02


灰色の建物は、やけに埃っぽく、そして奇妙なほどに静かだった。
スラム街にあるこの建物は、元々いくつかの店舗やオフィスが入っていた複合ビルであった。中心街ではなく街外れのスラム街に拠点を構えるような店や会社であるので、もちろん非合法なものがほとんどだ。それらを追い出し、ビルを丸ごと買い取ってアジトとしたのは「Impero」という組織である。非合法な物や事はすべて彼らに繋がるとまで言われるほど、大きな力を持つ組織犯罪集団。裏社会に身を潜めるもので、彼らのことを知らない者はいない。

閑静な建物の中で、何かを殴打するような乾いた音が反響した。固いものをコンクリートに力任せにぶつけたような鈍い音。静かな建物の中では、やけにうるさく聞こえる。
音の正体は、「Impero」がアジトにしているビルの三階、殺風景な部屋の中で、不動がパイプ椅子を蹴り上げた音だった。

「ったく遅っせーなあ。いつまで待たせんだよ。なあ、聞いてんのか? ああ!?」

苛立たしげに不動が叫ぶ。しかし仲間達は誰も不動の質問には答えない。またかと彼らが呆れている心の内が言葉に出さなくても伝わってくる。
それが気にくわなかったのか、不動は舌打ちを打ちながら剃り上がった頭を掻き毟る。何か気を紛らわすものはないかと、机と椅子の最低限の家具しか置かれていない部屋の中を見渡す。そして、隅の方で震える"おもちゃ達"を目ざとく見つけると、口の端を怪しく上げた。

「なあ、いつになったら仲間はここに来るわけ? お前らのボスは昼寝でもしてんの?」

不動はしゃがんで、"おもちゃ達"に視線を合わせる。"おもちゃ達は"震えるばかりで何も答えない。当たり前だ。何の予告も、理由もなしに問答無用でこのビルまで連れてきたのだ。自分たちが今から何をされるのか、これから何が起こるのか不安でならないのだろう。
不動は人質として拉致した人間を"おもちゃ"と称した。その呼称が彼の残忍な性格をよく表している。現に不動の目には、震える年若い少年の人質二人は、いたぶっても構わないおもちゃにしか見えていない。
不動は自分の着ているジャケットを少しめくる。そしてサロペットに吊されている銃を、わざと人質達に見せた。人質達はヒッと短い悲鳴を上げる。恐怖にひきつった顔を見て、不動は口の端を上げる。身体の内側に溜まった苛立ちが、霧散するような感覚を覚えたからだ。

「不動、みっともない真似はやめろ」

けれどもすぐに、晴れ晴れとした心に重い雲がかかった。低く落ち着いた声が不動を制したからだ。不動は苛立ち、短く舌打ちを打つ。苛立っていることを悟られないようにゆっくり立ち上がると、「ハイハイ」と相手をからかうように返事をする。冷静な相手にムキになることほど、無様なものはない。不動は仲間達に、特に鬼道に軽蔑されることを、ひどく嫌った。

「素人相手に銃は使うなってか? さすがお坊ちゃん。育ちの良いことで」
「おい不動! 鬼道さんにナメた口をきくんじゃない!」
「止めないか。二人とも」

いくら不動が鬼道に突っかかろうとも、鬼道は全く相手にしない。けれども鬼道を敬愛する佐久間にとって、不動の態度は許し難いものである。すぐに目を吊り上げて不動を叱責する。そしてそれを静めるのが、源田の役割だ。
不動は二人は気にせず、椅子に座る鬼道に視線を移した。

「いくらなんでも遅すぎだろ。コイツら連れてきて1日近く経ってんだぞ」
「それがどうした」
「どうしたもこうしたも、この作戦は失敗だったんじゃねーのって話だよ。こんだけ待って助けに来ないってことは、コイツらが拉致られたことが仲間達に伝わってないか、コイツらが見捨てられたかのどっちかだろ」
「情報は流した。アイツらは自分の仲間が拉致されたことに気づいているはずだ。この場所もいずれ突き止める」
「じゃあ見捨てられた方だな。だからこんな雑魚捕まえても意味無ェつったんだよ」

鬼道はすぐには答えなかった。不動の瞳をじっと見返す。何かを言われたわけでもないのに、不動は鬼道の圧に少し押される。

「問題は無い。時期に来る」

鬼道から返ってきた答えは、それだけだった。

「そ、そうでヤンス! 俺たちのリーダーは俺たちを見捨てたりなんて絶対にしないでヤンス!」
「アンタらマフィアと違って、俺たち「Flimine」の絆は強いんスよ!」

