*54 屯所の玄関を出ると庭の木の葉が風に揺られている。***はそれを眺めてこれから1週間何をしようかと頭を悩ませた。 謹慎。慎ましやかに過ごさないといけない。 というか遅刻でなぜ1週間も謹慎なのか。少し厳しすぎる気がするが、きちんと真選組の隊士として働き始めてそんなに経っていない。土方は周りの目の事を考えてくれたのだろうかと少しだけ思った。 「***さん、謹慎ですってね」 声をかけられてうっと気分が少しだけ下がった。 屯所の門に背中を預けた沖田はいつからそこにいたのか。 「沖田くん、仕事は?」 「あんたの護衛です」 「え?」 そんな馬鹿な。そう思って固まっていれば笑われた。 「嘘ですよ。まあでもいつかは限界きますよ」 真選組という組織はそれだけ恨みも買うし危険も伴う。外回りの仕事にも参加し始めた***の顔はそれなり周知されている事だろう。 「屯所で暮らすの嫌ですかィ」 「嫌ってわけじゃないけど、色々厳しいものがあるよね」 「あんたに手を出そうなんて奴は頭に花が咲いてるやつぐらいですよ」 「なにそれ、いい意味?悪い意味?」 「さあね、でもあんたに手を出す勇気のある奴がいるんですねィ」 伸びてきた手が上着の首元を緩めると顕になるボタンのないシャツ。慌てて心許無い襟を掴んで沖田の視線を遮る。 「悪ふざけはやめて」 「ふざけてなんていませんよ。旦那ですかい」 何も答えたくなかった。思い出したくない。思い出せばまたみっともなく涙をこぼしそうだった。 視線を逸らし目も合わせようとしない***に沖田はやれやれとため息をつく。 「少し笑ってみてくだせェ」 「はい?」 急に話を変えて何が言いたいのか全く掴めない。 「笑えっつってんだろィ」 「いや意味がわかんないし!」 困り果てていれば再び伸びてきた指が両頬を摘むと口角をぐいと押し上げる。 必死に抗議をするも意味の伝わらないふわふわとした音になってしまう。 「はい、にこっとして」 意地でも笑わせたいのかそう言って手を離さない沖田に諦めて笑顔を作った。そうすれば不満そうに眉を下げると手を離す。 「誰がそんな怖い顔して笑えって言いましたかィ」 「沖田くんが頬っぺ引っ張ってるからでしょう?怖くもなるよ!もう、何がしたいの?」 「形だけでも笑顔を作ると少し気が晴れるって聞いたけど、***さんには必要なかったですかねィ。怒る元気があるなら」 気晴らしのつもりだった。はっきりそう言葉にしてはいないが、そう取れる言葉に心配をかけていたことに気がつく。自分のことしか見えていなかった。 「ありがとう、沖田くん」 自分より周りが見えている沖田の遠回りな行動に、少しだけ落ち込んだ気持ちが上向いた気がした。 沖田は***の自然に零れた笑みを見て少し驚いた顔をしてふっと笑う。 「あーあ心配して損した。さっさと帰ってふて寝でもしてくだせェよ」 「そうすることにする」 そう答え屯所を後にする***の後ろ姿をみて沖田は溜め息をついた。 悪ふざけはやめて。そう言った顔が今まで見た事もないくらい思い詰めていたことが少し気がかりだった。 自宅に帰り着くと制服から着物に着替える。殆どお風呂に入って寝るくらいしか用途のない自宅には生活感のあるものは少なく飾り気もない。 朝はスナックお登勢で、昼と夕は真選組の食堂で済ませている。冷蔵庫の中なんてほとんどすっからかんだ。久しぶりに3食自炊でもしようか。他にすることも無く、ぼんやりとしていると余計な事を考えてしまう。今は何とかして頭の中から銀時の事を追い出したかった。 棚を開けばほとんど使用せず埃を被っている調理器具。***は財布を持つとスーパーへとくり出していた。 買い物袋にいっぱいの食材を詰めて帰途につく。無くなりかけていたトイレットペーパーも持てば両手は塞がってしまった。 こんな時に沖田の言葉をふと思い出す。両手が塞がった状態で不逞浪士に襲われでもしたら何も出来ない。立ち止まり周りを思わず確認していた。 しかしここは人の多い往来だ。無駄な緊張を解くと沖田の言葉に振り回されている事に溜め息をついた。 謹慎中の身だ。出かけているのを真選組の誰かに見られるのもあまりいいものでは無い。とっとと帰ろう。そう思った時だった。 どすんと背後から突撃してくる何か。突然のことに心臓が飛び上がった。 腰周りに後ろからぎゅうと抱きついてくる手。 あれ、なにこれデジャヴ?? 「***さん見つけた!」 声に誰か気が付き振り向けば晴太がそこにいた。 「晴太くん、どうしたの?」 「銀さんが***さんがもう店に来ないかもって言うから。オイラそんなの嫌だから!」 必死に捜してくれたのだろうか。重たい荷物を一度置くと、逃がさないとばかりにぎゅうと抱きついてくる手に手を重ねる。 「ごめんね、晴太くん」 「なんで謝るんだよ、それって銀さんの言葉は当たってるってことなの?