※暴力的表現が多々あります。ご注意下さい。


01


迷路のように複雑に絡む回廊。出口の見えない闇の中。まるでこの街は、密閉された黒い箱のようだ。

男がたどり着いた先は、無情にも行き止まりだった。行き場を無くした男は、冷たいコンクリートの壁を背に荒い息を漏らす。かなりの距離を自分の足だけで逃げてきたせいで、身体はじとりと籠もった熱を生んでいる。それなのに、寒さに凍えるように歯はガチガチと震え鳴った。死への恐怖だった。

「ひ······助けてく」

懇願の言葉は、最後まで言い終わらず消えた。壁伝いに男の身体が崩れ落ちる。見開かれた両目に、ぽっかりと開けられた口。眉と眉の丁度中央。左右対称がほんの寸分も狂わない位置から、赤黒い血が流れ出ていた。
男はもう震えてなどいない。それどころか、生命活動の一切を止めていた。
派手な音は鳴らなかった。ピストルにつけられたサプレッサー、減音器がその役割を全うしたおかげだ。

「ったく、命乞いするくらいなら金の持ち逃げなんかするなっつの」

生きている人間の声がした。からかうような口調に、少しガラの悪さが伺える、やや低い少年の声。

「けど······俺も資金集めのために市民に薬を売りさばくファミリーのやり方には疑問がある。これからもこの男のように逃げ出す奴らは増えるだろうな」

今度はもっと低い、落ち着いた声だった。

「ハンッ、なにいい子ちゃんぶってんだよ、源田。逃げ出す奴らがいたとしても、今回みたいに俺たちが処分に駆り出されるだけだっての。お坊ちゃんはパパの言いなりだしなあ」

ガラの悪い声が鼻で笑う。

「口を慎め不動! 鬼道さんに失礼だろうが!」

叱責したのは、二人よりやや高めの声だった。少し癇癪気味の言葉が、夜の街へと反響する。

「へいへい、佐久間くんは相変わらずうるせーな」
「不動! お前というやつは······!」

二人を窘めるように、カチャリと金属音が鳴る。佐久間と不動は口を閉じた。自動拳銃のロックがかけられた音だった。
音の主は、自分が着ている黒いジャケットを少し引くと、手慣れた動作でショルダーホルスターに銃を吊り下げる。月明かりしか頼りのない路地に、特徴的なゴーグルのレンズが鈍く光る。

「最近ヴェローナ地区の売り上げが減少傾向にある。不動、調査はどうなっているんだ」
「言われなくてもやってるっつの」

ゴーグルの奥の赤い瞳に見据えられ、不動は罰が悪そうに頭をかく。不動の頭は中央部以外全て剃髪されており、剃り上げた部分には朱色の刺青が入っていた。

「なんでもヴェローナ地区を仕切ってるチンピラ共が、薬の売買を邪魔してるんだと。正義のヒーロー気取りかっつうのな」
「チンピラ風情が······目障りだな」

佐久間が忌々しそうに呟く。線が細い身体に、端正な顔立ち。初対面の人間に女性と間違われるほどの美少年ぶりだけに、彼の右目に当てられた眼帯がやけに異質に見えた。

「鬼道、上は何と言っているんだ」

源田が問う。がっしりとした身体に、ボリュームのある髪。彼に凄まられれば、例え大人であろうと顔を青くするだろう。

「早急に対処しろと」

深紅の瞳を持つ鬼道は、源田の問いに簡潔に答えた。一見して上流階級の跡取り息子にも思える上品な物腰に白い肌。特徴的なドレッドヘアーは、一寸の乱れもない。

「2、3人とっ捕まえてさ、殺しちまったらいいんじゃねえの? ビビって多少は大人しくなんだろ」
「いや、ああいうチンピラ風情はやたらと仲間意識が強い。一人でも殺せば逆上するおそれがある」
「じゃあどうしろっつうんだよ」
「一人残らず殺してしまうのが一番だろうな」

冷淡な言葉に、不動は思わず目を見張る。裏社会を仕切る組織の次期総帥候補。その男は、冷酷で、残忍で、そして、

「不動、お前は俺を総帥の言いなりだと言ったな」

ぎくりと不動は肩を揺らす。平静を務めながらも、ジャケットの下でじんわりと嫌な汗をかく。
月明かりに照らされて、鬼道の白い肌が光る。深紅の瞳は、まるで見た者を石に変える呪いのようだ。

「俺たちは組織の為に生きて死ぬ、それだけだ」

鬼道有人──裏社会を牛耳る犯罪組織「Impero」の次期総帥候補。
彼は冷酷で、残忍で、それ故に──とても美しかった。


***


「なあ、どうする?」
「どうするって言っても······助けに行くしかないんじゃないのか?」
「でも相手はプロだぞ? さすがに勝ち目無いって」
「でも見捨てるわけにはいかないだろ」

