06


「このバカチンがー!」
「いっだー!!!」

怒号と共に名前の脳天の落とされたのは、やはり大きな拳骨だった。
名前は頭を押さえながら床に寝転がり「うう〜」と低く呻く。そしてキッと鋭く拳骨を落とした張本人――風丸を睨んだ。

「なんで殴んだよ! 今回アタシそんなに悪くなくね!?」
「敵に見つかった挙げ句、のんきに世間話決め込んでたんだ。悪いに決まってるだろ」
「理不尽!!!」

名前が拗ねたように唇を尖らせる。頭の上には大きなたんこぶができていた。
ヴェローナを縄張りとする半グレ集団「Flimine」は、今現在「Impero」というイタリアマフィア組織に追われている。「Impero」がヴェローナの街で違法な薬を売りさばこうとしているのを、「Flimine」のメンバー達が阻止しているからだ。
先日の壁山と栗松の誘拐事件を機に、「Flimine」のメンバー達はどうにか「Impero」の手から逃れる術はないかと考えた。そしてまず「Impero」の弱点に成りうる情報を手に入れることを思いついた。「Impero」の屋敷に忍び込み、盗聴器を設置する計画を立てたのだ。しかし「Flimine」のメンバー達は、名前が早々に鬼道に見つかったことで撤退を余儀なくされた。アジトに戻って早速行われたのは、勿論名前に対するお説教だ。けれども当の本人は「最近拳骨率高くね?」とボヤいているくらい、全く反省の色が見られない。仲間達は皆、呆れたようにため息をつくしかたなかった。

「それにしても······よくあの"キドウ"に見逃してもらったよね。最悪殺されてもしかたなかったよ」
「女をいたぶる趣味はないんだって」

マックスの問いに、名前は大げさに肩を竦め答えてみせる。「Impero」の鬼道は意外とフェミニストらしい。

「ハッ、名字みたいな小猿がよく女に見えるよな。信じらんねェ」
「ンだとドラゴンソメオカ」
「現役時代の名前で呼ぶな!」
「ああもう! 話が逸れてるってば!」

大きな声をあげたのは円堂だった。彼は腕を組むとフウと息を吐く。

「とりあえず確認するけど······名前は「Impero」の鬼道に見つかったけど、特になにもされなかった。そうだな」
「まあね」
「無茶はするなっていつも言ってるのに······。それで······他のメンバーは? 盗聴器はちゃんとつけられたのか?」

円堂の問いに誰もが気まずそうに視線を逸らす。口に出さなくても、上手く行かなかったことが分かった。

「男が揃ってなっさけねーなあ」

これ幸いと名前が意地悪く笑う。自分ばかりが怒られるのが面白くなかったらしい。

「コラッ」
「イテッ」

子供を叱るように、風丸が名前を軽く小突く。

「一番最初に敵に見つかった名前が言うことじゃないだろ?」
「そーだそーだ! 名字が一番情けねーじゃん」
「そうでもないぜ?」

自分をからかった半田に対して、名前が得意げに笑ってみせる。メンバー達は皆、不思議そうに互いに顔を見合わせた。

「ふふん、聞いて驚けよ」

腰に手を当て、名前は偉そうにふんぞり返る。

「キドウに捕まった時な、こっそりアイツの上着のポケットに盗聴器忍ばせておいたんだ」
「マジでヤンスか!?」
「マジマジ、大マジ。目金、繋げられるか?」
「任せてください!」

栗松を筆頭に目を丸くするメンバーをよそに、名前が部屋の奥にいた少年へと指示する。目金と呼ばれた少年は、手慣れた手つきで無線の機械を操作し始めた。
目金はチーム「Flimine」の中で、いわゆる情報担当である。機械に詳しく、一風変わった武器や諜報機器を発明するのを特技としている。先日名前が使った煙幕や、今日メンバー達が手にしていた盗聴器を発明したのも彼だ。ケンカが弱く戦闘には一切参加できないが、「Flimine」にとって欠かせないメンバーのひとりである。

「お! キタキタ、電波来ましたよ〜!」

目金が上擦ったような妙な声をあげる。メンバー達は皆、目金の周りへとわらわら集まり始めた。

『······だから······で······』

目金が操作する無線から、ノイズに混じって人の声のようなものが聞こえる。目金が無線機についているダイヤルを細かく調節すると、ノイズが消えて人の声がクリアになった。名前達は皆、耳を澄ます。