鬼道の言葉に奮起されたように、人質達が大きな声をあげる。不動は彼らをひと睨みして黙らせた。助けを待つことしかできない雑魚が偉そうに。こういう無様な存在を鬼道は人一倍嫌う。
けれども不動の予想に反して、鬼道は少し表情を緩め、さらにフッと短く笑った。

「絆、か。面白いことを言うな」

鬼道は腰掛けていたパイプ椅子から少し腰を浮かすと、身体の向きを変え再び腰を下ろした。ちょうど鬼道の身体の真っ正面に、手足を縛られた人質達が見える形になる。ただのパイプ椅子なのに、どうして鬼道が座ると革張りの高級品のように見えるのだろう。不動は不思議でならない。
お前達、とまるで教師が子供に問うような口調で、鬼道は人質達に話しかけた。

「お前達はなぜ自分達二人だけが、ここに連れてこられたか分かっているのか」
「······アンタらが俺たち「Fulimine」を気にくわないからッス」
「漠然とした答えだな。問題に回答するときは、具体的かつ簡潔に答えるべきだ。学校で習わなかったのか」

「学校」というワードに、何かを堪えるように人質達の顔が歪む。語尾にヤンスをつける特徴的な話し方をするほうが栗松で、おかしな敬語を使う方が壁山だったか。不動は頭の中でおもちゃ達の名前を思い出す。二人とも学のある人間には見えない。
得てして人間は、自分より頭の良い相手に対しコンプレックスを抱きやすい生き物だ。鬼道は栗松と壁山に対しコンプレックスを感じさせることで、精神的な主導権を握ろうとしているのだ。鬼道はこういった精神的に相手を制圧することに長けている。恐ろしいヤツ、と不動の心の中で独りごちる。

「······アンタらマフィアが街で売りさばいている薬を、俺たちが出回らないよう根回ししてるから。きっと······それが気にくわなくて俺たちを見せしめにここまで連れてきたんスよね」
「半分は正解だな」
「半分?」
「確かに俺たちはお前達を邪魔だと思っている。お前達のせいで、ここヴェローナ地区の薬の売り上げは減少傾向にあるからな」

薬の売買を邪魔しているというチンピラ達の情報はすぐに手に入った。ヴェローナ地区ではそこそこ名のしれたチンピラ集団だったらしい。
チーム「Flimine」──十代前半の若者で構成された不良集団だ。ほとんどが身よりの無い子供達らしく、厄介者として街の住民達からは疎まれている。が、その反面、暴力沙汰など何かトラブルがあると、率先して女子供など弱い立場の者を守ろうとする為、住民の中には彼らを友好的に思っている者もいるという。そういう者からの支援、またはスリや万引きなどの軽犯罪などで、彼らは生計を立てているらしい。
そして何より、彼らは仲間を見捨てない情に厚い不良集団として有名である、と。

「見せしめなんかでは無い。俺たちの狙いは、お前達「Flimine」を皆殺しにすることだ」

栗松と壁山の瞳が大きく見開かれる。

「見せしめにお前達二人を懲らしめるくらいなら、今頃脚の一本や二本切り落としてお前達のアジトの前にでも送り届けているさ。そうしないのはお前達を助けに仲間達が全員揃ってここに来るのを待っているからだ。全員まとめて始末した方が早いからな。お前達は非常に仲間意識の強いチームだと聞いた。お前達の言葉を借りると、絆が強い、とでも言うのか」

鬼道が小さく笑う。美しく、それ故背筋が凍るような冷たい笑みだった。

「雑魚の一人や二人放っておけばいいものを。絆の強さとやらが仇になったな」

その時だった。北側にある窓が派手な音を立てながら割れた。
鬼道、不動、佐久間、源田の四人は反射的に身構える。身を低くして次の攻撃に備えながら、手に銃を構える。来たか、と鬼道が短く呟いた。
一瞬銃撃かと思われたが違った。割られた窓の下に散らばるガラスの破片の側に、人間の拳ほどの石が転がっている。
銃による攻撃では無いと分かった瞬間、佐久間が北側の窓に駆け寄った。窓枠からそっと外の様子を窺う。そして小さく首を横に振った。

「どうした」
「誰もいない」

不動も窓辺に駆け寄り、あまり頭を出さないように外を見る。佐久間の言うとおり、不良集団どころか人ひとり見えなかった。

「なんだあ? アイツらなに企んでやがる」
「俺たちの様子を窺っているんだろうな」
「チッ······めんどくせえ真似しやがって。どうせどっかに隠れてんだろ。見つけて引きずり出してやろうぜ」
「待て、不動」

