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「***さん、ちょっと待ってて欲しいんだけどいいかな?」
「いいけど、どうしたの?」
「せっかく吉原に来たし母ちゃんに会うためのお金を渡しておきたいんだ」

晴太は財布を出す。そこにはスナックお登勢で汗水垂らして稼いだお金が入っている。
番頭さんにでも渡して積み立てをしてもらっているのだろうか。
晴太は店に入ると男に声をかけ財布から少しばかりの金額を渡す。男はそれを受け取ると懐に入れていた。

おかしい。客から渡されたお金を懐に入れるものだろうか。そう思い晴太の元に行こうとした時だ。腕を強く掴まれた。

「姉ちゃんどこの見世の女?」

見知らぬ男にぐっと掴まれた腕を引かれて顎を掴まれる。

「っ!離してください、何ですかいきなり」
「ツレねェなァ。でもいいや、刀差して女剣士に扮装した遊びなんだろう。珍しいから買ってやるよ」

男の顔が近づきふわりとお酒の臭いがする。

「ほら、いくらだよ」

品定めするかのように男の視線が絡みつく。そういう場所だと分かってはいても気持ちのいいものではなかった。

「ちょっとストレート過ぎませんか?もう少し女性が喜ぶような言葉を選んだ方がお互いに気分が良くありません?」

顎を掴まれていた手をそっと外す。

「お互いに気分がいいだァ?ここはお前ら女が俺たちを喜ばせる場所だろうが」
「あなたがどう捉えているかは存じませんけど、人は物じゃないんです。離して頂けますか」

未だ掴まれたままの腕を取り返そうとするも、たかが女、それも遊女に侮辱されたと思ったのだろう。ただでさえお酒で赤い男の顔が更に赤く染まった。
腕を掴んだ手と反対の手が胸ぐらを掴んでくると***は突き飛ばされた。
地面に尻もちをつく。
なんでこんな目に遭わなければならないのか。
でも今はひとりではない。いつの間にか周囲は人だかりができ、晴太も心配そうにこちらを見ている。何よりも吉原では地上うえとは違い吉原の法がある。
騒ぎを大きくするのは得策ではなさそうだった。

「お前、俺を誰だと思ってる。卑しいくせに生意気な口ききやがって」

落ち着いて落ち着いて。そう思って立ち上がり深呼吸するも出てきたのは相手を逆撫でする言葉。

「あなたが仰ったように私生意気で卑しい身ですので、存じ上げなくて当然ではないですか」

身なりからして武士。それもとてもいい所の令息なのだろう。ここいらでは名の通った羽振りのいい男なのかもしれないが、***には知る由もない。
だが男にしてみれば吉原の女が自分を知らないなど矜持が許さなかったのだろう。ぐわっと眉が釣り上がり口から火を噴くのではないかと思うくらいに男の顔が怒りに染る。

「手討ちにしてくれる!」

腰に差した大刀を抜くと***に向かって斬りかかってきた。
騒ぎを大きくしてしまった。しまったと思っても既に遅い。

「止めなんし」

応戦しようと刀を抜こうとした時だ。何かが飛んできて男の握った刀を弾き飛ばす。
カランと音を立てて地面に落ちたのは刀と良く研ぎ澄まされた黒い苦無だった。
ぎゃっと悲鳴をあげた男は***を睨むも、その向こうに何かを見つけたのか顔がみるみる青ざめていく。
急に何事かと振り返れば、一際違う空気を纏った顔に傷のある女性が苦無を手にこちらへと歩いてきていた。

「き、貴様は百華の死神太夫、!…いや、俺はこの女が無礼を働いたから」

死神太夫と呼ばれた女性は隣までくるとじっ…、と鋭い瞳で見つめてきた。顔をのぞき込んで来ると得心したように男に視線をなげかける。

「この女は吉原の女じゃありんせん。無礼なのはどちらかよく考えるんじゃな」
「吉原の女じゃあない?だが自分で卑しい身だって」

酷い言葉に***は眉を潜めたが、女は表情ひとつ動かさない。

「せっかく吉原にいるんじゃ、慣れ親しんだ遊びだけではなく、言葉遊びくらい楽しんだらいかがか。それともわっちと遊んでいくか」

すっと握った苦無を構える死神太夫に男は慌てたように背を向けると一目散に逃げ出していた。
あっという間に見えなくなる背中に、***はほっとするも、騒ぎを起こしたことには変わりはない。百華の死神太夫が何を指すのかは分からなかったが、まずは頭を下げた。

「ありがとうございました」
「礼はいらん。騒ぎを大きくされたくなかっただけじゃ」

人集りは散ってしまうと、晴太が心配そうに駆け寄ってくる。
それを死神太夫は一瞥すると溜息をついた。

「ここは吉原の事を良く知らぬ地上うえの女が来るところじゃありんせん。とっとと帰りなんし」

男に掴まれた腕がずきりと痛む。
確かにこの女性の言うように吉原のことを何も知らない。
けれど、今のひと時の間でも男に受けた仕打ちは酷いものだと思った。あんな言葉を人に投げつけ気に食わなければ殺そうとする。この街はおかしいと。