『源田······お前はどう思う』

無線から聞こえてきたのは、名前達と変わらないくらいの年の少年の声だった。

『······俺は正直反対です。いくら儲かるといっても、やはり一般市民相手にヤクを売るべきではない』
『源田! お前は何を言ってるか分かっているのか!』
『最近のボスのやり方は過激すぎる! 佐久間、お前も心の中ではそう思ってるんじゃないのか?』
『······ッ!』

少年たちが、無線の向こうで何やら言い争いをしている。

「お、なんかモメてる?」
「シッ、静かにしろ!」

おちゃらけたように呟いた半田を、染岡が注意する。メンバー達は、無線から聞こえてくる会話に集中した。

『源田、いい加減割り切れ。俺たちに決定権はない』
『しかし······』
『お前がいくら反対しようと、俺たちのやるべきことに変わりはないんだ。割り切らなければ、お前が辛くなるだけだ』
『鬼道······!』
『······あのさあ、鬼道クン』

癖のある喋り方に、名前がピクリと眉を動かした。嫌みったらしく人をおちょくったような話し方――きっとこれは不動と呼ばれていたモヒカン頭の男の声に違いない。

『俺たちに決定権はないだとか上に従うだけだとか、ほんっとお前つまんねーことしか言わねェよな。あのクソムカつく男女の言うとおりだぜ』

メンバーが一斉に名前を見る。名前はひとり、耳をすませながら無線機をじっと凝視する。

『不動お前また鬼道さんにナメた口を······』
『よせ、佐久間』
『でも······!』
『不動、何度も言っているだろう。俺たちは組織のために生きて組織のために死ぬ存在だ。自分たちの与えられた仕事に、面白いもつまらないも関係ない』
『そんなこと言って、てめーだって今の上のやり方には納得いってねーんだろうが』
『············』

鬼道が押し黙る。

『何が組織のために死ぬだよ。今のボスのために死ぬの間違いだろーが。このまま放っておけば、今にこの組織はふたつに分裂する。本当にそれが組織の為になんのかァ? お前がどれだけボスの世話になってるかはしらねーけど、あのジジイひとりのワガママの為にファミリー内で血を流させるつもりかよ』

やはり鬼道は何も答えない。しかし、しばらくの沈黙の後、ポツリと、

『······俺はあの人に従う。それだけだ』

低い声が落とされた。すぐにバサリと布擦れの音が響く。

『鬼道!』
『鬼道さん!』

佐久間と源田の引き留める声と、バタンと扉が閉められる音で、鬼道が部屋を出ていったことが分かった。

「なんか······上手くいってない感じ?」

マックスが間延びした声をあげる。しかし誰もマックスの声に反応しない。沈黙が簡素な部屋を支配する。

『不動! お前なんてこと言うんだ! 鬼道さんの気持ちも知らないで······』
『知るわけねーだろ。あんなクソ真面目な堅物の気持ちなんて』
『お前という奴は······!』
『落ち着け佐久間! 不動はこの組織に来て日が浅い。"あのこと"を知らないんだ』
『チッ······!』
『······"あのこと"ってなんだよ』
『············』
『何の話だよ。ああ!?』

椅子が蹴倒されたような、けたたましい音が響く。しばらくして『実は······』と源田が話を切り出した。

『鬼道はボスの息子のような扱いをされているが、本当は実子ではない』
『それくらい知ってるっつの。籍は入れてねーけど、ほぼ養子みたいなモンなんだろ?』
『······鬼道の本当の両親は、飛行機事故で亡くなったんだ』

無線機の向こうで、不動が息を呑む気配がする。

『頼れる親戚もおらず、幼い鬼道は孤児院に預けられた。そこで俺たちのボス――ミスターKに拾われ「Impero」の跡取りとなるべく育てられたんだ。ボスには実子がいないからな。ただ······鬼道は「Impero」に入る時に、ボスとひとつ約束を交わした』
『約束······?』
『鬼道には······ひとつ下の妹がいるんだ。彼女は今、裕福な家に引き取られ幸せに暮らしている。引き取り先を用意したのはボスだ。ボスは妹の暮らしを保証する代わりに、鬼道にファミリーへの忠誠を誓うことを約束したんだ』

不動は何も言わない。名前達「Fulimine」のメンバー達も誰も口を開かない。

『不動、分かってやってくれ。鬼道も辛い立場なんだ』

ここで無線に妙なノイズが混じり始める。そして唐突にブチンッと電波が切断された。

「とりあえずはここまで······みたいですね」

目金が呟く。しんと静まり返る雰囲気の中、「なんかさ」とポツリと円堂が呟いた。

「あっちにも、色々と事情があるんだな」

皆、無言で頷き合う。「Flimine」には「Flimine」の守りたいモノがあるように、キドウ達にはキドウ達に守りたいものがある。敵同士なのに、どこか通じるものがあることに皆、複雑そうな表情を浮かべていた。

