05


大理石で出来た大広間に、二人の人間がいた。一人は細身の身体に黒色のスーツを着た少年。顔には特徴的なゴーグルをつけている。彼はあまり感情を顔に出さないタイプの人間であるが、今は緊張したように少し顔がこわばっている。
少年の目の前には、大人の男が一人いた。男は革張りのイスに腰掛け、長い足を組んでいる。金髪の長髪を一つ結びにし白いスーツを着ているせいで一見若く見えるが、よく見ると大きい子供の一人や二人いてもおかしくない年齢のようだ。しかし正確に計ることができない。なぜなら顔にかけられたサングラスによって、素顔は隠されているからだ。

「鬼道、私がお前を引き取るときに言った言葉を覚えているか」

少年──鬼道に向かって、男は厳かな声で問う。鬼道は小さく頷くと口を開いた。

「ファミリーのトップに立つ者は、迅速かつ的確に物事を成し遂げなければならない」
「そうだ」

鬼道の答えに男は満足気に頷く。そして続けて問う。

「では再度聞く。ヴェローナ地区の資金調達が滞っているそうだが、その理由は」
「・・・申し訳ありません」

今度は男は長いため息をついた。失望のため息だ。

「お前が管轄していながら何をしている」
「・・・申し訳ありません」
「私は謝罪など求めていない。知りたいのは満足のいく結果だけだ」
「しかし······!」

鬼道は少し声を荒げる。男の見えない瞳に向かって真摯に訴える。

「やはり市民にクスリを売りつけて資金調達する方法は賢いやり方だとは思えません! 現にファミリーのやり方に不満を持つ者も多く······」
「知りたいのは満足のいく結果だけだ」

再び同じ言葉を、男が繰り返す。今度は相手を威圧するような厳しさを含んで。
鬼道は思わず口を閉じる。サングラスの奥から自分を見据える瞳に、無意識で圧倒された。

「次は無いぞ。分かってるな」

男が静かな声で問う。

「······了解しました。ミスターK」

鬼道はただ、従うしかなかった。


***


「でっかいッスねー······」

まるで城のように大きい屋敷を見上げながら呆然と呟いたのは壁山だった。しかし実は壁山だけでなく「Flimine」の全員が同じように呆気に取られている。
彼らが見上げるのは、それはそれは大きい豪邸であった。全体的に白を基調とした格調高いデザインの建物。正面玄関へ続く道は広い庭が広がっており、花壇に咲く花はきちんと手入れがされている。周辺には鮮やかな緑色の葉をつけた樹木が植えられおり、周りから建物の姿を隠す役割を担っている。古い廃ビルをアジトとする「Flimine」のメンバー達にとって、森の中にそびえ立つ荘厳な屋敷は、まるで現実味が無かった。
いち早く我に返った風丸が、ゴホンと咳払いする。すると皆、金縛りが解けたようにハッとした。呆けている場合ではない。彼らは今から、この大豪邸に潜入するのだ。