廃れた雑居ビルに、人の話す声が響く。声の主は一人や二人ではない。もっと複数の、けれども皆どこか声を押し殺したように囁き合っている。どの声色も若く、少年と言って差し支えのないものであった。
現に廃ビルの一室に集まっているのは、13〜15歳程の少年ばかりであった。打ちっ放しのコンクリートがむき出しになっている、簡素で味気のない部屋。ヒビが入り穴が開いている窓からは、外の冷たい風が入ってくる。ソファー、机、棚、パイプ椅子──乱雑に置かれている家具類は、ゴミ捨て場で拾ってきたようにどれも寂れている。実際、元の家主がゴミ同然に捨てていったものだった。
少年たちは、部屋の中央に置かれたソファーの周りに集まり、顔をつき合わせて囁きあっている。まるで巣穴でネズミが、ネズミ取りにひっかけられたチーズを盗み出す算段を話し合っているようだ。しかし彼らが盗み出そうとしてるのはチーズでも魚肉ソーセージでもない。自分の仲間たちだ。

「っていうかさあ」

八方塞がりの状況に嫌気が差してきたのだろうか。半田が心底弱り切った声を出しながら、そこそこに伸びた茶髪頭を掻いた。

「壁山と栗松はなんで拉致られたわけ? アイツら"奴ら"になんかしたの?」
「お前は馬鹿か。ちょっと考えれば分かるだろうが。"奴ら"は俺たちが気にくわねーんだよ。だから見せしめに壁山と栗松を拉致った」

吐き捨てたのは染岡だった。彼は少年たちの中では一番背が高い。顔も強面で、良い言い方をすれば"大人びている"少年だ。やや痩せ型、容姿も平凡な半田と比べると、一段と際立つ。

「俺たちが邪魔だってことですか?」
「たかがチンピラ相手に大人気ないですよ······!」

宍戸と少林が不満の声を上げる。癖のある赤毛にそばかす顔の宍戸と、中国系の血を引く小柄な少林はグループの中で最年少に当たる。現在捕らえられている壁山と栗松も同じだった。

「すぐに二人を助けに行きましょうよ!」
「そうですよ! 今頃どんな目に合わされてるか······」

年が同じせいか、チームの中でも少林と宍戸は栗松と壁山と仲が良い。我慢ならないとばかりに、今にも部屋を飛び出そうとする。

「二人とも落ち着け」

彼らの肩に手を置いて、待ったをかけたのは風丸だった。平静を保った声が、宍戸と少林を窘める。それに釣られ、二人はピタリと足を止めた。

「今マックスが奴らのアジトを調べてくれている。その報告を待とう。なあに、大丈夫さ。簡単にやられるような二人じゃない」
「風丸さあん······」

少林が目を潤ませる。風丸は二人を安心させるように深く頷いてみせた。碧眼の美少年が微笑むと、それだけで少し場の緊張が解ける。風丸はそれを自覚無しにやってのける人間であった。

「おっまたせー」

緊張感をはらむ雰囲気に似つかわしくない、間延びした声が響いた。少年たちが一斉に注目する。入り口から顔を出したのは、これまた殺風景な部屋には似合わない、猫の耳を象ったピンク色の帽子を被った少年だった。

「マックス!」

風丸が待ちかねたように駆け寄る。一つに括られた青色の髪が揺れる。

「おかえり。首尾の方はどうだ?」
「もちろんオッケー。ちゃんと仕事はしてきたよ」

マックスが得意げに答える。彼がパチンと指を鳴らすと、それが合図だったようにマックスの背後から影野がぬっと姿を現した。何人かが驚いたように声をあげる。影野の存在感は、驚くほど薄い。
影野は仲間たちに見えるように、部屋の中央に地図を広げた。彼らが拠点とするヴェローナ地区の地図だった。

「ヴェローナ地区にある"奴ら"のアジトは三つ」

いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、マックスが顔の前で三本指を立てる。

「メインストリートから一本入った裏路地にひとつ、南方の川縁のちかくにひとつ、そして北西にひとつ」
「北西······スラム街のある地区だな。人間を拉致して監禁するとなると······北西のアジトが一番可能性が高い、か?」
「さすが風丸。ビンゴだよ。廃墟ビルの前に黒塗りのワゴンが停車してた。間違いないだろうね」
「廃墟ビルか······。何階立て?」
「三階。奴らはおそらく一番上のフロアにいる」
「さて······どうする、円堂」

風丸が振り向く。それに合わせて地図を囲んでいた少年たちも、ある一点に視線を集中させた。
中央に置かれたソファー。そこに座するのは、オレンジ色のバンダナを頭に巻いた少年。彼はすぐ側に置かれていたナックルを手にすると、ゆっくりと立ち上がった。

「決まってるだろ。壁山と栗松は絶対に助ける。それが最優先事項だ!」

円堂の顔に不敵な笑みが浮かぶ。大きな丸い目が特徴的な、童顔気味の顔。円堂が笑った瞬間、一気に場の空気が活気付いた。

「リーダーがそう言うなら行くしかねえなあ」
「ま、円堂なら絶対にそうすると思ったけど」

皆瞳に闘志を浮かび上がらせ、各々の武器を手に立ち上がる。
チーム「Flimine」──ヴェローナ地区を裏で牛耳るチンピラ集団。仲間は絶対に見捨てないという信念は、リーダーである円堂が掲げたものだ。
確固たる信念の下へと仲間達は集う。身よりの無い彼らにとって、仲間達は家族にも等しいからだ。