「でもさあ、とりあえず良かったじゃん!」
「良かった?」

急に明るい声を出した半田に、染岡が眉を寄せる。

「だってさ「Impero」の中には一般市民にクスリを売ることに反対してる奴らもいるんだろ? それは俺たちにとっちゃラッキーなことなんじゃないの?」
「確かに······組織が二分してるとなると内部で抗争が起こることも考えられる。アイツらが自滅してくれれば、俺たちが狙われる心配もない、か」

風丸が顎に手を当て呟く。すると先ほどまで複雑な顔をしていたメンバーの顔が、パッと光が灯ったように明るくなった。
半田や風丸の言うとおり、このまま「Impero」が内側から瓦解してくれれば、「Flimine」が「Impero」に狙われる心配はなくなる。それは「Flimine」にとって喜ばしいことに違いない。

「良かったでヤンス! これでもう拉致られることもないでヤンスね!」
「ご飯が美味しく食べられるッス〜!」
「壁山、お前はいつも美味そうに食ってんだろうが」

ワッと部屋に笑い声が響く。明るくホッとしたような笑い声。絶望的な状況に希望を見出した彼らは、久々に心の底から楽しそうな笑い声をあげていた。

「············」

名前ひとりが、音の鳴らなくなった無線をただひたすら見つめていた。


***


妙に月明かりの明るい夜だった。
暗がりの路地裏を男が息を切らせながら走っている。男の顔は怯えたように強ばっていた。手には紙袋を抱えており、男はそれを大事に抱きしめながら走る。そして突き当たりの角を曲がった所で――絶望した。男がたどり着いた先は行き止まりだった。

「ヒッ······!」

コツコツと、革靴が石畳を叩く音が背後から聞こえ、男は短い悲鳴を漏らした。壁に背をつけ、ガチガチと歯を慣らす。
カチャリ。男の額の上で、銃のスライドロックが外される。

「助けてくれ······!」

震える歯の間から、男が懇願に近い悲鳴を漏らす。

「頼む、助けてくれ。俺はもうあの組織には関わらない。組織に関する情報も何一つ話さないと誓う。もう金の為だけに何の罪もない人間にクスリを売るなんて嫌なんだ。だから······!」
「······一度組織に入った者は死ぬまで組織に尽くさなければならない。それが約束だったはずだ」

低い、けれども若い少年の声。ゴーグルの奥で、深紅の瞳が夜闇に光る。男に銃を向けているのは鬼道だ。
男は抱えていた紙袋を放り投げると、手をつき、地面にこすりつけるように頭を下げた。

「田舎に年の離れた妹がいるんだ······! 俺の帰りを待っている。俺がここで死んだらあの子は生きていけない。頼む、見逃してくれ······!」

男が嗚咽混じりに懇願する。鬼道は冷え冷えとした目で、男を見下ろした。
銃を男の脳天に向けたまま、引き金に指をかける。そしてゆっくりと――銃を下ろした。

「行け」

短い命令に、男がハッと顔を上げる。信じられないものを見たかのような目で鬼道を見上げる。しかしすぐに立ち上がると、鬼道に背を向け走り出した。ありがとうと、何度も鬼道に礼を言いながら。
鬼道は暗がりの路地裏でひとり立ち尽くした。男が忘れていった紙袋からは、ウサギのぬいぐるみが顔だけ覗かせている。可愛らしい子供のおもちゃ。それを眺めながら、鬼道は自嘲めいた笑みをこぼす。そして自分の手の中にある銃を見つめた。

「見逃してもいいのかよ」

上から降ってきた声に、鬼道はハッとして銃を構えた。月を背に、塀に腰掛けている人間がいる。月明かりが、その人間の顔を照らす。中性的な顔に短い髪。手には鉄パイプが握られている。
鬼道は眉を寄せ、顔をしかめた。

「なぜここにいる」
「お前こそ人の散歩コースで物騒なモン振り回してんなよ」
「子供はとっくに寝る時間だぞ」
「お前に言われたくないっつうの」

名前がニヤリと口角をあげる。鬼道は構えていた銃を下ろした。
名前は塀の上から飛び降りると、危なげなく着地する。そして先ほど男が走り去っていった方向に視線を向けた。

「追いかけなくていいの? このままだと怒られちゃうんじゃね?」
「お前には関係の無い話だ」
「関係ないかもしんないけどさー······」

名前が言葉を濁らせる。
確かに「Impero」の組織内でなにが起こっていようと、名前にとっては関係のない話だ。けれども何かが引っかかって仕方がない。妙な引っかかりは名前の心をざわつかせ、夜の街へと足を向かわせた。
ここで出会えたのはただの偶然かもしれない。しかし引力のような強い力に引き合わされたように、二人は再び出会った。

