09.セピアカラー・ロストメモリー




 これはもぶ山もぶ子が不思議な世界に迷い込む、少し前のお話。

 忘れてしまったこと、忘れ去ったこと。

 それでもきっと、青い鳥は覚えているだろう。



09.セピアカラー・ロストメモリー



 もぶ山もぶ子はしがない会社員である。日々を過ごし心がクタクタになりながら、それでも日々をめげることなく生きていられるのは、大好きなものがあるからだ。
 大好きなもののために生きることは、存外難しい。けれどそれは自分が自分であると、そう思っていたいからこそ。心の中に灯る『光』を、『幸せ』を大事にしまって心の原動力にする。
 そうやって背すじを伸ばして生きていようとしていても、それでもどうしようもなく打ちのめされたり、悲しんだりすることはある。生きているのならば、それが当たり前で、きっとそれはもぶ子以外の誰もがそんな谷を乗り越えて、日々の暮らしを紡いでゆく。

 もぶ子が『それ』に出会ったのは、会社の帰りの、とある春先のことだった。



 もぶ子の帰宅経路の途中には、少し小さな公園がひとつある。ブランコと、砂場。ベンチが2つ。蛍光灯はいつも切れかけで、帰りの暗い時間帯はいつもチカチカと瞬きを続けている。
 その日は特に疲れていて、めんどくさい案件の火消しのために車内を駆けずり回っていた。家に帰って何かしようとする気も起こらず、ふらふらと靴ズレを起こしてしまったミュールで歩く。向かう先は、公園。

「……はぁ…」

 ぱたん。この公園のベンチは、もぶ子の特等席だ。夜なんかは特に。
 このまま眠ってしまおうかなど、防犯上あまり良くないことを考えつつベンチの上でゴロンと寝返りを打つと、そこに。

「ためいき、しあわせ逃げちゃうよ」

 ふわりとした薄水色のギンガムチェックのフレアスカートに、上とおそろいの模様のシャツ。5、6歳ほどの少女が、もぶ子の横たわるベンチのすぐ横にちょこんと座っていた。
 あまりのことに驚いて硬直していると、その少女が、もう一度口を開く。

「しあわせ、つかんだから。かえすね」
「……あ、ありがと」

 少女がグイグイと両手を額に押し付けるものだから、もぶ子はそれを止めつつも感謝の意を述べた。意味は分からないが、彼女からの好意なのだろう。

「ねえねえ、きみ、お名前なぁに?」
「トリー。おねえさんは?」
「私はね〜、もぶ山もぶ子。ねぇトリーちゃん、こんな夜なのに公園で1人なの?お父さんとお母さんは?」
「ひとりじゃないもの、もぶ子がいます」
「ええ〜、いやまぁそうだけど……」
「…………おなかすいた……」
「マイペースだねぇトリーちゃん…ビスケットあるけど食べる?」
「うん」

 もぶ子が起き上がってベンチの席を空けてやると、トリーはうんしょ、とベンチに登ってちょこんと座る。それが大変に可愛らしい。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「うん、どういたしまして。お礼言えてえらいね」
「うん」

 トリーはあっという間にビスケットを平らげると、ぱたぱたとベンチで足を動かしながら喋り始めた。

「ないしょでこっちにきたの。でもそろそろもどらなきゃ…」
「そうだねぇ、もう夜遅いし……トリーちゃん一人で帰るの危ないよ?私送ってこうか?」
「ううん、大丈夫。もぶ子、ビスケットありがとう」
「気にしないで。このビスケットでトリーちゃんが幸せになったんなら、私はそれで嬉しいし、そうだったら私も幸せよ」
「……もぶ子は、いま、幸せですか?」
「そうだねぇ……」

 難しい質問だ。何をして幸せとするか。……でももぶ子の答えは決まっている。

「毎日いろいろ悲しいことや、辛いこと。沢山あるけど……それでも私は、大好きなひとがいるから。その人の姿を見るだけで、幸せになれるよ。頑張ろうって、思えるんだ。だから……きっと今の私は、幸せ…………………………」

 答えながら、急激な眠気がもぶ子を襲う。微睡みに沈む中で、トリーの声が脳内に響く。



「おれいは、するからね…………」



 目が、覚める。

「……あれ、なんでこんなとこで寝てたんだっけ…ってうわ、もうこんな時間?!」

 ベンチから飛び降りてカバンをひっ掴む。慌ただしく公園を後にするもぶ子のカバンの中には、小さな青い羽根が入っていたのだが…彼女がそのことに気づくことは、ない。





「………………なるほど、だから彼女は『青い羽根』を持っていたのか…」

 暗闇の中で男がひとりごちる。金髪の男は暗闇の中で両手を広げると、まるで目の前に万来の観客がいるかのように一礼をした。

「もぶ山君。この瞬間だけは、君のために」

 男が、微笑んだ。



18,07,21



 

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