53


銀時に嘘を暴かれて遠慮もなく体に触れられて、今の自分が自分でいられなくなる感覚に囚われた。
本当は名前を呼びたい。
触れたい、共にいたい。
そんな気持ちを押し殺して長い間独りでいた時間、必死に積み重ねてきた虚勢を見透かされ、あの頃と何も変わっていない弱い部分に触れられ引きずり出された気がした。
力に逃げただけで、本当の部分では強くなんてなっていない。何も変わっていない。泣き虫で寂しがり屋の私を。

「おい###、遅刻…」

腕を掴まれ立ち止まれば、いつの間にか真選組の屯所に着いていた。

「土方さんすみません、ちょっとわんこにオシッコひっかけられて制服着替えに戻ったら遅刻しました」

わんこにオシッコ。適当に出てきた言葉だった。

「いやお前、」

いつもなら切腹切腹言って捲し立てる筈なのに、何か言いたげに口篭る土方の横を素通りすると仕事部屋に向かう。
その途中で今度は沖田に会った。

「***さん、遅刻ですぜィ。土方さんが、」

何かを言いかけてぴたりと沖田も止まった。
その後ろから近藤も出てくる。

「もうなに***ちゃん、家が屯所とは別とは言え良くないよ遅刻は…、え?!」

近藤は何かに驚いて隊服の上を脱ぐと***の肩にかけて袖を前で結んだ。突然のことにされるがままでぐるぐる巻きにされると、近くの部屋に押し込まれた。

「なに?暴漢に襲われでもしたの?」
「え?暴漢?」

銀時にされた不埒な事を思い出して頭に血が上って顔が熱くなると同時に涙が込み上げてくる。

「この人がその辺の男に簡単に負けるとは思いませんけどね、俺は」
「じゃあなに?なんでこんな格好してるの!」

こんな格好。近藤の言葉にはっとする。
銀時に服を乱されていたことを思い出す。

「す、すみません、!猫にオシッコ引っかけられて慌てて着替えたから」
「犬じゃなかったのかよ。まァどっちでもいいけど全部着替える必要ねェんじゃねェの。スカーフ忘れてるし」

制服が乱れているのは全体的。犬も猫も制服全部を汚すだけの盛大なオシッコはしない。そう言いたげな土方が追いかけてきたのか部屋の入口に突っ立っていた。

「他の隊士の目に毒だからとっとと身なりを整えろ。終わったら俺のところに来い。いいな」

3人は室内から出ていきぱたりと襖が閉じられた。
ひとりになるとぼたぼたと零れ落ちる涙を拭うことも出来ずに近藤の上着に包まれたまま声を押し殺して泣いた。


態度と晋助の言っていた言葉が重ならない。
晋助の言葉は嘘だったの?
「私の事いらない」なんて思っていないの?
なんであんなことをするの?また怒らせたの?
なんで忘れたフリをしていたの?
私に付き合っていてくれただけなの?
どうして今になって嘘をつくのをやめようと思ったの?
なんで、どうして、…考えてもそれしか浮かばない。頭の中はぐちゃぐちゃだった。

ぐずぐずと悩んでいても仕方ない。
近藤の上着を脱ぐと身なりを整える。首元に手をやればスカーフが無かった。落としてきたのだろうか。釦の取れたシャツが見えるのは良くない。上着をしっかり着込むと部屋を出た。



「1週間謹慎な」

土方の元へ行けば開口一番の言葉がそれだった。

「え、」
「え、じゃねェ。小便引っかけられたくらいで遅刻するなんざ自覚が足りねェんだよ。つーか連絡くらいしろ」

当たり前の事を言われて抜けていたことに気がつく。

「お前の今の立場はそれだけ危険が隣り合わせなんだ」
「すみませんでした。これからはちゃんと連絡するんで謹慎は無しでお願い出来ませんか?」
「…お前話聞いてた?」
「はい」
「はいじゃねェんだよ!はいじゃ!たく、…何があったか知らねェけどな、頭冷やせ」

涙のあとが残る***の頬に土方の視線が刺さる。
慌てて頬を両手で隠した。
本当は誤魔化せてなんていない、でも敢えて理由を聞いてこない。そんな気がした。
あの厳しい土方が。なんでだろうと思うもその優しさに今は感謝した。

「…小便、そんなに盛大だったか」

思わぬ返しに、何があったのか本当は見抜いているのではないか、その上でとても気を使われている気がした。

「…はい、わりと。目に入っちゃったかな?」

今でも整理がつかない。
でもこうして少し落ち着いて言葉にすると、銀時が怒る理由もわかる気がした。
ずっと嘘をつかれて知らない顔をされていて、それなのにスナックお登勢なんて場所にいた。どうしてって思うだろう。
本当は二度と足を運ぶつもりなんてなかったのに、再び会ってお登勢の温かさに触れていたいと思った。お登勢が時々話してくれる銀時の話に耳を傾けるのが心地いいと思っていた。
とても狡い。とてもとても。
あの場所に再び足を運ぶ時は銀時の言葉を認めてしまわなければならないだろう。そう思うと恐怖が心を占める。
あの腕に抱きしめられて名前を呼ばれると嘘と虚勢で固めた鎧を引き剥がされる思いがした。弱い女だと何度もあの声と腕と体で思い知らされた事が頭を埋めつくすのだ。求められるのが嫌だったわけじゃない。勝負をしてまで決めた事を曲げた自分が、苛立ちをぶつけられるのは仕方の無いことだと思っていた。ただ虚しくて寂しかった。
もし晋助の言葉が嘘でしかないのなら心の奥底では名前を呼んで応えたい。でも、そこにまた違う不安を感じた。そうすることでまた守られるだけの弱い自分に戻るのではないか、そう思うと怖くてたまらなくなった。
だからまたあんな酷い言葉を投げつけてしまった。
込み上げてくる感情に目を背けたくなる。
土方の言うように冷静ではないのかもしれない。