「······佐久間達が余計なことを言ったみたいだな」
「え?」

鬼道が名前に向かって何かを投げる。名前は手を伸ばして、それを受け取った。
手を開いて中を確認する。名前の手のひらには、盗聴器がひとつ乗っていた。電源は入っておらず、真ん中が指で押されたように潰されている。

「げ」
「バレていないと思っていたのか。詰めが甘いな」

ニタリと不敵な笑みを浮かべた鬼道に、名前は拗ねたように唇を尖らせる。先日の戦闘の時といい、鬼道にはやられてばかりだ。
しかし、ふと気づく。鬼道はいったい『いつから』名前の仕掛けた盗聴器に気づいていたのだろうか。
名前が何か言いたげな視線を鬼道に送る。鬼道はそれに気づくと、ふいと気まずそうに視線を逸らした。

「······お前達に聞かせた話は嘘ではない。俺たちの組織は今、クスリの売買に関して二分している」
「二分してるって······」
「反対派がほとんどだ。だから安心しろ。お前達を追う手も、その内に途絶えるだろう。それまで殺されないように身を隠しているんだな」

名前は思わず目を見開いた。なぜ鬼道は、名前達に忠告するようなことをわざわざ言うのだろうか。
そして、ようやく気づく。そもそも最初からおかしかったのだ。壁山と栗松を拉致した時も、仲間の大勢いる本部に連れて行けば良かったはずだ。なのになぜか、鬼道は自分の配下の者を三人だけ連れて、街はずれにある使われていないようなアジトへと壁山達を連れ込んだ。
最初から殺すつもりなど、なかったのではないか。名前達が駆けつけたところを適当に痛めつけ、それで解放するつもりではなかったのだろうか。余計な手出しをすると痛い目をみるのだということだけを見せつけ、「Flimine」に手を引かせるつもりだったのではないか。
名前は鬼道を見つめる。ゴーグルによって彼の目は隠されており、表情を読むことはできない。けれどもひとつだけ、名前は確信したことがある。
――きっと噂よりも、キドウは悪い奴ではない。
名前は鉄パイプを握りしめる手に、グッと力を込めた。

「あのさあ、お前世間知らずのお坊ちゃんぽいから、アタシがひとつ良いこと教えてやるよ」

鬼道が訝しげに名前を見る。名前はニイッと口の端をあげた。

「お前達の組織がひとつにまとまる方法がひとつだけある。なんだと思う?」
「······くだらない冗談を聞く暇は無いぞ」
「お前が今のボスを倒して「Impero」と乗っ取っちゃえばいいんだよ」
「······は?」

たっぷり間をあけて、鬼道が呆然と聞き返した。

「だーかーら! お前がミスターKをぶっ殺して「Impero」のボスになんの! 組織の中には今の組織のやり方に反発してる奴らの方が多いんだろ? だったら戦力的には負けてない。後はお前がボスを倒しちまえば万事解決、だろ?」
「······俺にクーデターを起こせと? 随分と簡単に言ってくれるな」

鬼道が呆れたように肩を竦める。すると名前は、意外そうに首を傾けた。

「そう? お前ならできちゃいそうじゃん」

鬼道はポカンと口を開けた。いつも引き締まった表情をしている彼にしては、珍しく間抜けな顔。目の前の人間が同じ言語を話していることが信じられないといった風に、鬼道は名前を見返した。
しかし、次第に鬼道の肩がクツクツと揺れ始める。鬼道は笑っていた。手の甲に口を当てなんとか堪えてはいるが、肩は震えている。しばらくして笑いの波が収まると、鬼道はフッと柔らかい笑みを名前に向けた。

「お前と話していると悩んでいるのが馬鹿らしくなってくるな」
「それよく言われる」

名前と鬼道。互いに顔を見合わせ、ニッと口角をあげて笑い合う。

「まあ······まったく参考にはならないが気持ちだけは受け取っておこう。名字······と言ったな」
「名字がファミリーネーム。ファーストネームは名前。お前は?」
「鬼道だ。ファーストネームは有人。名字――Buonanotte」

別れの挨拶を口にすると、鬼道は名前に背を向ける。月明かりに照らされて細く長く伸びる影が途絶えるまで、名前は鬼道を見送った。
今日は妙に月明かりが眩しい。明るい夜だ。

「家族、か」

夜空に輝く月を見上げながら、名前はポツリと呟いた。


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