* * *


何かを忘れている。それに気がついたのは次の日の事だった。
吉原で男に絡まれ死神太夫と呼ばれた女性に早く帰れと追い出されたせいで、すっかり忘れていた。晴太のお金を懐に突っ込んでいた男の事を。
このまま放置する訳にもいかず、晴太に直接言う訳にもいかない。お母さんに会えることを楽しみに働いてお金を貯めてきたのだから。

***は再び吉原に足を運び、晴太が案内をしてくれた楼閣に来ていた。なるべく男に見えるような服装を選んで。前回のように男に絡まれてはたまったものではない。
門前で晴太が金銭を渡していた番頭の男が出てくるのを見つけると後を追う。男は一人の男と落ち合うと甘味処に落ち着いた。

気になった***は、そ知らぬ顔で男達が座った縁台の背後に腰をかける。
聞き耳を立てれば予想通り。晴太のお金を懐に入れ、あろう事か自分の遊びのために使い込んでいるともう一人の男に自慢げに話していた。
スリをやめて、真面目に働いたお金で母にひと目会おうと努力してきた晴太の気持ちを踏みにじる行いに、目をつぶることは出来なかった。
ひと言言ってお金を引き毟ってやろうか。そう思い顔を上げた時だ。

「すとっぷ」

隣から1本に結い上げた髪をくいっと引っ張られる。

「え…」

何事かと思えば隣に人の姿。話に聞き耳を立てるのに没頭していて気が付かなかった。いつから隣に居たのだろうか、銀時が口元に指を当てる仕草で声を上げたことを諌めるように合図をした。

「なん、で?」

突然のことに目を白黒させていれば銀時は店を出ていこうとする男ふたりを木刀で殴って気絶させた。

「なんではこっちのセリフ。帰れ。女が一人でいていい場所じゃねェよ」

そういう銀時の口元にはお団子の串が1本。
一体いつから隣にいたのだろうか。

「おいネーちゃん幾らだ」
「お代は結構です。スッキリさせてもらえたので」

団子屋の店の奥からでてきた女性がにこやかに言った。

「晴太の知り合いか」
「ここでは有名でしたので。子供の来るようなところではないのでね。日輪と晴太を会わせようと考えておいでで?」

銀時は番頭の男の懐を漁って有り金全てを抜き取ると、今度は自分の懐に押し込む。

「うるせーガキにいつまでも住みつかれちゃ迷惑なんでな。身寄りでもいねーかと捜しに来ただけさ。金のねェ奴ァどうやって日輪に会えばいい」
「日輪はこの吉原で最高位の太夫。余程の上客でなければ会えません。諦めた方がよろしいかと」

お金のことに関しては晴太の肩を持った女性は、日輪と晴太を会わせることは良しとは思っていないようだった。

「この吉原桃源郷は地上とは別の法で縛られた一個の国。地上の常識は通じません」

どこか、女の言葉にはひりっとしたものを感じる。

「ここのルールに従って頂かなければ二度と地上に戻れなくなりますよ」
「ワリーな俺ァ上でも下でも、てめーのルールで生きてんだ」

一瞬の事だった。今の流れでなんでそうなるのか分からなかったが、目の前でにこやかに話していた女性から苦無が放たれる。
***がそれを避けている間だった。銀時は女を一刀のもとに叩き伏せてしまっていた。

突然の荒事に通りを行き交う人々が悲鳴をあげる。

「曲者だ!」

そう声を上げたのは誰だったのか定かではないが、連鎖するように次々と「曲者」その言葉が上がった。

「ちィ、面倒なことになっちまったな。ぼさっとしてんな来い!」

腕を掴まれその場を逃げるように立ち去る。
また守られてしまった。よく分からないことの多い中で、それだけは明確に分かっていた。



銀時は何が起こっているのかよく分かっていなさそうな***の腕を引き路地を駆ける。
だから帰れと言ったんだ。そう怒鳴りつけそうになるのを押さえ込む。
向こうから仕掛けてきたのだ、一緒にいるところを見られている。***1人だけとはいえ、そう簡単に帰らせては貰えないだろう。

甘味処から通りを抜けたところを駆け抜けた時だった。武器を手にした女達が見知った顔3人を囲い込んでいる姿が見えた。
急に方向を変えた銀時に***も引きずられるようにそちらへと急ぐ。

「手、離して!いいから行って」

***も急ぐ先に誰がいるのか分かったのだろう。
離したくない。一瞬そう思った。
こんな時でなければ数日前のことを気にすることも無く***に触れることは出来ない。
だが***の瞳には銀時よりも3人の姿が映り込む。今はその言葉に甘えるように手を離した。



♭23/03/26(日)

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