「あれ、そういえば名字は?」

雑居ビルの階段を降りる途中、はたと気づいたように半田が声をあげた。連絡した? と隣の風丸に問いかける。風丸は首を縦に振りながらも、おかしいなと首を傾げた。いつもならすぐに飛んでくるはずなのに、と。

「名字なら僕に連絡があったよ」

答えたのはマックスだった。

「アジトの場所聞かれたから教えておいた。先に向かってるんじゃないかな」
「それなら良かった」

風丸が安心したように肩を下げる。

「名前まで捕まってたらどうしようかと思ったよ」
「ハハッ、大丈夫だよ。そう簡単に捕まるタマじゃないでしょ」
「むしろアイツのことだから、すでに殴り込みに行ってたりして」
「いやあ、さすがにマフィア相手に一人では行かねーだろ」
「分かんないぞ、名字のことだから」
「そうだよな。あははー」
「あははー······」

階段の踊り場が、しんと静まりかえる。まるで氷漬けにでもされたように、少年たちは青い顔をひくりとひきつらせていた。

「い、急ごう!!!」

円堂の声が合図だったように、彼らの石化が溶ける。雑居ビルの階段を転がり落ちるように、少年たちは慌ただしく駆け下りていった。


***


ヴェローナは、イタリア北部に位置する街だ。中心街は赤煉瓦の建物が並び、中世の町並みが残る街として、毎年多くの観光客が訪れる。
イタリアの中では比較的治安の良い街とされているが、影のない場所などどこにもありはしない。闇に紛れ、日の下以外の場所で暮らす人間は必ずどの街にも存在する。
"名字名前"も、その一人だった。

右足で思いっきり地を蹴ると、薄い車体は下り坂を軽快にかけていく。持ち運びが楽で小回りが利く為、名前にとってスケボーは大切な移動手段であり、相棒だった。
大通りの真ん中を遠慮なく通ると、人々は迷惑そうに眉を寄せる。けれども名前に注意をするものは誰もいない。おそらく名前が手に持つ、使い古された鉄パイプのせいだった。
好奇心の視線を注がれようが、迷惑そうな顔をされようが、名前は一切構わない。調子外れの鼻歌を口ずさみながら、スケボーをスピードに乗せる。角を曲がるとエプロンをつけた恰幅の良い男が、ちょうど通りを渡ろうとする所だった。名前は身体を軽く傾ける。ぶつかる寸前で名前のスケボーは男を回避した。しかし突然現れた名前に驚いたのだろう。男は尻餅をついた。

「ガッデム! クソ坊主!」

男が名前に向かって罵声を飛ばす。名前は顔だけ振り向くと、ベッと舌を出した。

「オッサン! 気をつけねーと奥さんにバレんぞ!」

名前にとってこの街は庭同然だ。野良猫の散歩ルートから、パン屋の親父がクリーニング屋の若い娘とデキていることまで、よく知っている。パン屋の親父が目を丸くする様を見届けると、名前は機嫌良く前を向いた。目的地はもうすぐだ。

名前の仲間の中には、なるべく喧嘩はしたくない、という者もいる。チンピラといえども、みんながみんな血気盛んというわけではない。行く宛が無く身を置いている者もいる。
名前は真反対だった。男であろうと女であろうと、子供であろうと大人であろうと関係ない。売られた喧嘩は全て買う。売られなくても買う。生真面目な風丸に何度叱られたか分からない。けれども性分だから仕方がない。喧嘩と聞けば、どうにも血が騒いで仕方ないのだ。
マックスの情報通りの場所に、そのビルはあった。人気の無い通りに、打ち捨てられたようにそびえ立つ廃ビル。一見人気が全くないように見えるが、側にはピカピカに磨かれた黒いワゴン車が止まっている。どうにも不釣り合いだった。

「さてと······」

名前はスケボーを適当に立てかけると、静かな足並みでぐるりとビルの周りを一周する。ビルは三階立てだった。コンクリートで塗り固められた箱型のビルは、近代的な形をしている。中心街の美しい中世の町並みの中にあったのならば、確実に浮いていただろう。
一階の窓は全て打ち破られている。名前は顔を覗かせ中の様子をうかがった。誰もいない。名前はそっと耳を澄ます。声すら聞こえない。ビルから少し離れると、そびえ立つビルを見上げた。二階は一階と同じく窓がない。薄暗く、使用されることなく何年も放置されていることが遠目でも分かった。
そして三階。三階は、不思議と窓ガラスが全ての窓に貼られていた。

「······マックスの情報通りだな」

名前はボソリと呟くと、乾いた唇を舐める。そして自分のズボンのポケットから、ある物を取り出した。目の前のビルと同じ色をした、手のひらサイズの石。ずしりと、それなりの重さがある。名前は軽く腕を回して準備運動を始める。

「ヨシッ」

短く気合いを入れる。

ゲームスタート。



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