部屋を出ていこうとした不動に、待ったをかけたのは鬼道だった。

「それがアイツらの狙いかもしれない」
「あ?」
「俺たち四人が痺れを切らし外に出た隙に人質達を取り返す作戦の可能性がある」
「······じゃあどうしろっつうんだよ。我慢比べでもするってか」
「二手に分かれるぞ。佐久間、源田。お前達は周辺の様子を見てきてくれ。何かあればすぐに連絡しろ」

佐久間と源田が頷く。不動は「なんで俺じゃねえんだよ」と忌々しそうに呟いた。元々不動は好戦的な性格だ。久々に派手な喧嘩ができると楽しみにしていただけあって、我慢の限界だった。

「不動、お前は少し頭を冷やせ」

鬼道に冷静に言われ、不動は短く舌打ちを打つ。そしてドカリと椅子の上に座った。その様子を見て佐久間は呆れたようにため息をつき、源田は困ったように笑う。二人は静かにドアを開けると、そのまま外に出た。

「二人だけに任せていいのかよ。返り討ちに合うかもしんねーぞ」
「それは有り得ないな。たかがチンピラ十数人にやられるような奴らではない。敵を見つけようと見つけまいと、すぐに帰ってくるさ」

しかし予想に反して、佐久間と源田は中々帰ってこなかった。時計の長針が20分ほど進んだところで、鬼道がコツコツと指で机を叩き始める。

「不動」
「へいへい」

名前を呼ばれ、不動は億劫そうに立ち上がる。けれども内心浮き足立っていた。やっと俺の出番が来たか、と。
佐久間と源田を探しにいく為に外に出ようと、不動がドアノブを引こうとした瞬間だった。扉が外から壊されんばかりの勢いで勝手に開いたのだ。

「ッ!」

扉が思いっきり鼻にぶつかり、不動は面食らう。その合間に、扉の外からぬっと白い腕が突き出る。白い腕は棒状の何かを部屋の中に投げ入れた。視界が白く染まる。

「煙幕か!」
「クソッ!」

一気に視界を奪われ、自分の手元すら見えなくなる。不動は反射的に銃のスライドを引いた。

「止めろ不動! 闇雲に撃つな!」

鬼道の叱責に不動は我に返る。何も見えない状態で発砲することは危険極まりない行為である。まずは人質を取られないことが先決だ。不動が感覚を頼りに人質の元へと歩きだそうとした時だった。

「そこだ!」
「ぐえっ!」

鬼道の声と、蛙のつぶれたような声が鳴る。

「窓を開けろ!」

ハッとして不動は動いた。壁伝いに歩いていけば、そのうち一番近い窓へと当たる。銃のグリップを使い窓を叩き割る。視界を濁らせている煙が、風の流れに沿って外へと逃げていく。
しばらくしてようやく晴れた部屋の中で不動が見たものは、鬼道が見知らぬ若い男の襟首を掴んで締め上げている姿だった。

「名字さん!」

いつの間にか人質達は手足を解放されていた。自分たちの代わりに捕まった男に向かって焦ったように叫ぶ。

「早く逃げろ!!!」

名字と呼ばれた男は怒鳴るように叫んだ。栗松と壁山はその声に気圧されたように慌てて扉へと走る。

「逃がすかよ!」

不動は逃げようとする人質達に銃を向けた。するとそれが起爆剤だったかのように、名字が信じられないくらい素早い動きを見せた。手に持っていた鉄パイプを鬼道の腕の下に通すと、勢いよく上へと上げた。弾かれるように、襟首を掴んでいた鬼道の手が離れる。それを見て不動は咄嗟に名字へと銃を向ける。引き金を引き、撃つ。名字は銃弾を器用に避けながら、素早く不動との間合いを詰める。気づいたら、不動の腹に鉄パイプがめり込んでいた。

「あが······っ」

不動は思わず腹を押さえる。すると今度は、手の甲めがけて鉄パイプが振り下ろされた。不動の手から銃がたたき落とされる。銃が床に落ちるより早く、名字の踵が不動のこめかみへとめり込んだ。
なんなんだ、コイツは。あまりに速すぎて、不動は自分の身に何が起こったのか理解できなかった。とにかく今は、殴られた腹と蹴られた頭が痛む。チカチカと白む視界の中、自分を倒した男が、鬼道によって軽く投げ飛ばされている姿が見えた。



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