「仕様もない事ですみません」
「お前にとっちゃ小せェ事じゃなかったんだろう。分かったら帰れ」
「嫌です」
「…お前な、」

このまま1週間何もせずに過ごすなんて地獄ではないか。まだ仕事をしていた方が銀時のことを考えなくて済む。

「お前が言ったんだ。特別扱いはもうしねェ。示しがつかねんだよ」

住居が別なのは***だけで行来を考えれば他の隊士とは事情が違うのは土方も分かっている。
だが特別扱いをするわけにはいかない。最近は道場の修練に混ざったり、ちょっとした外回りの仕事もしていて少しずつ打ち解けてはきている。だが近藤の窮地に刀を握り戦ったその姿を見た隊士は少ない。その実力を目の当たりにしてはいない者からすると特別扱いに見えたり、女だからと偏見を持つ隊士も少なからずいるだろう。そういう目が増えるのを土方は嫌った。

「お前は真選組の隊士だろう」
「…はい、」
「だったら規律を破れば罰があるのは当然だろう」
「分かりました。すみませんでした」

完全な我が儘だと自分でも分かっている。
頭を下げると退室しようとした時だ。
部屋の襖が遠慮気味に開かれて近藤が顔を出した。

「話終わった?」
「終わりました。ご迷惑をかけてすみませんでした」

***は手にしていた近藤の上着を返す。
近藤は上着に袖を通すと、土方と同じように涙のあとが残る目元に視線がいった。

「何があったんだ?」

ああ、心配をかけてる。何より乱れた衣服に上着をかけてくれた人だ。本当なら話すべきなのかもしれない。でも、どうしても言えなかった。

「着替えたんですがもしかして私臭います?」

意地でもオシッコを引っ掛けられたことにしたい***の態度に近藤は問い詰めることをやめた。

「次からは気をつけるようにな」
「はい、すみませんでした」

***が退室すると土方は溜め息をついた。

「悪ィな近藤さん」

処分を下す代わりに何も聞かないでやってくれ。そう近藤に土方は言い含めていた。
普段からそう簡単に涙を流すやつではないし、総悟の言うようにその辺の男に簡単に負けるやつでもない。
そう思うと、ひとつの可能性が土方の頭の中に過ぎった。
万事屋。
俺が口を出したせいで2人の間に何かあったのではないか。2人の間柄を詳しく知っているわけでもなければ、何かできることがある訳でもないのに思わず余計なことを言ってしまった。そう思うと***に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「いや俺はいいが、***ちゃんはあれで良かったのかな」
「どういうことだよ」
「辛い時って人に聞いてもらうだけでも気持ちが楽になったりするだろう。いや、喋りたくないならそれでいいんだが。少し心配になるって言うか、無理して笑ってたって言うか」
「…そうだな、もしあいつが聞いて欲しいって言った時は近藤さん頼むな」


* * *


銀時は***が落としていったスカーフを手にスナックお登勢に戻っていた。
ポケットにスカーフを乱雑に押し込むと戸を開けてカウンター席に座る。小豆の缶詰を今度こそ開けると冷えたご飯に盛った。

「銀ちゃん、***となんかあったアルか」
「なんもねーよ」

神楽の純粋に心配してくる目にいたたまれなくなるも、お登勢の視線は厳しいものだった。
酔った時の事なんてはっきり覚えているわけじゃないが、きっとくだを巻いて何かしら言っていたのだろう。***とはもう会わない、そう決めてあいつを求める気持ちに目を瞑っていても、その気持ち自体は無くなりはしなかったのだから。
そんな銀時の言葉から何かを察していたお登勢は、不審な***の行動を銀時と結びつけた。

「悪ィなババア、あいつもうここに来ねェかもしんねェ」

ご飯と小豆を口に運べば冷めたそれは自分の心のようだと思う。火がついたように追いかけて行ったが、今は頭の中は冷えている。
完全にあれは駄目だったろうと自分でも分かる。
俺が嘘を暴いて魔法を解いてしまった。
スカーフも落としていくしシンデレラみたいだなとか思う。だが冷静な部分がそんなわけないと否定した。
だってシンデレラは硝子の靴を拾った王子さまと幸せに暮らすんだから。俺は違う。追いかけることも出来なかったし、このスカーフを持ってあいつの元に行くなんてできない。もし愛の言葉を囁けたってきっと***の心には届かない。

「そんなのオイラ困るよ!」

店内の掃除をしていた晴太は手を止めて銀時の言葉に反応した。

「なにお前あいつとそんなに仲いいわけ?」
「何で***さんがもうここに来ないとか言うの、銀さん」

俺がここにいるから。理由は単純明快だ。

「晴太、およしよ。来る来ないは***が決めることだよ。銀時も自分がどうしたいのかよく考えてから行動しな。後悔しないようにね」

お登勢の言葉に深く理由を聞かれたくなかった銀時はほっとする。
それにしても思いっきり衝動的に行動して失敗した。そんな俺に次があるのか。
椀を抱えご飯をかきこみながらそっとお登勢を見ればじっとこちらを窺うような視線が突き刺さる。罰が悪く視線を逸らせばポケットからはみ出たスカーフが目に入った。



♭23/03/11(土)

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