す。

まだ両親を亡くしたばかりの頃、ふとした時にどこかにまだいるのではないか。知らないところで生きていてくれているのかもしれない。そんなふうに思い、ふらりと松陽の元を離れた事があった。
子供の足ではそう遠くへは行けなかったが、会えるのならば何処へでも捜しに行きたいと強く強く願い、そして会えない事実に大泣きをした。そんな時は大きな泣き声に***の居場所を捜し当てた銀時が隣に来て、黙って手をぎゅっと握ってくれていた。
晴太にはそんなに悲しい思いをし続けて欲しくなかった。

「だったらなおさら帰るがいい。わっちにぬしらを逃せと頼んだのは誰でもない、その日輪じゃ」
「母ちゃんが……、?母ちゃんオイラのことを知っているのか?!オイラがここにいる事を…?」

予想もしていなかった人の名前が出てきて驚く。
楼閣の下から見上げる晴太の姿を日輪も見ていたのだろうか。晴太が自分を捜している。会おうとしている。それを分かっていても、そうできない理由とは何なのか。
その答えは直ぐに月詠から告げられた。

「吉原の楼主鳳仙は、ぬしと日輪が接触することを恐れていなんし。ここにいればぬしの命はない」
「なんで?!子供とマミーが会うのを邪魔される義理はないネ!」
「日輪が吉原ここから逃げるかもしれんからじゃ。8年前、赤子のぬしを連れて逃げた時のように」
「オイラを連れて…?!」

月詠は静かに語り始める。
吉原が地下に移動した理由。
天人に目をつけられ幕府に利用され、花魁たちが二度とこの街を出られないわけを。
絶望は明けず希望に満ちた朝が訪れることも無く、終わることの無い夜を生きなければならない。そんな中でみんなの太陽のように生きる日輪の話を。
そんな日輪が生まれたばかりの晴太を連れて吉原を逃げ出し、晴太を守るために再び吉原に戻ったことも。

「わっちらにとって日輪は常夜を照らす太陽だったように、日輪にとって晴太…主も特別な存在だったのじゃ。太陽は晴天でなければ輝けぬ」

暗闇の中でも光を探し、自らが常夜の太陽になった人。大切な人を守るために耐え忍ぶ。なんて強い人だろうと思った。
晴太と一緒に見た姿が思い起こされる。凛とした顔つきで楼閣から吉原を見ていた姿が。
日輪が何を思い、何を考えこうして月詠を使わしてくれたのかを思うと、ここにいてはいけないと思う反面、2人を会わせたい、会って欲しいと願う気持ちは一層強くなる。

「わっちはぬしを死なせるわけにはいかぬ。帰れ…ぬしが死ねば日輪の今までの辛苦が水泡に帰す」

晴太は押し黙る。
どうするべきか迷っているようだった。

「オイ…過分な心遣い痛み入るがね、どうやら…もう手遅れらしいぜ」

銀時の言葉に視線をさまよわせれば赤い番傘が目に入った。背景に同化してしまいそうな黒い装束のせいか、目をひく傘には既視感を覚える。

「あ…あれは…、まさか…あの傘は、夜兎?!なんで…なんでこんな所に夜兎族が」

神楽の言葉に思い至る。
そうだ神楽ちゃんの傘だ。

ぬっと顔を上げた夜兎らしき男は無精髭を生やし、どこにでもいる無頼漢のように整えられていない髪は肩につくまで長い。夜兎の特徴である肌の白さは言うまでもなくあった。
思わず晴太を背に隠す。

「どうやらせっかく用意してくれたアンタの逃げ道も手が回っていたようだぜ」
「違う。あれは鳳仙の回し者じゃない。あれは…」
「ガキをよこせ」

街の下から響く喧騒を割くように静かに男の声が響く。

「そのガキをこちらによこせ」

再びの言葉にふるりと震えた。
目の前の男には余裕も焦りも見えない。あるのはただ淡々とした感情のみ。こちらの人数を気にかける様子もなく、目的だけを告げるその態度は明らかに腕に覚えのある者のそれだ。
ぎゅうと晴太の手が着物の袖を引っ張ってくる。男の空気に呑まれそうになっていた気持ちが、その手に引き戻される。

「ぎ、…銀ちゃん、ヤバイアル。アイツ…とびきりヤバイ匂いがするアル。血の匂い。幾多の戦場を生き抜き、染み込んできた血の匂い。本物の夜兎の匂い」

夜兎がどんな天人なのか***は深く理解している訳では無い。そばに居るのはどこにでもいる人と変わらない女の子、神楽しか知らないのだから。
この男からは、肌に刺さるようなピリピリとした緊張感が伝わってくる。警察官としての立場で言えば今の流れは「ぴっぴー!」からの職質案件だ。
緊張を解すように、そんなことを考えていれば晴太を奪うために飛びかかってくる男。それを止める為に月詠が前に出た。
苦無を投げそれを弾くために傘を開き視界を塞いでしまう男の上を飛び越えると、空いていた後ろ側から苦無を放つ。
当たった。と思うも束の間、苦無を歯で受け止めていた男は月詠を配管へと叩きつけた。

「月詠さんんん」
「早く!今のうちに逃げろ!」

ギリギリのところで男の凶刃を退けた月詠の声に晴太を連れて逃げようとした時だ。
足元に衝撃が走った。下から散弾銃のようなもので打たれている。
とっさの判断だった。それが良い判断なのか悪い判断なのか頭では理解するよりも早く晴太を腕の中に押し込む。
排気管の壁を突き抜けて傘が飛び出してくる。晴太を左腕に、刀を抜こうとした時だ。庇うように目の前に立つ背中が目に入る。

「銀ちゃんん!!」

神楽の声が頭の中で響く。
銀時は下から突き上げてくる傘に飛ばされ、蹲るその口元には拭いきれなかった血の痕があった。

「夜兎が、二人」

切羽詰った新八の声に晴太の肩を掴む手は震えた。
排気管が崩れる土煙に視界が晴れれば、先程とは違うもう1人の大きな男が、目の前にいた。
無言で伸ばされた手は晴太を***から奪おうとしてくる。
それを寸前のところで避け、逃げようした。晴太が、この夜兎2人の男に捕まってしまえば終わりだ。

「晴太ァ!、***!」

神楽の声が聞こえるのと同時に腕の中の晴太を離して背を押した。一人でも逃げろと。
捕まってしまうのであれば夜兎2人をこの場に留めなければならない。
夜兎と戦う。そう覚悟を決振り返った時だ。駆け寄ってくる神楽の背後に影が見えた。

「神楽ちゃん!後ろ…!」

それは真っ暗な空を駆ける兎のように跳躍すると手にした傘を振り下ろしていた。



♭23/04/03(月)

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