「いいか、今日は襲撃に来たんじゃない、偵察に来たんだ。それを間違えるなよ。無駄な戦いは避ける。もし見つかったら逃げることだけ考える。いいな」

風丸の言葉に全員が頷く。その中で名前ひとりだけが、「ええ?」と不満そうな声をあげた。

「せっかく来たんだから全員ぶちのめしてやろーぜ。じゃないといつまで経ってもあのマフィア共からコソコソ逃げ回らないといけねーじゃん」

名前の意見は、風丸の拳骨によって封殺された。

「よし、行くぞ!」

円堂の合図によって、メンバー達はそれぞれ散らばる。名前も殴られた頭をさすりながら、裏口へと回った。

「Impero」に目をつけられた「Flimine」は、まず「Impero」について調べる為に情報収集を行うことにした。しかし真偽の分からない情報を買うだけでは、リスクが高すぎるし情報量も少ない。そこで彼らは自分たち自ら「Impero」について調べることにした。彼らの本拠地に盗聴器を設置し、内部情報を盗みだそうと考えたのだ。
彼らが手にしているのは、盗聴器発見器にも引っかからない超小型盗聴器だ。特殊なルートから仕入れたそれを、玄関、庭、窓枠、そして可能であれば部屋の中にそれぞれ設置する手はずになっている。名前も手の中で数個、盗聴器を転がしながら裏庭の茂みに身を隠し中の様子を窺った。
豪炎寺の情報によると、今日「Impero」は政界の大物の会談するという重要な予定があるらしい。その為昼間は、ボスであるミスターKを含めほとんど人が出払っている。情報通り屋敷はとても静かであった。名前は素早く視線を走らせ中をチェックする。窓枠をつたっていけば、簡単に上階まで上がれそうだ。

「うしっ、登るか」

名前は自分に気合いを入れると、腕をぐるぐる回し準備運動をする。そしてもう一度周りをよく確認すると、一気に茂みから飛び出した。

「ぐえっ」

しかし突然後ろからパーカーの襟首を引っ張られ、首を絞められる。もがきながら慌てて後ろを振り返ると、

「げっ!」
「何をしているんだ、お前は」

ゴーグルの奥の赤い瞳が、呆れたように名前を見下ろしている。名前が先日対戦した、「Impero」の次期総帥候補──鬼道有人が立っていた。

「お前はこないだの変態男!」
「誰が変態だ······」

名前が叫ぶと、鬼道が心外だと言わんばかりに顔をしかめる。形の良い眉が怪訝そうに潜められた。

「偵察にでも来たか」

早々に図星を指され名前は焦る。盗聴器を仕掛けにきたことがバレれば、ここで全員皆殺しにされてしまうだろう。

「えーっと······なんていうか······散歩? ちょっと道に迷っちゃってさあ」

明後日の方向を向きながら名前が苦し紛れの言い訳を述べる。しかしいくらなんでも無理がすぎる理由であった。

「······誤魔化したいなら、もう少しマシな嘘をつけ。バカかお前は」

当然のように、鬼道の眉がますます怪訝そうに寄る。これはマズいと名前は身体を緊張させた。
先日対戦したことで、鬼道の方が自分より腕が立つということを名前は身を持って実感していた。敵の本拠地で捕まれば逃げる術は無い。むしろ仲間全員が危険に晒される可能性がある。
しかし予想に反して、鬼道はあっさりと名前から手を離した。

「え?」

解放された名前は思わず目を丸くする。鬼道は顔色ひとつ変えずに数回手を払った。

「用がないならとっとと消えろ。目障りだ」
「······捕まえねーの?」

不思議そうに名前が尋ねる。鬼道はふいと顔を逸らした。

「女をイタブる趣味はない」
「へえ······人のこと男と間違えたくせによく言うよ」
「············」

ゴンッと拳骨が名前の脳天を襲う。名前は思わず「いったー!」と叫び声をあげた。

「イタブる趣味はないと言っといて殴んなよ!」
「騒ぐな。見つかったら大事になるぞ。命が惜しいなら、さっさと仲間を連れて逃げることだな」

鬼道はそれだけ言うとクルリと背を向けた。本気で今日は名前を見逃す気らしい。少し拍子抜けした名前は、困ったように頭をかいた。

「あのさあ」
「なんだ」

立ち去ろうとする背中を名前が呼び止める。鬼道は足を止めると、少しだけ顔を名前の方へと向ける。

「アタシを見逃すってことは、「Impero」は「Flimine」から手を引いたってことでいいの?」

名前の問いに、鬼道は静かに目を伏せる。

「······そういうわけではない。ヴェローナでの資金調達は引き続き行う。それをお前たちが邪魔をするというのなら、それなりに制裁を加えさせてもらう。今日は······気分が乗らないだけだ」
「ふうん······」