オイラまだ***さんに沢山あやとり教えてもらいたいし、話したいことだっていっぱいあるんだよ」 「よし、じゃあこうしよう。今から私の家へおいで。晴太くんが嫌じゃなかったら、お昼ご飯一緒に食べよう?」 何の解決にもならない。スナックお登勢にはもう行けないのだから。でもこのままさよならなんて***も後ろ髪を引かれる思いがした。 「***さんずるい」 「ごめんね」 「銀さんと何があったの?」 ぎゅっと回された手がするりと解ける。向き合えば不安げに揺れる目とかち合う。 荷物を持ちなおすと歩き出す。それに慌てて晴太はついてきた。 「ずっと前にね、さよならしたの。また会おうねって」 「銀さんと?」 「それからたくさん時間がかかって、やっと会えたのに、私が嘘ついちゃったの『あなたなんて知りません』って」 「なんで?もしかして会いたくなかったとか」 だからスナックお登勢で鉢合わせしたからもう来ないなんて言うの?そう言いたげな晴太に首を横に振る。 「怖かった。離れた理由も理由だったし、不必要な事をたくさん考えるだけの時間も沢山あってね。不安な気持ちでいっぱいになっちゃった」 なんでこんなことを晴太くんに話しているんだろうか。 茶化すことはなく、ますっぐに疑問に思ったことだけ言葉にして投げかけてくる晴太に、何故か言葉はすらすらと出ていた。 「オイラは母ちゃんのことよく知らないけど会いたいってずっと思ってる。でもいざ会えるかもって思うと少しだけ怖いっていうのか、ドキドキするっていうか。それと一緒?」 「どうだろう、少し似てるかもしれないね」 初めは今の晴太と一緒で必死だった。ただ会いたい。その気持ちだけを抱いていた。 それなのにどうしてこんなにもひねくれてしまったんだろうか。 「晴太くんは会いたいって気持ち、大切にしてね」 そう言って***が笑えば晴太は少し考えたあと真剣な表情でこう言った。 「ねえ、***さんお願いがあるんだ」 “オイラと一緒に吉原に来てほしい” 頼まれたのはそんな事だった。 家に帰りまずお登勢に連絡を入れた。晴太を預かっていることを伝えると、オムライスを食べたいという晴太のリクエストに応えて2人でお昼ご飯を作る。 スナックで慣らされたのかてきぱきと動く晴太の姿に舌を巻いた。 卵をぱかりと綺麗に割ってとても得意げに笑う姿は、年相応の少年の顔だった。 吉原桃源郷。かつては地上にあった女の園は攘夷戦争を機に造船場の跡地に移動していた。地上から地下へとエレベーターで降る。 地下というからには薄暗い場所を想像していた***はその華やかさに目を見張った。所狭しと立派な建物が並び電飾看板が目を引く。 右を見ても左を見ても白粉に紅を引き、前帯を結んだ綺麗な女の人が格子の向こう側にいた。 初めて見る環境にどういう感情を抱いていいのか分からず、思わず晴太と繋いでいた手を強く握る。 「***さん、こっち」 そう言って固まったままの***の手を引いて見知った場所をぐんぐん進んでいく晴太が連れてきたのは吉原で一番大きな楼閣の元だった。 下から見上げると首が痛くなってしまうくらい立派な楼閣の遥か上を晴太は指さした。 「あれが、オイラの母ちゃん」 目を凝らせば庇のある部屋の開口部から真っ直ぐ外を見る女性がいた。背筋は伸ばされ下にいる晴太には気が付かないのか、視線はこちらを向くことはない。 「綺麗…」 「だろう!」 姿は見えるのに遠くにいて手が届かない。言葉を交わすことも触れることも出来ない。住む世界が違い、会うためには金銭を要求される事実に胸が締め付けられた。 けれど晴太は目を輝かせる。 それと同じようにしっかりと前だけを見据える女性の姿は凛として見えた。 「ねえ、今オイラに対してなんて思った?」 「ん、早く晴太くんと会えたらいいのにって」 「***さん、ありがとう。でもね、オイラも一緒」 何が一緒なんだろうか。そう思い首を傾げればイタズラ小僧のようににっと晴太は笑う。 「***さんと銀さんにちゃんと会って欲しい。だって本当は会いたかったんだろう?だったら今は無理でもその気持ち、大切に覚えておいて欲しいんだ。オイラはそれだけでここまで生きてこられたから」 力強くそう口にする晴太の言葉は、揺れる心にじわりと染み込んだ。 そうだ。諦めてしまった部分はあるけれど、私にはそれしかない。想い続けることしか出来ない。 「晴太くん。…うん、そうだね。そうする」 今はまだ勇気が持てない。弱いままの自分で向き合うのは躊躇われる。けれど、この想いだけは変わることは無く、持ち続けてもいいものなのだと再び背中を押された気がした。 ふわり、やわらかい風が髪を揺らした。ここは地下なのに、どこか隙間風でもあるのだろうか。 そう思うも、“きっと大丈夫よ”そう言ってくれたミツバの声が聞こえたような気がして心は少しばかり凪いできていた。 ♭23/03/19(日) (4/14) ← |