その意味は、

「結婚したんだ」

意を決して出した言葉はあまりにも儚く虚空に消えていった。私達にとって一番心地の良いであろう温度に保たれた空間で、私は少しだけ背中に汗をかく。

もう何年も会っていなかった皇家の長男である彼とこうして同じ卓に座っているのには訳があって、たまたま高知に帰省していた綺羅がこちらの実家に寄ってくれたのだ。

皇家とは長年の付き合いで、私達自身も幼い頃から仲が良かった。大人達が難しい話をしている間に縁側でお話をする時間や、綺羅が覚えたてのピアノを披露してくれる時間、私の中にあるたくさんの思い出には綺羅は欠かせない存在。ふたりとも大きくなってお互いに学業が忙しく会う時間もあまりなくなった頃、彼は皇家を出ていった。きっと、これからも綺羅と一緒に大人になるんだろうな、と思っていた私にはあまりにも衝撃的な事だったと同時に、妙に納得をした気がした。

昔から心に決めたことは頑として譲らない性格だったのは、幼馴染である私がいちばんよく知っているだろう。芯の強い人だった彼に対して、私はいつも優柔不断で何事も断れない性格。それは大人になった今もあまり変わっていなくて、良家の長女という重い枷を付けられてこの人生を歩んできた。

アイドルになった彼を見たとき、もう手の届かない人になってしまったと思った。もう幼馴染なんて軽々しく言えなくて、遥か昔に抱いた感情は心の中にあるキラキラと輝いた宝石箱の中に閉じ込めた。その感情が今、少しだけ箱の隙間から様子を伺うように見え隠れしている。

結婚したのはつい最近で、恋愛結婚ではなかった。現代にも政略結婚なんてものは隠れているだけで、事実存在している。表向きはお見合いだが、相手の家より格の低い私の家はこの好機を見逃さなかった。あれよあれよと話は進み、悪い人ではなさそうだからと自分の残りの人生を軽々しく手放した。

「ほとんど政略結婚だったけど、悪い人じゃないのよ。お互いあまり干渉しないというか、詮索しないから」

縁側のある畳の部屋には、私の声だけが響く。綺羅の視線が身体中に刺さり、うまく顔をあげられない。自分の目線が右へ左へ動くのが情けなくて嫌になる。

「…そう、なのか」
「不思議よね、綺羅に会えなかった数年で私の苗字が変わってしまうなんて」
「そうだな……違和感が、ある」

まるで別人のようだ、と彼は言った。いっそ別人になれたらいいのになんて思った私は、多分心の中で、貴方が居なくならなければ貴方と結婚したはずなのに、貴方と一緒になれなかった私なんて私じゃなくなってしまえばいい、そんな負の感情で心の中が埋め尽くされていることだろう。綺羅や両親に期待していたわけじゃない、きっとそうなると勝手に思っていただけなのだから。

でも、彼が居なくなった時に綺羅のことは全てを諦めていたはずだった。こうやって話すことも、もうないと思っていたのだから。

「名前が幸せなら…、それで、いい………」
「…ありがと」

私は綺麗に笑えているだろうか。

「なにかあったら、俺に……頼れ…」

ゆっくりとその瞼が閉じられる。真意を射抜かれるような鋭い視線から解放され、微かに緊張していたのに解放された瞬間、寂しさを感じた。多少戻された距離感がまた一気に離れていくのを実感する。コップに入った氷がカランと音をたてた。

「なにもないことを願うけどね」
「それも…そうだな…」

あの頃並んで座っていた縁側をガラス越しに眺める。一度諦めたものをもう一度手に入れたいと願うことは許されなくて、それでも微かな希望を待ってしまうのが人間だと私は思う。この想いを言葉にする事はないけれど、私は画面越しの彼を見るたびに思い出してしまうのだろう。

「ねぇ、綺羅」

私のこと、好きだった?

そう言いかけた口を静かに閉じる。代わりに出た言葉は“そろそろ時間じゃない?”という可愛げのない一言で、自分の目の奥からじわじわと悔しさと共に悲しみの欠片が溢れ出た。綺羅はなにも言わずに隣に来て、私の肩を抱いた。彼の太ももに落ちた雫が、私をどれだけ強く抱き締めたかを物語る。

幸せは自分で掴み取るもの。それでも私は、自分の幸せより彼の幸せを願ってしまった。

あれから数日後、何事もなかったかのように過ごしていた私にひとつの荷物が届いた。両手に乗るくらいの大きさで、とても軽い。宛名を見た瞬間、私は旦那さんが帰ってくる前に開けた方がいいと思ってすぐにリビングで包みを剥がした。上質な紺色の箱につけられたリボンを少し震える手で解く。

これは運命の赤い糸を自ら切ってしまった者たちの物語。

いつもと変わらない日々を送っていた私の家の唯一の変化と言えば、リビングの1番目立つ場所に彼から送られた薔薇が一輪だけ差してあることだけだった。



その意味は、
(ひとめぼれ、あなたしかいない)




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