分かったのか分かっていないのか、名前が曖昧に相づちを打つ。そして名前は数歩歩くと、鬼道のすぐ目の前まで移動した。

「······なんだ」

至近距離でじっと見つめられ、鬼道が怪訝そうに問う。名前は鬼道の顔を見つめたまま、こてんと首を横に倒した。

「なんかあった?」
「······は?」
「いや、この間まで殺す気マンマンだった敵を見逃すなんて、なんかあったのかと思って」
「それを聞いてどうするんだお前は······」

鬼道はまるで宇宙人でも見るかのように、訝しげに名前を見返す。しかし名前が気にした様子は全くない。

「まあ何も無いんならいいんだけど」
「そもそも俺になにかあろうとお前には関係の無い話だ」
「いや、もしかしてと思ってさ」
「なんの話だ?」

鬼道が肩眉を上げる。名前は顔色ひとつ変えず、言ってのけた。

「もしかして、お前もヴェローナでクスリ売るの嫌だと思ってるんじゃないかと思って」

その瞬間、ほんの僅かだが鬼道の顔に動揺が走る。鬼道は名前の視線から逃げるように顔を背けた。

「······嫌だとか好きだとか、そういう問題ではない」
「どういう意味?」
「上から言い渡された命令は絶対だ。与えられた仕事は迅速かつ的確に行わなければならない。それだけだ」
「それだけ、ねえ······」

名前は数歩後ろに下がると、頭の後ろで腕を組んだ。そして空を見上げる。今日は雲ひとつ無い快晴であった。

「なあ······それって面白い?」
「はあ······?」

唐突な質問に、鬼道が眉根を寄せる。名前は空を見上げたまま続けた。

「命令されるがまま、ロボットみたいに働くだけなんて、随分つまんなそーな生き方してるなって思って」
「······つまらない生き方、と言われるのは二度目だな」

先日名前と対峙した際に言われた言葉を思い出したのか、鬼道がポツリと呟く。鬼道は名前に向き直ると、挑戦的に片方の唇を上げた。

「では聞くが」
「ん?」

ぼんやりと空見ていた名前も、鬼道へと顔を向ける。鬼道は名前を小馬鹿にするように、フンと鼻を鳴らした。

「お前は人に説教できるほど大層な人生を送っているのか? たかがチンピラ風情が」
「大層······ではないかな。お前の言うとおり、"たかが"チンピラだし」
「他から見たら、お前達など社会のゴミのような存在だろう」

鬼道の言葉に、名前は「確かに」と眉を下げて笑う。

「身よりのない者同士群れてるアタシ達は、お前みたいな奴からしたら野良犬みたいなもんかもな」

「でもさ」と名前は続ける。

「アタシにはこっちの方が性にあってるから」
「······野良犬として生きることが、か?」
「うん、首輪で繋がれて飼い慣らされるよりずっとマシ。死ぬまで忠誠を誓わされるくらいなら、ゴミだと呼ばれようが今のままの方がいいよ」

名前は笑った。自分を敵視する相手に向かって、ニカリと白い歯を見せて笑った。

「アタシ達は自由だ。誰にも縛られないし、誰もアタシ達を縛ることはできない。金が無くたって、社会のゴミだと言われたって、自由に生きるって中々いいもんだぜ?」

鬼道は目を見開いた。名前の笑顔は清々しいほどに曇りがない。言葉の通り、彼女には一切のしがらみが無いように感じられた。

「ま、すばらしー将来が約束された「Impero」の次期総帥候補サマには分かんないかもしれないけど」
「お前は······」

おどけたように笑う名前に、鬼道が何かを言いかける。その時、

「名字! お前何やって······げっ、「Impero」のヤツ!?」

様子を見に来た半田が、名前と向かい合う鬼道を見て顔色を変える。鬼道は口を閉じるとクルリと二人に背を向けた。

「······今回だけだ。行け」

半田は驚いたように目を見開いたが、すぐに我に返ると名前の腕を引く。

「よく分かんねーけど行くぞ!」

半田に連れられるまま、名前はその場を後にした。去り際に、チラリと後ろを振り返る。遠くを見つめる鬼道の横顔が目に飛び込んでくる。名前にはその横顔が、やけに寂しそうに見えた。


.
TOP